悪魔との契約
悪魔について調べ始め、しばらくたった頃、俺はまたもや壁に突き当たっていた。 ひょっとしたら、悪魔も空想の産物でしかないのかもしれない……。 そう思い始め、諦めかけていた時、俺はその本と出会った。 その本との出会いはまったくの偶然だった。
タイトルはなかった。
なんの皮か分からないような装飾の、初見では解読が困難な本だった。 まったく、期待しないで、気紛れで入った近所の古書店に置かれていた、よくわからない本だった。
だが、それを手にした瞬間、全身の毛が逆立つのを感じた。 普段、感覚的なものは、好まない性分だったにも関わらず、無意識の内に確信出来た。 これこそが、探しているモノだ……と。
自宅に戻り、寝る間も惜しんで読み耽った。 解読中に、その本には、悪魔について書いてあり、その召喚方法も記載されている事が分かった。
読み終わった後、早速、材料集めに奔走し、全ての準備が整うまでに三ヶ月を要した。 そして、儀式を行い、悪魔を召喚することに成功した。
その悪魔は、黒いモヤのような姿だった。
その声は、耳から聞こえているのか、直接頭に響いているのか、よくわからなかった。
とにかく、ソイツは俺に言った。
「我は、悪魔メフィストフェレス。 叡智ある者よ。 我と契約を交わそう」
メフィストフェレス。 かつて、ファウストが呼び出したとされる悪魔。 知名度は高く、あらゆる創作物にも出てくる代表的な悪魔の名だった。
「契約とは?」
「お前の死後、その魂をいただく。 その代わりに、お前の望みを叶えよう」
想像通りのやり取りだった。
「魂? 魂とはなんだ? 契約を交わすのならば、俺が差し出さなきゃいけないものの情報は、正確に把握したい」
この問いで、長年考えてきた魂について理解出来るはず……
「……魂とはエネルギーのことだ」
「エネルギー? 俺は、食事によりカロリーを摂取する事で、身体を動かすエネルギーとしているはずだが? では、魂として、俺の食事を分け与えればいいのか?」
「否。 食事により発生するエネルギーは、物質界でのエネルギー。 魂は、幽界でのエネルギー」
「幽界?」
「幽界とは、物質界と重なるように存在する別次元の世界。 人間は、幽界では、エネルギーたる魂と、物質界にある身体からデータを授受し記録する魄というものとが混ざった、魂魄の形で存在する」
「死んだら、その魂魄があの世とやらにいくのか? 契約とは、あの世に行くはずの魂魄のうちのエネルギーとなる魂を差し出すという事か?」
俺は、さらに質問を続けた。 死者の国、あの世が存在するのならば、死者蘇生の可能性も出てくる。
「否。 あの世とは、生者が自らの死への恐怖を、周囲の者達の死の悲しみを和らげるために、創り出した概念に他ならない。 人間の死後、魂は流転し、新たな生命へと巡り、魄は地に還る。 契約とは、その本来、次の生命へと巡るはずのエネルギー……魂をいただくということだ」
聞きたくない答えだった。 衝撃だった。 死者の国など、始めからなかったのだ。 ただ、本当の意味で香織さんを蘇生させる事が出来ないとわかったことよりも、自分の今までの研究が無駄になってしまったことの方が嫌だった。……そして、その事に気付いてしまった事が、何よりも衝撃だった。
俺は、自分が分からなくなった。 俺は香織さんを生き返らせたかった。 それは間違いない。 だが、それは本当に彼女と共に過ごしたかったからなのだろうか? それとも、単に知的好奇心を満たす口実にしていただけなのだろうか?
……そんな自分を否定したくて、思わずダメ元の質問が口を突いて出た。
「……望みを叶える……というのは、死者の蘇生も可能なのか?」
「それが望みならば……」
!
