久古君の仮説と町の噂
「なるほど……。 またもや人を殺める夢を見た日に、夢で見た女性が、実際に殺害されていた……と、そういう訳ですね……」
僕は、自宅の書斎で、ちょうど様子を見に来た久古君に、すべてを打ち明けた。 確かに僕には超常の力はない。 では、この現象は、一体なんだというのか……
黙って頷く僕を見て、久古君が顎に手を当てて、考え事をしている。
…………
沈黙が重い……
「いくつか……考えられる仮説は……あります。 ただ、どれもこれも、常識ではありえない話になってきますが……それでも、聞きますか?」
もちろん、聞く。 聞くに決まっている。 このモヤモヤが消えるのなら、悪魔にだって魂を売るだろう。
「一つは……予知夢」
「予知夢?」
「えぇ、夢の中での、超常の力や殺害方法はともかくとして、先生の作品の読者が犠牲者に手を掛ける……。 それを夢という形で警告されている……という考え方です」
予知夢……。 確かに古今東西、夢のお告げや、夢での未来予知は、伝承や昔話ではよく出てくる定番と言えば定番なのだが……。 本当にそうなんだろうか?
「もう一つは……先生の潜在意識と犯人の潜在意識が同調してしまっている……という考え方……」
「……同調?」
「……つまり、先生の作品を読んで、自分が『赤い外套の怪人』だと思い込んで犯行を重ねる犯人の思考を、先生が夢として拾っている……。 と、まぁ、そんな感じです」
いまいちピンとこないが、そんな事があるのだろうか?
「あとは……先生が物語を紡ぐ事で、『赤い外套の怪人』が、現実に生み出されてしまった……という考え方……」
それは、僕があの小説を書いたせいで、樹神 理恋もパウリスタの女性給仕も死んでしまった……ということを意味していた。
「……夢は?」
「…………」
「最後の説だったとして、僕が夢を見る理由がわからない……」
「そうですね。 失言でした。 最後のは忘れてください……」
そう言って、久古君は軽く笑った。
「ともかく! さっき挙げた説もすべて、常識では起きえないものです。 単純に、たまたまの偶然と考えておいた方がいいと思いますよ?」
「………………」
「ほら! あんまり考えすぎないで! 次の作品に取りかかりましょうよ。 と、いう事で、僕は他の先生のところを回らないといけないので、ここらで失礼しますね」
「あ、あぁ」
「……本当に大丈夫かなぁ?」
そう苦笑して、久古君は、去っていった。
しばらく、僕の頭の中を回っていたのは、最後の仮説……。 僕が『赤い外套の怪人』を生み出してしまったかもしれない……ということだった。
◇ ◇ ◇
二人目の犠牲者が出てから、数日経ったある日、四歳になり、よく喋るようになった息子の正一が夕飯時に、とんでもない事を言い出した。
「お父さん、『赤い外套の怪人』ってご存知ですか?」
思わず、飲んでいた味噌汁を吹き出してしまうところだった。 正一は、僕が物書きをしている事は知っていたが、それが怪奇小説だということも、その内容も知らないはずだった。 妻の絹代はと言うと、昔から怪談が苦手らしく、僕が怪奇小説で生計を立てている事は知っていたが、正一と同じで僕の小説を読んだことはなかった。
だから、正一の口から『赤い外套の怪人』の名前が出てくる事は、驚き以外のなにものでもなかった。
「……『赤い外套の怪人』?」
「えぇ、その怪人に出会うと攫われて、殺されてしまうらしいのです」
「…………」
「なんでも、高田さんとこの清君から聞いたって、夕方からずっと、その話ばかりなんですよ……」
なんで、『赤い外套の怪人』の話が正一の口から出たのかと、訝しんでいると、絹代が説明をしてくれる。
「ここ最近の物騒な事件……あれらは全部、その怪人の仕業だと、ここいらで噂になっているらしくて……」
いや、おかしいだろ?
そもそも、僕が書いた『赤い外套の怪人』が載っている雑誌『奇々怪々』は、発行部数は雀の涙なのたから、それが町で噂になるなんて……。 ある訳がないのだ。
「……ばかばかしい。 そんな怪人いる訳がないだろう。 馬鹿な事を言ってないで、早く食べなさい」
心の中の動揺を隠して、芋の煮っころがしを口に運びながら、そう告げる。
そう、そんな事……ある訳がないのだ。
そう自分に言い聞かせたはいいが、想像以上に噂は飛び交っているようで、その後、何度も町で『赤い外套の怪人』という名前を聞くようになった。
時には、向かいの奥さんから……。 時には、三軒隣のご隠居から……。 時には道で集まって遊んでいる子供達の会話から……。
あらゆるところで『赤い外套の怪人』の名前が聞こえてきた。




