常磐恭一郎の嘆き
ご無沙汰してます。 いきなりで申し訳ありませんが、クライマックスに突入です。
(誰だよ、こんな依頼受けたのは……)
常磐恭一郎は、目前の光景から目を逸らせぬまま、心中で悪態をついた。
運命は、生まれながらに決まっていた。 常磐の分家、その末席に生まれた彼は、対物理結界を扱う常磐流の使い手となるべく、幼い頃から訓練を重ねてきた。
本家の庇護のもと、兄弟たちと共に、皇族や政府要人の護衛として生きる。……恭一郎は、それが当然の道だと信じていた。
実際、今まではその通りだった。 もっとも、分家の末席ゆえに任されるのは政府要人が多く、皇族の護衛に就く機会は少なかったが、それで十分満足していた。
彼にとって『山』の呪術部は、名目上の所属にすぎなかった。
『山』の存在意義は二つ。 皇族の守護と、霊的存在からの国家防衛。 常磐流は前者に特化した術であり、後者とは一線を画す……そのはずだった。
とはいえ、任務の多くは『山』から派遣される霊的結界師とのバディ形式。 任務の合間に、妖や霊と戦ったという話はたびたび耳にしていた。
だが恭一郎にとって、それは別世界の話だった。 常磐流は特殊な訓練さえ積めば、誰でも使える超能力、いわば「技術」だ。 生来の霊感が必要な呪術とは違う。 現に、彼自身の霊感は非常に弱く、魄……いわゆる霊を見ることはできない。 せいぜい、陰を筆頭とした「実体化した妖」を捉える程度だった。
……餅は餅屋だ。
そう割り切って、結界師として地道に生きていくつもりだった。
そんな折、常磐本家を通じて風変わりな依頼が舞い込んだ。 『除厄式』なる儀式で本殿の維持を担う、というものだ。 兄弟全員に割り振られたそれに、拒否権はなかった。
だが、心のどこかで期待していた。 妖との邂逅があるかもしれない……と。 これまでの任務では、妖が現れても『山』の呪術師たちが時間を稼ぐ間に逃げるだけ。 話に聞いていたような壮絶な戦闘など、見たことがなかった。
今思えば、そんな話に心を踊らせていた自分を殴ってやりたい。
目の前には、人外との本物の戦いがあった。 それは、ただ安全なところで聞く話と違い、現実の……命のやり取りが、存在していた。
本殿の維持はとうに失敗。 取り巻きたちは消え失せ、残されているのは若者二人、絶世の美女、そして部屋の角に配置された兄弟たちだけ。
その任務もとっくに破綻していた。
撤退。 それが最も合理的な判断だった。
だが……誰も動けなかった。
理由は単純。
『山』のエース・柊隼斗と、邪神・荒覇吐との死闘に、目を奪われていたのだ。
この儀式の主人公だったはずの男は、曲がった特殊警棒を握りしめ、なにやら呟いている。 だが、その存在すら霞むほど、隼斗と荒覇吐の戦いは凄絶だった。
(誰だよ、本当に……こんな依頼受けたのは)
黒い球体、鋭い爪。 荒覇吐の攻撃をすり抜け、隼斗の刀が閃く。 斬り下ろし、跳ね上げ、舞うように……。
それをギリギリでかわし、美しい髪を揺らし、妖艶な笑みを浮かべる荒覇吐。
まさに『山』の語る妖退治の物語そのものだった。
「あな、おもしろき。 まさか人の身で、ここまでわが動きについてくるとは……」
「……運動神経は……いい方だから」
心の底から愉悦を滲ませる荒覇吐に、隼斗はぶっきらぼうに返す。
戦いは拮抗していた。
だが……少しずつ傷が増えていくのは隼斗の方で、荒覇吐は無傷のまま。
戦い慣れしていない恭一郎の目にも、それが致命的な差に見えた。
(おいおい、どうすんだよ! あんたがやられちまったら、俺たちゃどうなるってんだよ?)
恭一郎の焦りも虚しく、隼斗の動きは次第に鈍くなっていった。これまで完璧に避けていた攻撃さえ、いなすような応じ方に変わってきている。 遠目にも、荒い息づかいが見てとれた。
(……やばいな、これ)
そう思った瞬間、「ゴッ」と何かが床に落ちる重い音が響いた。 隼斗も荒覇吐も、その音にわずかに注意を逸らされたのがわかった。
「もういいや。 まじ、めんどくせぇ」
柊 鷹斗が手にしていた警棒を床に放り投げた音だった。
鷹斗は、心底どうでもよさそうな顔で立ち上がり、どこからともなく取り出した煙管をくわえていた。
ふぅ――
吐き出された紫煙は、ゆっくりと広がりながら、やがて編み目のような形を取り、荒覇吐を包み込んでいく。
「あな、煩わしや。 妖を使役するか……。じゃが、足りぬ。わは、虐げられ、追いやられた無辜の民の長年の想いを背負っておるのじゃ。 新参ごときにやり込められるほど、甘くはないわ」
荒覇吐が鋭い爪を振るう。 紫煙を断ち切るような動きだった。
斬られた煙は、一瞬鼓動のように脈打った後、切り口からゆっくり、ゆっくりと霧散していく。
「……まあ、そうなるよな?」
次の瞬間、いつの間にか荒覇吐の懐に潜り込んでいた鷹斗の声が、恭一郎の耳に冷たく届いた。 世界が一瞬、音を失ったように感じられた。
「おごぅお!」
ボディブロー。 荒覇吐の腹に、鷹斗の拳が突き刺さる。
「これは、傷だらけになった隼斗の分」
「ぶげら!」
続けざまに右フック。 荒覇吐の頬が弾けるように歪んだ。
「これは、お前に壊された柊丸(特殊警棒)の分」
「む! 違う……。柊丸は、この刀」
いつの間にか鞘に収めた刀を掲げながら、隼斗が低く呟く。
「あ、そうなの? じゃ……」
「ぎゃっ!」
左フックが炸裂。 今度は反対側の頬。
「これが、真・柊丸の分」
(警棒の分……2発もいきやがった)
ツッコミかけた恭一郎は、それを必死で堪え、状況を見守った。
「そしてこれは……真・柊丸を壊された……俺のッ……怒りだぁぁぁああっ!」
「待て! 待つのじゃばらぁぁあ!」
荒覇吐の必死の懇願を無視し、鷹斗の渾身の蛙跳びアッパーが炸裂する。
「お前の怒りが、一番強いのかよっ!」
恭一郎の我慢は、ついに限界を突破した……




