零感
じゃり、じゃり、じゃり
静寂の中、サンダルが、境内の小石を踏みしめる音が響いていました。 私は、何も考えられずに、ただただ、その若者を見ることしか出来ませんでした。
ハッと我に返った瞬間、私は慌てて翁を見ました。 翁は薄ぼんやりと輝きを放ちながら、何事もないかのように、舞を続けています。
次いで、若者の方を見た時に、私はギョッとしました。 宙を舞っている扇が、いつの間にか若者の付近でフワフワと漂っていたからです。 あっ!と思った時には、扇は若者に向かって、回転しながら向かっていました。
「危ないっ!避けろっ!」
思わず声を上げました。
若者は、その声に反応して、私の方を見ました。 でも、私が求めていたのは、私の方を見る事ではなく、扇を避けることです。 私の方を見ていたのでは、残念ながら回避など間に合いません。 当然のように扇は若者に突き刺さりました。
……突き刺さったように見えました。
ですが、私は次の瞬間、呆気に取られました。 突き刺さったはずの扇が、若者の身体をすり抜けたからです。 若者の身体をすり抜けた扇は、空中で旋回し、再び、若者へと迫りました。
……
再び、扇は若者の身体をすり抜けました。 正直、理解が追いつきませんでした。 そんな私が弾き出した結論は、……若者も私と同業者なのだ……という事でした。
そう考えたら、人祓いの符を潜り抜けてきた事も、扇がすり抜けた事も、腑に落ちました。 どんな能力かは、わかりませんが、霊能力を使った特殊な能力で、妖の攻撃を避けている……そう思いました。
「げっ! おっさん、なんか怪我してるじゃん!」
若者は私を見ると、そんな場違いな言葉を吐き出しました。
「……ちょっと、ヘマしてな……。 気をつけろ! 奴の扇がまた来るぞ!」
私は同業者である若者の呑気な言葉に苛立ちながら、そう答えました。
「……扇?」
若者は、訝しげな表情を浮かべながら言いました。
「……だから! 奴の攻撃だっ!」
「奴?」
「社で、舞っている妖だ! あいつは、扇を自在に操って攻撃してきてるだろうがっ!」
私は苛立ちを抑えきれずに、若者に対して、捲し立てました。 ……若者は訝しげな表情を浮かべながら、社の方を見ましたが、しばらくそちらの方を見た後、首を傾げながら、こちらに向き直りました。
「おっさん、脇腹の怪我だけじゃなく、頭でも打ってんのか? あ~、もしかして、アレか? 飲み過ぎたか?」
若者の言葉に、なんとも言えない気持ちの悪さを感じました。 同業者にしては、話が通じなさ過ぎる……。これが、妖を油断させるための演技だとしたら、本当に大したものだ……。 そんな風に思いました。
そんな会話をしている間にも扇は、私に近付いてきている若者の身体を何度も何度も襲いましたが、すべてすり抜けていました。
とうとう若者は、私のすぐ近くにやって来ました。
「うわっ! 近くで見たら、その傷かなりやべぇやつじゃん。 待ってな、今、救急車呼んでやるから……」
そう言いながら、若者はスマホを取り出しました。
「待て! 待った! 私ならまだ大丈夫だ。 だから、まずはあいつを何とかしないと……」
私は、若者の感性を疑いました。 そもそも、人祓いの符を展開した神社に、救急隊員は近付けません。 それを掻い潜ってきた者の発言にしては、考え足らず過ぎでした。 それに、まだ妖がいると言うのに、一般人を招き入れようなんて、正気の沙汰ではありません。
「君の……その防御は確かに素晴らしい……だが、何か攻撃手段はないのか?」
「……? さっきから、何言ってんの? マジやべぇな……」
徹底的に話が噛み合わない……。
私は混乱しました。 その時です。 一つの可能性に気付いたのは……。
まさか、視えていない……?
いや、そんな事がありうるのか? あそこまでの存在感を持った妖が視えないなんて有り得ない。 でも、もし視えていないのだとしたら、同業者という事も間違いだった事になります。 それでは、扇が身体をすり抜ける事の説明が付かないのです。
私は、一瞬、浮かんだ考えを振り払うかのように頭を振りました。
「……あそこに……何が視える?」
私は、思い切って、社の中で未だに舞いを続けている翁の妖を指さしました。
「……神社」
その答えを聞いて、目の前が真っ暗になるような感覚を覚えました。
「……視えないのか? あそこで舞っている妖が……。 じゃあ、あれは? あそこには何が見える?」
今度は、宙を舞っている扇を指さしました。
「……木?」
その答えを聞いて、唖然としました。 やはり、何も視えてないのだ……と。 この若者に、あの妖も、その攻撃である扇も視えない事は理解出来ました。 著しく、霊感が弱い……。 それで、説明が可能な現象でしたから……。 でも、どうしても、妖の攻撃が効かない理由がわかりませんでした。
霊感が弱い……それだけでは扇が身体をすり抜ける理屈が通りません。 例え、視えなくても、妖の影響はあるのですから……。 実際、霊が視えなくても、霊障を受ける事は、多々あることです。 それこそ、完全に霊感がないのなら話は別ですが……。 ならば……無自覚の能力者? 私は、妖と戦っている場では、命取りになりかねないとは思いながらも、意識の全てを若者に向けました。 霊視するためです。
……結果は、おわかりですよね?
若者を霊視しても、何も視えなかったのです。 俄には信じられない事ですが……この若者には一切の霊感がない……そうとしか思えませんでした。 確かに、霊感がなければ、扇の攻撃がすり抜けるのもわかります。 霊感が一切なければ、向こう側からの干渉も一切ないのてすから……。 ある意味無敵です。 妖のどんな攻撃も、呪いも、何も干渉してこない訳ですから……
でも、そんなことは有り得ないはずなんです。 人には強弱の違いはあるにせよ、必ず霊感が備わっているものなのですから……。
訳がわからない……
私は、戦いの中で戦いを忘れ、ひたすら混乱していました。




