怪異を紡ぐ者
樹神 理恋の言っている事は、半分以上、わからなかった。
赤マント?
赤いちゃんちゃんこ?
語り継がれる?
……何を言っているんだ?
いや、そんな事より……僕が生み出したとは、どういう事だ? 書いた物語が現実になってしまうなんて……。 いや確かに、その可能性について、不安に思っていた事はある。 だが、有り得ない。
もし、そんな事が起こり得るならば、世の中の怪奇小説家達は、皆、妖や霊を生んでいる事になってしまうじゃないか……
いやいや、そもそも……樹神 理恋は死んだはずなのだ。
……では、目の前で笑っているコイツは……ナンダ?
「あら? まだピンと来てないのかしら? あんなに丁寧に教えて差し上げたのに……」
「……きみ……いや、お前は……なんだ?」
「いやですわ、先生。 先程も申し上げた通り、樹神 理恋……ですわ」
「いや、樹神 理恋は死んだ。 死んだんだ……。 お前は……なんだ? ……なんなんだ!?」
その問いに、樹神 理恋を名乗る女の笑みが深くなったうな気がした。
「………………」
薄らと笑みを浮かべたまま、黙り混む女。
パキ
パキパキ……
「……な!?」
気が付くと、辺りには、何かの欠片のように見える、無数の白い物体が宙に浮いていた。 その光景は、まるで雪景色のように美しく、傍に絹代と正一の遺体があるというのに、一瞬で心を奪われてしまった。
白い欠片は、ゆっくりと女の元へ移動を始める。
パキ……パキ……
女の元へ移動した白い欠片は、そのまま女の身体を覆っていく。
元々白かった女の素肌が、さらに白い欠片に包まれ始める。
足を、
体を、
指を、
首を、
顔を。
彼女の全身に欠片が纏わり付いていく。
僕は、息を飲む事すら忘れ、その光景に見蕩れてしまった。
パキパキ……
女の身体も……顔も……髪も……何もかもが白く覆われる。 その顔は、まるで仮面のように無表情なものへと変貌していく。 無数のヒビの入った白い仮面の中で、目の部分だけが、暗く、ひたすらに暗く、まるで、光すらも吸い込むような純粋な黒のように思えた。 その右目の下にある一際大きなヒビのせいで、涙を流しているような表情にも見えた。
その姿は、禍々しくも美しかった……
「……私は……TELLER……。 怪異を紡ぐ者……」
「……かい……い……?」
「ふふふ、妖怪や妖……この世ならざる世界に生きる者……それが怪異……ですわ」
美しい異形に変貌するも、聞き慣れない怪異なる言葉を説明する、その口調は……今までの樹神 理恋のままだった。
「……この世ならざる世界に生きる……者……を……紡ぐ……?」
「そう……。 怪異を紡ぐ者。 怪異を語る事で怪異を生み出す者……。 --の眷属にして、時を泳ぎ、世界線を跨ぎ、狂気と混乱を生み出す者……」
白く美しい異形が口を開く。 何を言っているのか、さっぱりわからなかった。
「先生は、私に選ばれた事で……自ら……怪異を生み出しましたの。 先生、自らの手で……」
その口調は、無表情な顔とは裏腹に、やけに楽しそうに聞こえた。
……足が震えた。
彼女の言を借りるならば……『怪異を紡ぐ者』も、また『怪異』でないと成立しない……。生まれて初めて遭遇する、この世ならざる世界に生きる者……、怪異。 絹代と正一の死によって麻痺していたものが頭をもたげ始める。
……それは、恐怖だった。
……動けない。
あれほど、怒りで……殺意で……燃え上がっていたというのに……
恐怖で動けない……
そして、頭に浮かぶのは、一つの疑問だった。
なんで?
なんで、僕が……?
「ふふふ、なんで自分が選ばれた……? そう思ってますのね?」
そう、なんで自分が……
「ふふふ、理由なんてありませんわ。 正直、怪奇小説を書く者なら誰でもよかったんですの。 まぁ、……強いて言うなら……そうね……なんとなく目に付いたから……かしら?」
は?
なんだ、それ……
「ふふふ、理不尽でしょ? でも、ごめんなさいね。 だって、悪意って……理不尽なもの……なんですもの」
パキキ……
その黒い瞳が醜く歪んだ気がした。
「ぼ……僕を……僕の事も……殺すのか?」
「あら、先生、随分と物騒な事をお考えになりますのね。 殺す? とんでもない! だって、先生は、もう何も出来ることなんてないんですもの」
「…………」
「先生だって、蜂や百足のような害虫ならともかく、その辺に這いつくばっている、なんの害もない、ただの虫けらを、わざわざ殺して歩くなんて、不毛な事、しませんわよね? 先生は、もう用済みですの。 カッスカスの絞りカスみたいなものですわ。 それをわざわざ殺すなんて……。 それよりも、そうやって、絞りカスが、悔しがったり、怒ったり、怖がったり……、そんな姿を見る方が楽しいに決まってるじゃありませんか?」
怖気付いている場合ではないだろう……。 妻と息子を殺されて……。 ここまで、虚仮にされて……。 怖気付いている場合ではないだろう……。
僕は、無理やり、右足を一歩踏み出した。
殺すのだ! ……いや、殺せないまでも、せめて、一発は殴らなくては……。 このまま、おめおめと逃げ帰れば、絹代に、正一に顔向けできない。
ジャリ
僕は、震える足を押さえ込んで、左足を動かす。
「あら? まだ心が折れてないんですのね? 見直しましたわ。 でも……無駄……ですわ」
白い女がそう言った瞬間、激しい衝撃が走り、身体が後ろに吹っ飛んでいく。
何が起きたのか、まるで理解できない……。
気がついたら、地面に突っ伏していた。
身体が動かない……
辛うじて、動かせる指先で地面を引っ掻く。爪が剥がれ、血が滲む。 その痛みで、意識が覚醒する。 なんとか顔を持ち上げて、少し遠ざかった白い女を睨む。
「ふふふ、執念……ですわね。 ……ま、でも、もう終わりね……。 だって……ふふふ、……もう飽きちゃったんですもの」
白い女が無表情のまま、楽しそうにそう言うと、いつの間にか、隣に、夜の闇よりも濃い闇が……、真っ黒な球体が出現していた。 その黒い球体の表面は、まるで放電するかのように黒いナニかが、バチバチと迸っていた。
バイバイ
白い女が黒い球体に触れた瞬間、白い女の姿が消え失せた。 たった一言だけ残して……
その光景を見たのを最期に、僕は……意識を……
……失った。




