怪人の話
「はい。 確かに原稿いただきました。 ……と、いうことで、怪人の話をしましょうか」
書いたばかりの原稿の入った茶封筒をぞんざいに扱いながら、久古君が笑顔で話題を変える。 正直、ここまで熱心なのは、今までにない事だったので、こちらは、正直、及び腰になってしまう。
「そういう熱心な態度は、他の話にも見せていただきたいものだねぇ。 ……そんなに怪人の話が大事なのかい?」
煙草盆を取り出しながら、そんな言葉が口をついて出る。
以前、怪人の話が読みたいと言っていた久古君。 よほど読みたいのだろうが、変なところで慎重なせいか、未だ執筆には至っていなかった。
彼曰く、時効になったとは言え、近年稀に見る凶悪な事件のため、それを元にした話は、時効後直ぐに発表したら、世間の反感を買いかねない。 例え、部数が少なくても……らしい。
もちろん、僕はその考えに反対した。 反感を買うというのは、それだけ不快だということだ。 僕の考えでは、怪奇小説とは不快なものなのだ。
嫌な汗をかきながら話を読み、読後に本当にあったのなら、堪らない! と思わせ、寝付けない夜などに不意に思い出し、ますます眠れなくなる。 それこそが怪奇小説の真骨頂だと言えるだろう。
……が、久古君は頑として自分の意見を曲げなかった。
結果、発表は半年から一年の後とし、それまでに話を詰めていきたい……と、いうことになった。
「もちろん、怪人の話は、僕にとって一大事ですよ。 せっかく、先生が僕の要望を飲んでくれるってんですから、一切の妥協はしたくありませんね」
……その言葉に、煙管に葉を詰める手が止まる。 正直、その熱意に恐怖すら感じてしまう。
「キュー、無茶を言うのは、それくらいになさいな。 先生が困ってますわよ? ね、先生」
あれから、頻繁に入り浸る樹神君が、いつものようにお茶を持ってやってきた。 彼女は、最初に顔を出して以来、怪奇小説の打合せを見計らったように、やってきては意見を述べて帰っていく。 そんな彼女の意見は、参考になる時もあったし、まったく参考にならない時もあった。
「また、君か……。 先生のファンだかなんだか知らないが、ちょっと顔を出し過ぎじゃないのかい? それこそ、先生が困っているのがわからないか? ね、先生」
また、いつものようにやり合う二人。 なんだか妙に仲良く見える。 正直、二人に対しては、同じように困っているのだが、なかなか、その事が言えない……
「まぁまぁ。 ところで、怪人の話なんだがね。 この間、ダメ出しされたところを考え直してみたんだが、聞いてくれるかな?」
話を逸らすために、怪人の話を出してみる。 久古君は、怪人の話と言うと、黙って聞こうとするし、樹神君に至っては、怪奇小説の話と言えば、目を輝かせて聞こうとする。 よって、二人を黙らせるには怪人の話が最適と言えるだろう。
「久古君の意見は、親戚の使いだと言って家人を呼び出そうとするのは、そのまま『青ゲットの殺人事件』を連想させるから、別の方法がいい、と。 ここまではいいね?」
その言葉に、素直に頷く久古。
「それを受けて、怪人なのだから、何か超常の力を使って、呼び出すのがいい、というのが樹神君の意見だったね」
その言葉に黙って頷く樹神。
「確かに、この話は、殺人鬼ではなく、怪人の話にしたい訳だからね。 樹神君の意見も一理あると思う。 普通の……まぁ、敢えて普通のと言わせもらうが……普通の殺人鬼とは一線を画すには、超常の力、というのは分かりやすいと思う」
やたらと、得意げな顔で、久古君を見る樹神君。
「だから……返事を使う事にする」
「返事……ですか?」
「そう、返事だ。 怪人に話しかけられて、返事をしたら連れ去られてしまう……というのはどうだろう?」
「なるほど……。 『おらびぐら』……宮崎の伝承を元にしているんですね?」
まったく……、この久古という青年は、僕よりも十以上も年下だというのに、こと怪談・民話・昔話となると、その知識の底が見えない……
「そう、『おらびぐら』だ。 よく知ってるね……」
『おらびぐら』とは、山姥との声比べのことで、一度返事をしたら最後、やり負けてしまうと喰われてしまう、という宮崎の昔話だ。 得体の知れないモノに、いい加減な返事をすると恐ろしい目に遭う、という教訓話となっている。
