特別なセミナー
「さて、今回、プラーナ会員の中でも、特に熱心な方しか参加出来ないこのセミナー。 参加出来ている皆さんは、本当に幸運です」
壇上の女性の声を聞きながら、鹿山臨太郎は机上の紙束から目を離さずにいた。
その顔を、絶対に見ないように──
早く……終われ……
こうなることは、想定しておくべきだった。
逃げ出すチャンスは、本当に無かったのか?
選ばれた会員のみが参加できる、特別セミナー。
臨太郎は、参加率かガラクタ購入額か、いずれにせよ"選ばれた"のだった。最初は好機だと思った。ラ・ムー美樹本に近づけるチャンス──そう信じていた。
会場に着くと、深村の姿があった。それだけで、臨太郎の胸が高鳴る。
「やぁ、深村さんも参加資格が貰えたんだね?」
「えぇ、なんだか特別なセミナーみたいね。 光栄な事だわ」
そう言って隣に座る臨太郎に飴玉をくれる深村。 臨太郎の心がふわりと浮く。
「そう言えば、聞いたか? 今回の講師」
臨太郎が受付でもらった講義資料を見ようと手を出したところで、他の参加者の声が耳に入ってくる。
「あぁ、覚醒者って話だろ? 俺も仲良くなったスタッフの人から教えてもらったよ」
「すげぇよな。 俺もいつか覚醒できるのかな?」
「そのために、熱心に通って、徳を積んでんだろ?」
──覚醒者?
確かに、セミナーでは「研鑽を積めば、レムリア時代の記憶が蘇り、超能力を使えるようになる」と教えられてきた。 そうした人物を“覚醒者”と呼ぶのも聞いていた。
レムリアなど信じていない──でも、設定上とはいえ、そんな人物のセミナー……。 ようやく和泉に朗報を聞かせられるかも……。 臨太郎は、確かな手応えを感じていた。
「ねぇ、今の聞こえた? すごいね。 覚醒者だって!」
顔を寄せて小声で、無邪気に笑う深村の声が、臨太郎の脳を蕩けさせる。
「それだけ、今回のセミナーが特別って事だよね?」
「じゃ、耳をかっぽじって聞かなきゃ、だわ」
「今どき、耳をかっぽじるって……。 時々、深村さん、オバサンみたいなこと言うよね」
「もう、笑わないでよ。 私、おばあちゃん子だから、出ちゃうのよ。 時々」
深村との些細なやり取りが楽しくて、資料を見る事なく、つい雑談を続けてしまった。
「お待たせしました。それでは、特別セミナーを開始します。まずは、我らプラーナにとって非常に重要なお話をしていただきます」
スタッフがにこやかに語り出す。
「講師は、なんと、覚醒者でっす。 ただ、半年前に強力な悪霊を祓う際、顔に傷を負ってしまったため、今回は包帯姿での登壇となります。ご了承ください」
悪霊?
その言葉を背に、臨太郎はようやく開いた資料に目を落とす。
──『レムリアの秘密』、その講師名を見た瞬間、心臓が大きく跳ねた。
「それでは登場していただきましょう。 クリスティーヌ滝本さんです! 皆さん、盛大な拍手を!」
会場に拍手が響く中、扉が開く。
黒いタイトスーツの女性が現れる。顔には痛々しい包帯。
一瞬ざわついた会場も、すぐに静まり返り、拍手だけが残る。
──クリちゃんだ……たぶん……
バレたらマズい──
かつて、自分と航輝にインチキクリスタルを売りつけようとした、あの美人……。
その瞬間から、臨太郎は壇上を一切見られなくなった。 ただ、ただ、視線を落とし続けるしかなかった─
…………
しかし、覚えられているだろうか?
