クリスティーヌ滝本 中編
「桐山君には、あの"界隈"の窓口になってもらいたいねぇ。たくさんいるでしょ? 救わなきゃいけない子達」
「うっす! あ、でもあの辺の子達、その日生きるのに必死で……お金とか持ってないっすよ?」
「おいおい、勘違いしてもらっちゃ困るな。財産の有無と救済は関係ないよ。お金持ってなきゃ救わないなんて、どこかの悪徳宗教じゃないか。私たちは違うだろ? できるだけ、多くの人々を救うのが目的なんだから。頼むよ?」
「うっす」
笑顔のまま、諭すような口調で言い切る美樹本に、桐山は素直に頷いた。
「うん。 あと、救えそうな子がいたら、あの界隈から、ちゃんと引き離してやらないとだね。 ウチで持ってる家、シェアハウスにしちゃっていいから」
「うっす」
桐山の返事に満足そうに頷くと、美樹本はじっと桐山を見る。
「そのためには、そうだなぁ。桐山君、金髪にして、格好もホストっぽくしてみようか? そういうの好きでしょ? あの辺の子達」
指示は軽やかだったが、拒否の余地はなかった。かつて自分たちがいた界隈 ─ そこを“担当”する役を仰せつかった桐山は、にこにこと「了解っす」と応じた。
その横顔を、美穂は横目で見つめながら、小さな違和感が胸の奥に沈んでいくのを感じていた。
「必要でしょうか? その、イメージ戦略的なもの……」
思わず口にした疑問は、場に水を差すものだったかもしれない。 桐山の眉がわずかに動き、美樹本はいつものように楽しげに笑った。
「はは、必要だよ。『いいものを造れば、売れる』、『本物なら、みんなついてくる』、そういったものはすべて幻想だよ。“いいもの”とわかってもらうためには、まず買ってもらわないとだし、使ってもらわないとね。本物かどうかもそう。まず話を聞いてもらわないと。ね? 大事でしょ? 入口」
言っていることは正論に聞こえた。
「それと、余裕のある人にはコイツを買って貰おうと思ってね」
そう言って美樹本は、傷の入ったクリスタルを机に置いた。
「レムリアンシードクリスタルだ」
レムリア? フートではないのだろうか? 美穂の心にまたもや暗い気持ちが立ち込める。
「君達だから言うが、いわゆるガラクタだ」
一瞬、美穂は聞き間違いかと思った。けれど、美樹本の口調はいつも通り、あくまで穏やかだった。
「ガラクタなんて、なんで売るんすか?」
桐山が無邪気に問いかける。どう感じているのか、美穂には読めなかった。
「コイツ自体はただのガラクタでなんの意味もない。 でも、コイツを"高額で買う"という行為に意味があるんだよ。 想いというのは、とても大切でね。 例えば、ステージ3の癌患者が、毎日、ガン細胞を退治するイメージを想像し続けた結果、半年後にはガンが完治してた、なんて話もあるくらいだ。 だから、コイツを買うことで、"救われる"というイメージに包まれて、多幸感に浸れる。 ── というわけだ。 だから、高ければ高いほどいいし、モノはなんでもいいってね。 ま、いわゆる価格が価値を作るってやつさ」
「目からウロコっす」
桐山が、まるで新しい真理を見つけたように目を輝かせた。
異様な光景だと、美穂は感じた。けれど同時に、彼の言葉が理にかなっているようにも思えてしまう。
違和感はあるが、すべて正論のようにも思えた。
あくまで"救う"ため。
より多くの者を救うために入口を広げる。 そうして入った、その先にはラ・ムー美樹本という"本物"がいる。 それならば、なんの問題もない。 結果的に、より多くの者が救われるのだから……
でも……
「そこで、滝川君」
「……滝本です」
「失礼、滝本君、君に、その販売の責任者をやってもらおうと思ってね」
「……え? ……あ」
名前を間違えられ、頭に血が登りかけたところに、冷水を浴びせられるように指示を出される。 頭がどう反応していいかわからなくなり言い淀む。