魂は流転し、魄は地に還っているのに、そんな事が可能な訳がない。 ……そう思った。
「……どういう理屈だ? 君が用意する、その蘇生した死者というのは本物なのか? 魂は? 魄は?」
「……生前と同じ姿をし、生前と同じ考え方、行動をする。 それを本物と言わず、何が本物だというのだ? そこに理屈も過程も関係ないのではないか?」
そうだ。 その通りだ。 香織さんに恋する前は、ずっとそう思っていた。 相手の心の底など、分かるわけがないのだから……。 相手の性格なんてものは、自分の頭の中で造り上げるものだ。 そう考えたら、メフィストフェレス……メフィストの言う事が全てだ。
…………
「……一つ、質問がある。 ……君は……どんな姿にもなれるのか?」
メフィストの言うことが本当ならば、輪廻転生もないということになる。 それならば、魂を差し出しても、それは死後の話なので、俺になんのデメリットもない。 なら、望みを叶えてもらう以外の選択肢はない。
『飯田 香織の姿と言動で、俺が死ぬまで知的好奇心を満たすための協力をしてもらう』
それが、俺の望みとなった。
俺は、メフィストを通して、様々な知識を得る事が出来た。 メフィストは、俺の知的好奇心を満たすのには、もってこいの性質を持っていた。
概念や思想が、瘴気の力により、幽界と物質界の境界に巣食う存在となる。 それらの存在を精と呼び、悪魔も天使も、精の一種だと言うことだった。 そして、メフィスト……メフィストフェレスは、有名過ぎた。 ……そのため、メフィストは世界各地に同時に存在していたのだ。 それらの世界中に存在するメフィストは、全ての知識、経験を共有していたのだ。
言ってみれば、一人でwwwを体現しているような存在だった。
……そして、それにより得た様々な知識を若き日の香織さんの姿で、声で、俺に提供してくれた。
『山』のスカウトが来たのは、メフィストと出会ってから、一年後の事だった。
「ってか、ぶっちゃけ、プロフェッサー烏丸には、うちで研究して欲しい訳よ」
「おひぃ様、烏丸さんは混乱しています。 もう少し、手順を踏んだ方がよろしいかと……」
突然、家に押しかけてきて、一昔前のギャルっぽい失礼極まりない話し方の女児を、付き添いの女子高生が窘めた。
二人は、こともあろうに、卑弥呼と壱与を名乗り、一方的に『山』についての説明を始めた。 最初は、近所の子供がイタズラをしに来たのかと思っていたが、二人の語る霊や妖の話が、メフィストの語った話とほぼ一致していたため、ひどく驚いた事を覚えている。
「ってな訳で、プロフェッサー烏丸には、うちで研究をしてもらって、片手間で対妖用の法具や武器の製作をして欲しい……みたいな?」
「待て! 俺は武器とか法具なんてものは造った事なんてないぞ? それに、先刻からプロフェッサー烏丸とか呼んでくるが、一体、なんなんだ? その呼び方は?」
今まで、いろいろな研究して、いろんな人間と学術的な話をしてきたが、プロフェッサー烏丸などと呼ばれたのは初めてだった。
「え、出来るっしょ? 武器製作。幽界と物質界の境界に存在する奴らに攻撃を当てる方法とか考えたら、最適な法具、武器造りたくなるっしょ? そういう、自分の興味を満足させるために悪魔メフィストと契約してる訳だし……。 ね? 」
驚いた事に、女児は香織さん……メフィストの正体まで把握していた。
「ってか、そんだけ研究大好きっ子なんだから、プロフェッサー烏丸って呼び名でいいじゃん。 よっ、カッチョイイよ! ヒューヒュー!」
「おひぃ様、プロフェッサー烏丸も確かにカッチョイイですが、烏丸っちという呼び方も、なかなか捨てがたいかと……」
そんなふざけた会話を繰り広げていた二人が、『山』のトップだと知ったのは、正式に『山』に所属してからの事だった。
◇ ◇ ◇
「烏丸部長、やっぱ、そのノート……柊兄に任せた方が良かったんちゃいます? 柊兄なら、霊感ゼロやから、呪いも呪霊の攻撃も無効な訳やし……」
思い出に浸っていた俺の意識を、與座君の言葉が現実へと引き戻す。
「ダメだな。 俺の仮説が正しければ、このノートは、霊感ゼロの人間でも、関係なく死を呼ぶ事になるだろう」
そう、俺の仮説が正しかったとしたら、この案件の適任者は、『山』の中では、俺以外にいない。
「おそらくだが、これは……オカルトであって、オカルトではないもの……だろうからね」
俺は、與座君に禅問答のような言葉を言い、香織さんを呼び寄せた。 香織さんに仮説を説明し、それを立証するための指示を伝える。 すべての準備が整ったのを確認して、俺は、ようやくノートのページを捲った。