顔を合わせていたのは、短い時間だったし、自分達は数あるカモの中の一人でしかないのだから……
いや、そんな甘いわけない。
あの状況は、未だに夢に見るくらい、インパクトがあったんだから……。 カモはカモでも、爆弾背負ったカモは印象に残ってしまう。
「ところで……あなた! あなたがこの世界に、生き辛さを感じる理由はなんですか?」
その声に、再び、臨太郎の心臓が跳ねた。
会員いじりが始まった。 もし、自分が当てられたら、完全にアウトだ……。 当てられませんように……
臨太郎は、息を殺して祈った。
クリスティーヌ滝本が言っている事のほとんどは、耳に入ってこなかった。 ただ、周りのざわめき、感嘆、唱和、拍手、そして熱気──により、会場の空気が次第に一つになっていくのがわかった。 自分一人を置き去りにして……
「さて、これで私、クリスティーヌ滝本のパートは以上となります。 この後は、休憩を挟んで、『審判の日に向けて』の説明になります」
終わった……。 何事もなく……
臨太郎に、ようやく安堵が訪れた瞬間だった。
「あ、そうそう、鹿山……臨太郎さんと深村 紗希さん。 お二人とも書類の一部にサインが抜けているところがあったようなので、休憩時間中に申し訳ありませんが、一緒に来てください」
その一言がなければ……
思わず顔を上げると、包帯の女の目が笑っているのがわかった……
そして、ふと気付く。
なぜか、深村まで呼ばれている事に……
本当に、書類の不備だったのかもしれない。 僅かな希望を抱き、深村を見ると、臨太郎の好きな可愛らしい顔で小首を傾げている。
……まさか、人質?
そんな思いが臨太郎の脳裏に浮かぶ。 が、すぐに思い直す。 さすがに臨太郎の想いに気付くはずがない……と。
「……さぁ、行きましょうか?」
気が付くと、目の前に包帯の女が立っていた。 少し血の滲んだ乾いた唇に、焦点が合っているのか、分からない瞳。 だが、……その口角は間違いなく上がっていた。
クリスティーヌ滝本とスタッフに挟まれ、廊下を歩く二人。 一人は心底、不思議そうに。 そして、もう一人は……
そこは、立派な部屋の前だった。
「……失礼。 こちらのボールペンは預かりますね」
「あ……」
和泉の用意した、カメラ付きのボールペンが胸ポケットから没収され、臨太郎の緊張は限界に達する。
部屋に通されると、豪華な応接セットに、執務デスクが待っていた。
「あぁ、急に呼び出して、悪かったねぇ。 でも、申し訳ない! 今、ちょっとお金の計算しててねぇ。 悪いけど、もうちょっと待ってて貰ってもいいかな?」
立派な机とは裏腹に、そこに座っていたのは、作務衣を着込んだロマンスグレーの男だった。 綺麗に整えられ、清潔感を醸し出している顎髭と、深く刻まれた皺からは、まったく想像できない程の軽薄さだった。
臨太郎と深村は、居心地の悪さを感じながらも、促されるまま、応接セットへと腰を掛けた。
てっきり、クリちゃんにバレて復讐される……そう考えていたのだが、この感じだと違いそうだ。
となると、本当に書類の不備だったのだろうか?
いや、でもカメラ付きのボールペンも没収されたし……
そもそも、なんで深村さんまで?
? ? ?
臨太郎は、心の迷宮に迷い込んだ。
「いやぁ、お待たせ、お待たせ。 はぁ、本当、大変だよ。 お金の計算って。 おまけに、稼いでも稼いでも、出てく方が多いってんだから、本当、まいったもんざえもんだぜってね」
ひと仕事終えた男は、軽口を叩きながら立ち上がると、楽しそうな顔で二人を見やった。
「初めまして、私がラ・ムー美樹本だ」
思わず、息を飲む臨太郎。 待ち焦がれた瞬間なのに、まったく喜べない。
「で、一つ聞くけど……なんで“バレない”と思ったの?」
ラ・ムー美樹本の声が響いた、その瞬間、扉の方から"カチャリ"と、鍵の掛かる音がした。