「迷ってるんだよね? その気持ちは、すごくわかるし、前にも言ったが、その気持ちはとても大事なものだ。 だからこその販売責任者だよ。 君がその役を演じる事で、その抵抗感は薄らぐと思う。 昔、アメリカで人々を囚人役と看守役に分けた心理実験……ってこれは、さすがに脱線し過ぎかな。 ともかく、君にはそうしてもらって、実際にクリスタルで幸せになっていく人々をその目で見て欲しいんだ。 その上で、やはり違うというのなら ─ その時は君の主張を尊重しようじゃないか」
「あ……はい」
揺らいだ気持ちを見透かされているような饒舌な弁に引っ張られる形で、思わず返事をする美穂。 そこを畳み掛けるように美樹本が微笑む。
「そうと決まれば役名を考えないとね。 そうだな、クリスティーヌとかどうかな? クリスティーヌ滝本。 いいじゃないか。 桐山君は……ナドゥ桐山。 どうかな? 素晴らしいだろ?」
それまで無邪気に聞いていた桐山の顔が曇る。
「それ……クソダサくないっすか?」
「そうだね。 でも、ダサければダサいほどいいんだよ。 こういうのは。 どうしたって、私たちは、"本物"とわかってもらうまでは、疑われる存在だからね。 ありもしない悪意を押しつけて、話を聞いてくれない輩ってのは、どうしても存在するものだから」
「……はぁ」
「だけど、相手がクソダサい名前だったらどうかな? 例え、騙そうとしてきても、コイツなら大丈夫そうだ。 そういう心の余裕が生まれるだろ? 心の余裕ができれば、話を聞いてもらいやすくなるからね。 だからこそのナドゥであり、クリスティーヌなんだよ。 大丈夫! 外からは滑稽に見えても、中ではステータスになるから」
「さすがっす。 まじパネェ!」
「じゃ、滝本君は、そうだな。 今のままだと、ちょっと地味だから、軽くパーマでも当てて、デキるOL風にしようか? できるよね? 一日に一度は、デキるOLの君を見せに来てくれ。 心してかからないと私のダメ出しは厳しいよ」
そう言って、美樹本は笑って見せた。 揺らいでいた美穂の心の中は、いつしかデキるOLをどう演じるか、それだけになっていた。
数日に渡る美樹本の演技指導により、デキるOL、クリスティーヌ滝本は完成した。
桐山と組み、付き添い分を含めてクリスタルを用意。 あとは、美樹本の言う通りにレムリアの話やインディゴチルドレンなどの話をする。 それがクリスタルの販売方法だった。
初めてクリスタルを売る日、最初は、罪悪感と抵抗感でいっぱいだった。 だが、自分の中でクリスティーヌ滝本のスイッチを入れると、不思議と自信満々にセールストークを繰り広げることができた。
クリスタルは、呆気なく売れた。
購入者が嬉しそうに笑顔で、「すごい! 買った瞬間、周りの空気が澄んだような気がする」と言ったのを聞いた瞬間、クリスティーヌ滝本という笑顔の仮面の下で、戸惑いと売れたという達成感が渦巻いた。
その後も、クリスタルが売れる度に、そんな戸惑いと達成感で美穂の心は揺れた。
だが、クリスタルを購入した会員達は、美樹本の言う通り、誰もが幸せそうだった。
「ありがとう! このクリスタルを買ったら、いつも暴力ばかりだった彼が出ていってくれたの! 彼を引き取ってくれた女性には悪いけど……。 ようやく自由を手に入れられたの!」
「このクリスタルを買った翌日、まったく音沙汰がなかった息子から30年振りに電話が掛かってきたの。 内容は、会社のお金を紛失しちゃったっていうお金の無心だったけど、あの子のピンチに力になれたのが何よりも嬉しかったわ」
「事故に巻き込まれたけど、あのクリスタルのお陰で、足の骨折だけで済んだんだ。 事故の規模から、それだけで済んで幸運だったって、医者も言っててね。 やっぱり、あのクリスタルはすごいなぁ」
幸運な出来事はすべてクリスタルのおかげ。 悪い事が起きても、クリスタルのおかげでその程度で済んだと、笑顔で感謝を口にする人々。
これで……よかったのだろうか?
桐山も幸せそうに「ラ・ムー美樹本、まじパネェ」と笑っている。 そして、自分も……
……これが、幸せというものなのだろうか?
やはり、ラ・ムー美樹本についていけば、世界は自分を歓迎してくれるのだ。
自問自答を繰り返しながら、クリスタルを売り続ける美穂。
いつしか天秤は大きく傾き、クリスティーヌ滝本は、誇りを持ってクリスタルを売って回るようになっていた。




