はぁ?
お札が取れた少女は、薄汚れたボロ布を纏っていた。 見晴らしのよくなったその顔は、相変わらずの長い髪のせいで目元は見えないが、透き通るような白い肌と薄い紅色の口元が、妖艶さを醸し出していた。
何の枷もなくなった少女は、両手をグー・パーして、自分の力を確認しているようだった。 その雰囲気は、完全体になったばかりの、とある人造人間を彷彿とさせる。
……そして、その口元が歪められた。
次の瞬間、僕は度肝を抜かれた。 少女が一瞬で消えたから……。 いや、正確には目で追えないくらいの速さで動いたのだろう。 気が付くと、少女は営業の目の前に立って笑っていた。 営業も、動きが見えなかったのだろう。 ……今さらながら、霧吹きを少女に向けるが、まるで気にしないとでも言うように、少女の右腕が動いた。
チャリ。
金属音がした。 弾けるように飛び退いた営業が自分の左耳を押さえながら蹲っている。
そして、少女の足元には、……チャームのついた耳が落ちていた。 少女の白く美しいはずの右手が血に染まっている。 ……状況の理解に時間が掛かった。 何が起きたのか気付いたと同時に営業を見ると、左耳を押さえている手が真っ赤な色に染まっていた。
「ギッギッギ……」
少女が肩を揺らしながら嘲笑う。 流暢に喋れるようになっても、笑い方は不気味なままなのが余計に腹立たしい。
「営業さんっ!」
慌てて駆けよろうとするのを、苦痛に顔を歪めた営業が手をかざして制止する。
「来んでええっ! まるで、武○のじっさまみたいになってもうたわ……。 とは言っても、こんなネタわかる奴は、そう居らへんやろ……。 ほんま、かなわんわ……。 修蓮! なにボサッとしとんねん。 逃げる準備や!」
営業が叫ぶが、修蓮さんはモジモジして、動き出そうとしない。 こんな時に何をやっているのか?
「……なの」
「「は?」」
「……2シーターなのっ! 私の車!」
そうだった。 修蓮さんの車は、バリバリのスーパーカーで、運転席と助手席のみの2シートの車だった。 行きの時に、生まれて初めてスーパーカーとやらに乗ったが、内装もカッコいいし、ドアもガルウィングでカッコよかった。 一体いくらするのかわからないが、お高い事は確かだろう。 乗ったのは、ほんの僅かな時間だったが、僕の中の憧れの車ランキングを塗り替える程の素敵な車だった。 ……が、今この場から三人で逃げる事を考えると、乗り込むのに手間取る上に一人乗れないのだから、不適切極まりなく思えた。
「ツ……なんでやねんっ!」
営業の突っ込みが、閑静な田舎町の喫茶店駐車場に響いた。
先程まで楽しそうに笑っていた少女が、再びゆらりと動く。 それを見た営業の表情が引き締まり、右手に持っている符を翳す。 次の瞬間、営業が転がってその場から離れる。 見ると、先程まで営業がいた位置に少女が蹲っていた。 少女の動きがまったく見えない。
「ギッギッギギ……」
気が付くと、営業も修蓮さんも顔に赤い発疹ができていた。 少女は弄ぶように、営業を追っては笑い、笑っては追うを繰り返している。 営業は息も絶え絶えに逃げながら、符を貼ろうと隙を伺っている様だった。 だが、捕まるのも時間の問題に思えた。
ザリッ。
なんだ? ふと、音が聞こえた。
ザリッザリッ。
その音は、アスファルトに踵を摺るような音に聞こえた。 そう……人の歩く音が通りの方から聞こえてきたのだ。 最悪だ! 通行人がこちらに歩いてきている。 駐車場には修蓮さんの車以外に2台の車と大型のバイクが駐まっている。 喫茶店から出てきた人かもしれないし、ただそこを通過しようとしている人かもしれない。 ただ、少女がその動向を黙って見守るとは思えなかった。 このままでは、無関係の人まで犠牲になってしまう! 僕はどうしようもない気持ちのまま、通りを見つめた。
ザリッザリッ。
そこにはアロハとハーフパンツ、サンダル履きというラフな風貌の茶髪の男が、気怠そうに歩いているのが見えた。 そして、その顔を見て思わず声を上げてしまう。
「あ!」
その声を聞いて、男がこちらを見るのと少女が男を見るのは、ほぼ同時だった。
「お! 航輝じゃん。 よかった、臨太郎に住所送られて、そこに行けって言われたけど、結構、駅から遠いじゃん。 しかも、ここにいるって事は、普通にそこに辿り着いてたら、すれ違いだったわけじゃん? ……本当、ここで会えてよかったわぁ」
それは、柊だった。
柊は笑いながら、こちらに向かって歩いてくる。 軽い感じでヒラヒラと手を振りながら……。 営業と少女の間を、なんでもないように歩きながら……。 そして、それを見た少女は獲物を見つけたかのように、舌舐めずりして、柊に向かってゆらりと動いた。
危ないっ!
