悪夢
「いやぁ、すごいことになってますねぇ」
「いや、他人事じゃないよ」
「まぁまぁ、いいじゃないですか。 なんたって、先生の書いた作品が町中の噂になってるんですから……。 作家冥利に尽きるって奴じゃないですか?」
「そんな単純な話じゃないよ。 君のとこの雑誌だって、そんな売れてる訳じゃないだろ? 僕も、自分の作品が町中に響くような……そんな作品は書けたなんて思ってないんだから……」
二人目の犠牲者が出てから1ヶ月……。 数日ぶりにやってきた久古君が楽しげに笑うのを見て、呆れてしまう。 ことは、そう単純な話ではないのだろうから……
「不安……なんですか?」
「あぁ、なんかこう……自分の作品が勝手に独り歩きしているような、僕の手を離れて、とんでもないモノになっているような……そんな焦燥感……。 君にわかるかなぁ……」
「おまけに連続殺人ですもんね。 先生ほどの苦悩はないにしろ、僕にも思うことはありますよ。 でも、今さらどうしようもないじゃないですか……」
絹代が持ってきたお茶を飲みながら、久古君が眉をしかめた。
樹神君が亡くなってから、絹代がお茶を運ぶようになった。 まぁ、樹神君と出会う前の状況に戻っただけなのだが……
そこで、ふと違和感に気付いた。
絹代は、樹神君と面識があったはずだ。 なんせ、絹代が入れたお茶を樹神君が運んできていたのだから……。 樹神君の遺体は、未だに身元不明扱いになってはいるが、樹神君が急に現れなくなった事に対して、何も思っていないのだろうか?
……少なくとも、僕に対して、「最近、樹神さん来ないですね?」といった会話を切り出してきた事は一度もない……。
もし、絹代が樹神君の詳しい身元を知っていたら、捜査も多少は進展するのではないか?
今まで避けていた話題だが、聞いてみた方がいいかもしれない……。
「まぁ、あまり考え過ぎない方がいいんじゃないですかね? たまたま、殺人事件が起きて、雑誌を読んだ誰か一人が、それを結びつけて……、それが噂になった。 それでいいじゃないですか。 先生が思っているような、小説が現実になって独り歩きしてる……なんて事は有り得ませんよ」
その言葉を聞いて、思わずドキリとする。 はっきりと口にした訳ではないが、僕が不安に思っていたのは、まさにそれだった。
自分があんな小説を書いてしまったがために、それが現実となり、独り歩きしている……。 自分さえ、あんな小説を書かなければ、樹神君も、あの女性給仕も死ななくて済んだのではないか? 町の噂は、小説が現実になった事を示唆しているのではないか? ということだったのだから……
「……と言っても、そう簡単に割り切れませんよね。 とは言え、僕の方も、あまり気にしない方がいいですよ、と同じ事しか言えない訳ですが……」
久古君は、苦笑しながら、次がありますから、と去っていった。
久古君が去った後、悶々としていた僕は、とりあえず湧いた疑問を片付けるために、絹代に樹神君の事を確認してみる事にした。
「絹代、最近、樹神君が来ないようだけど、何か聞いてるかい?」
「樹神君……って、どなたですか? 三郎さんがそう言うってことは、私も会った事がある方なんでしょうけど……、ごめんなさい。 ちょっと、どなたの事かわからなくて……」
「え? いや、ほら、以前、よく絹代の代わりにお茶を運んできてくれた女性だよ」
「? お茶は、いつも私が運んでましたけど……」
「そ、そうか……。 僕の勘違いだったかな……。 いいんだ。 忘れてくれ」
咄嗟に答えたが、内心は混乱していた。 絹代は、樹神君を知らない……。
……どういう事だ?
かえって疑問が増えてしまった僕は、混乱する頭をどうにか宥めながら、その日を過ごした。
◇ ◇ ◇
気が付くと、また暗い路地に立っていた。
目の前には獲物がいる。
今日の獲物は子供だ。 坊主頭の子供。今回は男の子のようだ。 可哀想にガタガタと震えているのがわかる。
少し、落ち着けてあげないと……
僕は、男の子の低い肩にポンと手を置く。
途端にビクリと跳ね上がる肩。 この反応は、皆同じなのだな、と苦笑しながら、いつものように肩に置いた手を這わせて、首に持っていく。
華奢な首に手がかかると、男の子が口を開いた。
「ぼ……ぼくを……殺す……ですか?」
その声を無視して、首を撫で回す。
「あ、赤い……がいと……の……怪……人……ですよね」
この子は、今までの女性と違い、大声を出そうとしないのだな……と思いながらも、その声を無視する。
「………………」
首を弄り回した手を顔に持っていくが、多少、身を捩りはするが、必死に耐えているようだった。 やはり、今までの女性とは違う。
少し、物足りなさを感じながら、軍刀に手を掛ける。 今までと違い、あまり面白みがないので、さっさと片付けてしまおう。
チャキ
その音の意味がわからないのか、男の子は微動だにせず立ち続けている。 そのまま、軍刀を前に回し、いつものように喉を切り裂いた。
「 ふぁ 」
いつものように間抜けな音を立てて、血を噴出させる獲物の頭を鷲掴みにして後ろに倒す。
喉から、噴水のように血を流している子供の顔は、息子の正一のものだった……
「正一!」
不意に、女性の声が響いた。
声のした方を見ると、一人の女性が慌てて駆けて来る。 絹代だった。 可哀想に……。 息子の姿を探して、町中を駆けずり回ったのだろう。 随分と息を切らせているように見えた。
「……正一……」
駆けてきた絹代は、僕に一瞥もないまま、倒れている正一の元で跪いた。
「正一! 正一!」
絹代は、血が衣服に着くのを躊躇うことなく、正一の上半身を起こすと、抱きしめながら泣き喚いた。
「この子の……母……親……か?」
思った以上にしゃがれた声が、自分の喉から捻り出された。
「だったら何だって言うんだい!? あんたが……やったのか!」
問い掛けると、絹代は、そう言いながら、こちらを強く睨んできた。 さぞかし、僕の事が憎いのだろう……。 気持ちはわかるが、それだけだ。 同情も憐れみも感じなかった。 ただ一つ、僕の問いに反応してしまったのなら、それで終わりだ……としか思わなかった。
絹代は、自由に身体を動かせなくなったはずだ。
「その子を……離して……立て」
僕のしゃがれた声に反応して、絹代は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔で、僕を強く睨みつけながら、言われた通りに立ち上がった。
僕は、その後ろに回り、軍刀を抜いた。
◇ ◇ ◇
「うわぁぁあああぁぁ!!」
自分の叫び声で目が覚めた。 慌てて隣を見ると、隣で寝ているはずの正一と絹代の姿がない。
……なにも考えられなかった。
僕は、布団から飛び出すと、裸足のままで、汗で纏わりつく寝間着を引きずって、夢で見た路地へと駆け出した。 すぐ近くの路地なのに、やたらと長く走った気がした。
最後の角を曲がると、まだ遠く見える路地に二つの塊が転がっているのが見えた……




