久古の案
あれから、数日が経った。
正直、自分が何を話して、何をしたのか……、ぼんやりとただ時だけが流れ、意識がはっきりとしないまま、絹代と正一の検死も葬儀も終わっていた。
頭の中に、ぐるぐると回っていたのは、『てらぁ』と名乗る白い女の事だけだった。
そんな自分の意識が覚醒したのは、葬儀から数日後、久古君が顔を出した時だった。
「葬儀には、参列出来ず……申し訳ありません。 この度は、……誠にご愁傷さまです」
そう挨拶をした久古君の顔を見た途端、自分の意識が現実に戻ったような気がした。
「……久古君、君ほどの博識なら、知らないだろうか? 『てらぁ』という妖を……」
「『てらぁ』? ……『てらぁ』……『てらぁ』……。 う~ん、どこかで聞いた気がするようなしないような……。 ちなみに、その『てらぁ』ってのは、なんなんです?」
「……怪異……と、言うらしい……。 僕の妻と息子の死の元凶だ……。 僕は……あいつを……退治したい……」
「……怪異……。 妖や怪現象の事ですね」
「あぁ、そうらしい……」
「ふ〜む、怪異……怪異……。 ……怪異!」
暫く考え込んだ久古君の表情が変わる。
「……何か、知っているのか?」
「『てらぁ』……すなわち、TELLER……ですね!」
「! ……知っているのか!?」
「せ、先生……痛い……苦しいですって」
思わず、彼の胸倉を掴んでしまい、苦しむ久古君。 僕は、慌てて手を離す。 だが、久古君に聞いて正解だったようだ。
「すまない。 何か知っているなら、教えてほしい……」
久古君は、わざとらしく咳き込んだ後、探るような目をしながら口を開いた。
「TELLERってのは英語です。 確か、銀行の窓口とか、語り手とか言う意味の単語になりますね。 怪異って言葉で思い出しました。 以前、文献か何かで読んだ気がします。 うろ覚えで良ければ、お教えします。 ですから、まずは落ち着いて、何があったのか教えてください」
僕は、久古君に言われ、落ち着くために、お茶を入れて、久古君に出す。
「……すまなかった」
僕は、絹代と正一の死について、死んだはずの樹神 理恋が現れた事。 そして、その樹神 理恋がTELLERと名乗った事を全て話した。
「……そんな事が……。 先生、辛いお話を……ありがとうございました。 奥さんとお子さんの事を考えたら、先生が激高するのも当然かもしれません……。 でも、もう勘弁してくださいね」
一口、お茶を啜り、首元を擦りながら、笑う久古君。
「……信じて……くれるのかい?」
あんな荒唐無稽な話、信じて貰えるなんて、思ってなかったため、久古君の反応は意外だった。
「……正直、信じられない内容ではありますが……、先生の話に出てくるTELLERは、僕の知っているTELLERと類似する点が、かなりありますからね……。 もし、先生の気が触れていたり、デタラメな話で僕を担ごうとするなら、わざわざTELLERなんて、無名な妖は選ばないでしょうから……」
そう言って、久古君は、お茶で唇を湿らせた後、TELLERについて、語り始めた。
「TELLERは、妖を産む妖です。 『怪異を紡ぐ者』、『怪異を綴る者』、『白い闇』、『無邪気な悪意』、『白き改竄者』……様々な二つ名を持っている妖で……」
TELLERと呼ばれる妖は、過去や未来へ自由に行き来し、様々な妖を産み出し、時には歴史すらも改竄するような存在なのだという。
「TELLERは悪意そのもので、出会った時点で、人生は捻じ曲げられ、破滅しか残らない……そう言われている妖です」
「……悪意……。 TELLERの目的は、一体、なんなんだ?」
「……わかりません。 何かあるのかもしれませんが、僕が見た中には、TELLERの目的についての記述はありませんでした。 もしかすると、目的なんてないのかもしれません。 さっきも言いましたが、TELLERは悪意そのものだと言われてますし、悪意ってのは、そもそも理不尽なものですから……」
「悪意は理不尽……。 そういえば、あの白い女……TELLERも、そんな事を言っていたな……」
「はは、その点では、僕もTELLERに同意ですね……。 いえ、不謹慎でしたね……」
乾いた声で笑った後、慌てて謝罪する久古君。
「……で、弱点は?」
「……僕の読んだ限り、弱点についての記述はありませんでした。 ただ、一つ言えることは、TELLERを退治するのは、かなり難しい……という事です」
「なんで?」
「先生、目が怖いです。 いいですか? TELLERは、時を自由に行き来できる存在なんです。 あらゆる時の中で、妖を生み落としては、また時を彷徨う。 そんな存在だという事です。 と、いうことは、次にTELLERに出会える可能性は、……正直、ないかもしれません……」
「…………」
「……さらに……仮に再び出会えたとして、人が妖に勝てるか……という点ですね」
「……昔話や伝承でも、人が鬼や妖に勝利した話なら、いくらでもあるだろう……」
「物語……だからですよ。 実際問題、人が妖に勝つなんて、生半可な事じゃないでしょう」
「じゃあ、TELLERを退治するのは……無理……ということか……」
「いや……もしかしたら……。 いえ、やっぱりなんでもないです」
「なんだ? なにか手があるのか?」
「……笑わないでくださいよ? 自分でも馬鹿げた話だと思ってるんですから……」
「いいから、続きを」
「……妖なら……あるいは……」
「……妖?」
「はい。 妖です。 半永久的に生き、攻撃手段を持った妖なら、いつかTELLERに出会えるかもしれませんし、出会った後も、戦う事ができるかもしれません」
僕は、久古君の、その案に正直ガッカリした。 それはそうだろう。 ずっと生きていられるなら、どんな時代に現れるかわからないTELLERとも、いつかは出会える可能性はあるだろう。 攻撃手段もそうだ。 人ならざる力を持っているのならば、あの白い怪物にも勝てるかもしれない。
だが、果たして、そんな願いを聞き入れてくれる妖なんているだろうか? そもそも、願いを聞き入れるもなにも、その肝心な妖と出会う事すら難しいだろう。 なんせ、僕が今まで出会ったのはTELLERが初めてなのだから……。 そんな簡単にお願いできるようなものではない。
「そんな……奇特な願いを聞き入れてくれる妖なんていないだろうし、そもそも妖なんて、そんな簡単にお願いしに行く事すら困難だろう……」
「いえ、造るんですよ、……先生が。 TELLERと出会い、退治しうる妖を……」
「造る?」
「ええ、実は、気になっていた事があるんです」
久古君の話では、『赤い外套の怪人』を書いた後の僕の怪奇小説は、かなり反響があるらしい。
「『赤い外套の怪人』の直後に書いた『丑三つ時の厠に佇む老婆』の話や、その後に書いた『桶に映る死に顔』、そして、ついこの間載せた『蛙を食べ過ぎて呪われた蛙男』……。 すべてに、今までにない程の反響があったんです」
「……なんの話だ?」
「その反響の全てが、自分も見た、もしくは、見たかもしれない……。 そんな内容ばかりなんです」
「……それが?」
「先生は、TELLERに選ばれた事で、『赤い外套の怪人』を生み出した……そう言いましたよね? その力……、実は……まだ残ってるんじゃないですか?」
「…………」
「つまり、その力が残っている間に……書くんです。 TELLERを退治するためだけの……妖の物語を……。 TELLER風に言うのならば……、紡ぐんです……TELLERを倒しうる怪異を」
そう熱を帯びた口調で語った久古君の瞳が、怪しく光ったような気がした。