次の瞬間、少女の手が柊の胸から生えていた……。 少女は何事もないように通り過ぎた柊の背中から、右手で柊の心臓を貫いたのだ。
「うわぁぁああぁぁ!!」
目の前で、人が殺されるのを初めて目の当たりにした僕は思わず叫んだ。 叫ばずにはいられなかったのだ。 僅かな面識しかなかったが、気のいい奴だった。 そんな気のいい奴が、こんな風に……、なんで自分が殺されるかもわからないような、そんな風に死ぬなんて……。 それもこれも全部、僕があんな事をしてしまったせいなのだ。
「……なに? どうした? 急に叫んで……」
柊は眉間に皺を寄せて、何事もなかったかのように尋ねてくる。 胸には、鮮血が出て……ない?
「は?」
思わず、素っ頓狂な声が漏れる。 少女は、小首を傾げながら自分の右手をじっと見ている。 ワキワキと動かしながら……。 営業もポカンと口を開けて見ている。 修蓮さんは、物凄い勢いで目をゴシゴシ擦りながら、柊を見ている。
……何が起きた?
あれ? 見間違いだったのかな?
そう思っていると、再び少女が右腕を振りかぶって、柊に向かって、物凄いスピードで振り下ろした。 営業の耳を落としたやつだ! ……が、その腕は柊をすり抜ける。 勢い余った少女が、体勢を崩して、そのまま柊に……ぶつか……らない!? なんで!? 少女は、右腕と同じように、柊の身体をすり抜けてヨタヨタとしている。
「「はぁ?」」
僕と営業の声がハモる。
柊は、キョロキョロしながら営業を見て、次に修蓮さんを見る。
「なに? なんか取り込み中だった? ……今なんかまずい感じ?」
少女はムキになったのか、クレイジーダイ○モンドばりに、ドラララァと両手で柊を攻撃するが、その全てがすり抜けている。 ……夢でも見ているのだろうか?
「なに? ……ひょっとして、今……来てるの? 例のアレ」
頭をポリポリと掻きながら尋ねる柊に、僕は頷く事しか出来なかった。 ……柊には、見えてないのか?
「ふぅん。 そっか。 じゃあ、ちゃっちゃとやっちゃうかぁ」
いつの間に出したのか、柊は左手の脇に赤い本を挟み、右手で煙管を吹かし始める。 その煙に巻かれた少女が苦しみ始める。
「……ぐ……くぅ」
苦しみ始めた少女に、柊は、この辺か? と呟きながら、煙管を振りかぶって、思いっ切りスイングする。 その煙管は少女の横っ面に直撃し、少女はアホみたいに吹き飛んでいく。
「「「はぁぁ!?」」」
今度は、僕と営業と修蓮さんがハモる。
……滅茶苦茶だ。
そして、少女の周りに漂っていた煙管の煙が、まるで少女を縛るように纏わりついており、少女は起き上がろうとするが、本当に縛られているかのように、その動きを阻害しているように見えた。 ……やがて、少女は動くのを諦めたかのように、パタリと動きを……止めた。
それを唖然として見ていた僕らだったが、やがて営業がその沈黙を破った。
「……自分、なんやの!?」
営業の突っ込みが、閑静な田舎町の喫茶店駐車場に響いた。
「俺? 俺は、柊。 柊 鷹斗、妖狩りだ」
柊は、ニカッと白い歯を光らせながら、ドヤ顔で決めて見せた。




