翁舞
……来た。
私は、静かに立ち上がり、煙管から煙を吐き出し、身体に纏わせました。
……ん? なんだか不思議そうな顔をしていますね……
あぁ、そういう事ですか……
タカのやり方に慣れていると、煙を纏うというのが、よくわからないかもしれませんね。 でも、本来、煙管の主な使い道は、防御なんですよ。
霊感のないタカには必要のないやり方ですから……、ピンと来ないのもよくわかります。
修蓮さんもご存知の通り、妖の攻撃というのは、一つ一つが致命的なものがほとんどです。 ですから、妖に干渉する力を持った煙を身体に纏う事で、簡易的な鎧を造る訳です。もちろん、私の前の本の持ち主も、そのように使っていました。
失礼。
少し、話が逸れましたね。
私が、煙を纏ったところで、木箱に入っていた翁の面が浮きました。 そして、私の顔の高さまで浮かび上がると、ゆっくりと裏返りました。 面の裏側は、暗い闇に視えました。
面は、そのまま、私の顔へと素早く飛んで来ました。
おそらく、私の顔に張り付こうとしたのでしょう。 私は、咄嗟に煙管で面を打ち、軌道を逸らしました。 弾かれた面は、少し、離れた位置で停止して、今度は、私の方へ表の面を視せました。 その場でユラユラと揺れると、面に身体が出現しました。 妖が顕現したのです。
頭には、烏帽子、狩衣に袴。 右手に扇を持つ、その姿は、翁舞の姿そのものでした。 私は、その姿を見た瞬間に、激しい憎悪に囚われました。 本の影響です。
翁は、ゆっくりと床に足をつけました。
翁が床に足を付けた時、床に敷き詰めておいた起爆符が爆発しました。 バンッバンッと激しく鳴る爆発音。 私は、妖が怯んだ隙に面に起爆符を当てようと、起爆符を括りつけた 苦無を懐から取り出しました。
しかし、翁は起爆符の爆発に怯むことなく、舞を踊り始めました。 翁の足さばきに合わせて、次々と爆発していく起爆符。 まるで意に介さない翁。 いつの間にか頭に流れてくる鼓の音と笛の音。
背筋に冷や汗が流れるのがわかりました。 やはり、守り神として、崇められていただけあり、かなりの力を持っている事がわかりました。
不意に、翁は、右手の扇を私の方へ向け、ずいずいっと近寄ってきました。
次の瞬間、翁の手にあったはずの扇が消えていました。
不味い! と思ったのも束の間、私の展開した煙による鎧は、消え去っていました。 慌てて、周りを見ると、扇は回転しながら、宙を舞っていました。
来る!
私は、慌てて、煙管の煙を扇に向かって吐き出しました。 扇は、煙に囚われ動きを止めました。 ほっとしたその時、腹部に激しい衝撃が走り、私の身体は社の柱に打ち付けられました。 翁に蹴り飛ばされたのです。
衝撃で目がチカチカする中、無理矢理、翁を睨むと、翁の両手に扇がありました。 慌てて、煙管て煙を吐き出し、再び身体に纏わせました。 そのせいで、宙で扇の動きを止めていた煙が消えました。 ……煙管の煙は、複数の目的を持たせて、出せないからです。
宙を舞う三つの扇を避けると、翁の攻撃が飛んできます。 私は、必死に全ての攻撃を避けながら、丸めた符を扇と翁に投げつけました。 翁は、舞うように軽々とした動きで、その苦無をあっさりと避けましたが、扇の方は一つだけ上手く破壊出来ました。
私は、一旦、距離を取りながら、符を丸めると、さらに飛んでくる二つの扇を狙い、二つとも破壊に成功しました。 その隙に、翁が蹴りを放ってきましたが、煙を纏った足で迎え撃ち、そのまま首辺りを狙い打突を放ちました。 まともに喰らった翁は、一旦、距離を取ると、再び、両手に扇を出しました。
そう、煙を纏う事で防御だけでなく、肉弾戦も可能になるのです。 まぁ、タカにはやらないよう言ってありますけどね……。 え? 何故って? そりゃあ、妖に干渉できる煙……ということは、妖からも干渉できてしまう……ということですから……。 せっかく霊感ゼロで攻撃が効かないってのに、そのアドバンテージを自ら手放す必要はないですよね。
そこからは、持久戦でした。 翁は扇を何度も出し、自らも攻撃を仕掛けてきました。 私も私で、扇を符で破壊し、翁に攻撃を仕掛けました。 ……と言うと、上手く渡り合っていたかのように聞こえますが……実際は、私が圧倒的に不利でした。 符は減り続け、体力は削られ続けていました。
少しずつ被弾は増え、煙の展開が遅れた状態で避け損なった結果、傷を負う。 その頻度が、徐々に増えていきました。
符の底が見えてきた私は、タイミングを見計らい、社から飛び出し、神社の境内の脇、鬱蒼と木々が生い茂る場所を確認すると、そこを目指して、走りました。 その場所でなら、木々が邪魔になり、扇の牽制になると思ったからです。
飛び交う扇を避けながら走りましたが、煙は一撃で霧散し、その後も、扇を避けきれず、傷は増えていきました。 ようやく、一際大きな木の陰に飛び込んだ時には、脇腹に大きな傷が出来ていました。
昔なら、その時点で逃げの手を選んでいたのでしょうが、本に憑かれてからは、逃げは選べなくなっていました。 ……憎悪のせいだけではなく、痛みも……本を出している間は、あまり感じない……という事も、その一因だったと思います。
とにかく、どうにかして奴を破壊しなければ……そんな事を考えながら、木の陰から翁の様子を観察していました。
じゃり
じゃり、じゃり
不意に、誰かの足音が聞こえてきました。 人祓いをしている、その神社で……です。
驚いて鳥居の方を見た時、私は目を疑いました。 サンダルにハーフパンツ、アロハといったラフな風貌の若者が白いビニール袋をブラブラさせながら歩いて来るのが見えたのです。