「先生、連れ去られた者は、その後、どうなるんですか?」
「その後は、……『青ゲットの殺人事件』と同じように、経緯は不明だが、後に遺体で発見される……とした方が、想像力を掻き立てられて、より怖いんじゃないか、と思ってるんだが……」
「いいですね!」
『おらびぐら』が、正解だった事で上機嫌になった久古君が、目を輝かせて賛成してくる。
「つまり、昔話では、山姥の声に返事をしてしまったがために、声比べ……いわゆる『おらびぐら』が始まってしまう……という話だが、今回の怪人では返事をしたら、声比べという、死を逃れる機会すら与えられずに……文字通り最期を迎えてしまう……という訳さ」
僕は、煙管を吸いながら、二人に、怪人についての構想を得意気に語って聞かせた。
「……私は、それだと少し弱いのではないか……と、思いますの」
意外な所から、異を唱える声が上がる。 樹神君だった。 彼女なら、『流石、先生!』と、無条件で賛成してくれると思ったのだが……
「怪人に呼びかけられる所は、誰にも見られていませんわよね? ……であるならば、後に発見される遺体を見て、人々は怪人の仕業だと、判断できなくてはいけないのではありませんか?」
なるほど……、言われてみれば、納得の意見だった。 ただ、遺体が発見されるのではなく、特徴的な遺体になっていなければいけないのだ。
「ロンドンの……切り裂きジャック……みたいな感じか……」
『切り裂きジャック』とは、1888年にイギリスのロンドンで犯行を繰り返した、正体不明の連続殺人犯の事だ。 被害者は皆、喉と腹部を切られるという特徴があり、中には内蔵を抜き取られている遺体もあったと言われている。 その残忍で猟奇的な事から、『切り裂きジャック』の名前は、世界で最も有名な殺人鬼となった。 もちろん、例に漏れず、この日本でも当時はかなり取り沙汰されたらしく、未だに『切り裂きジャック』を元にした怪奇小説は掃いて捨てるほど書かれている。
「えぇ、彼のように、誰が見ても、『赤い外套の怪人』の仕業だ、と思えるような特徴的なものがよろしいのではないかしら?」
特徴的な遺体……。 誰が見ても『赤い外套の怪人』の仕業……
「遺体は、皆、うつ伏せで首から背中にかけて、激しい出血を伴っている……。 そう……赤い外套のように……ってのはどうだろうか?」
「なるほど、『赤い外套の怪人』だから、被害者も『赤い外套』を着ているように見える……と。 ……死因は、首の後ろを切断されるということですかね……。 致命傷としては弱い気もしますが、出血の量で死亡させるという解釈ですね」
なんだか、不満そうな久古君。 確かに死因に派手さはない。
「なんだか、不満そうだね。 では、『切り裂きジャック』と同じように、喉を掻っ切る形にして、血溜まりに仰向けで横たわる姿が『赤い外套』を羽織っているように見える……という表現でどうだろうか?」
「先生! それは素晴らしい発想ですわ! ぜひ、その方向でいきましょう!」
樹神君が、嬉々として賛成してくる。 どうやら、樹神君からは、合格がいただけたようだ。
「ちなみに、どういった問いかけにする予定ですか?」
久古君の話題が変わった。 これは、久古君も納得した……と、受け取っていいのだろうか?
「あぁ、問いかけというか……呼び掛けでも挨拶でも、正直、なんでもいいんだ。 例えば、『こんばんは』に対して、『こんばんは』でもいいし、『もし、そこの方』に対して、『はい? あっしですか?』でもいい。 とにかく、なんでもいいから話し掛け、それに対して、返事をしたら駄目だという事にしようと考えている」
久古君も納得したとして、とりあえず、自分の考えを述べる。 問い掛けのルールを敢えて作らないことで、『赤い外套の怪人』という内容で、何話か切り口を変えて書けそうだ、という打算も、もちろん入っている。
「流石、椿先生ですわ。 あぁ、原稿が出来上がるのが楽しみですわ」
怪奇小説の打合せの度に、嬉しそうな表情を見せる樹神君が、いつも以上に恍惚とした表情を見せた。




