もう一人の自分
そのノートは、なんの変哲もないノートのように見えた。 タイトルの『呪いのノート』という言葉さえなければ……
「……待った。 待った。 待った! どういう事だ? ちょっと、整理させてくれ」
そのノートを見て反応したのは、烏丸だった。
「まず貴方は、自分の後ろに何か見えるか? と聞いてきた。 と、言う事は、我々には見えないナニかが、貴方には見えているということでよろしいか?」
その問に、三善は一度振り向いた後、ウンザリした顔で答えた。
「えぇ、そういうことになるでしょうな。 残念ながら……」
「その後、そのノートを見せてきた……ということは、見えているナニかは、そのノートと関係がある……。 これも?」
「えぇ、正にそう言えるでしょう」
「……一体、何が見えてるって言うんだよ?」
二人の会話に割り込んだのは柊だった。 自分が不機嫌であることを、隠そうともしないような声色だった。
「……タカ……。 悪いな。 久しぶりだっていうのに、こんな形の再会になっちまって……」
「いいから、答えろよ! クソ師匠!」
柊のその言葉に、三善は苦笑いを浮かべる。
「皆さんには見えないでしょうが、私の後ろにはもう一人の『私』がいます」
言われて、その場にいる全員が三善の後ろを見る。 僕も、見てみるが、やはり何も見えない。
「……見えねぇよ。 そんなん……。 だいたい、あんたみたいな奴が二人もいたら、身体がいくつあっても足りなくなっちまう……」
柊が悪態をつきながら、言い放つ。
「……どうやら、このノートを見ると、もう一人の自分が見えるようになってしまうらしい……。 そして、そいつは一週間掛けて、少しずつ近付いてきて、……一週間後にそいつに触れられると……自殺してしまう……」
……自殺? なんだ? その呪い……
「と、まぁ、そういう呪いという訳ですよ。 厄介な事に、近付いてくる自分を退散させようと、いろいろやってみたが、なんの効果もなかった。 おまけに、……君達もそうだったが、私も、もう一人の自分に憑かれたと言う人の付近に何も視ることが出来なかった……」
三善は、そう言うと、再び振り返った後に言い放った。
「こいつは、ノートを見た本人にしか見えない……」
なんの攻撃も効かない……。 まるで虚忘だ……。 確か、あの時は妖だと思っていたのが、実は異界の出入口『ゲート』だった。 だから、攻撃が全てすり抜けたんだった。
「……ゲート?」
僕は、思わず、呟いた。
「……君は?」
その呟きを拾った三善が、僕に尋ねてきた。 僕は、柊のとこでバイトしている学生だということを簡単に答える。 そして、三善もまた、僕から目を離し、キキを見ていることに気付いた。
「あ、この娘は、キキと言って、僕に憑いてる鬼です。 御札で無力化してありますし、無害です」
僕の言葉に反応するように、キキが頭を下げる。
「……なるほど。 確かに、現象としては、こないだの虚忘と似ているな」
山村が、納得したように答えてくれる。
「いや、あん時とは、根本的に状況がちゃう。 今回んは、呪われたっちゅう本人にしか見えへんってとこは、ゲートじゃ説明がつかへん……」
だが、すぐさま、與座が否定する。 少し、山村がシュンとなっている感じがする。
妖の形をしたゲートがあったんだから、呪われた本人にしか見えないゲートだってあるかもしれないじゃないか……
「……そうか。 そういう異界を持つ妖がいましたか……。 だが、こいつはゲートではないでしょうね」
三善が、ハッキリと言い切る。
「このノートを最初に見た時は、ノートに二人の魄が憑いてました。 二人とも子供の魄で、このノートを見て、自殺した小学生の魄でした。 そして、私にこのノートを託した教師も……。 ……結局、彼も自殺してしまったんですが……、自殺後、このノートに彼の魄が憑きました。 ……ま、全員、もう祓っちゃいましたがね……」
魄が憑いたノート……。 さぞかし、禍々しい状態だったのだろう。
「私は、彼らの魄を霊視しましたが……、どの魄も、もう一人の自分から妖が出てくるところも、なにかに攻撃されたような痕跡も瘴気にアテられたような事もありませんでした」
「全員……自殺……ということかね……」
烏丸が顎に手をやりながら、三善に尋ねた。
「えぇ、皆、もう一人の自分に触れられた瞬間に、抗えられない程の衝動に駆られて、自決しています。 『これ以上、生きていてはダメだ!』と」
「……そんな呪い……聞いたことがない……」
山村が、信じられないという表情で呟く。
「普通、呪いってのは、呪霊を使ったり、瘴気を使ったりするものなんだが……。 一体……どんな術式が組み込まれているんだろう……」
山村が、ブツブツと呟く。
「だから……」
突然、柊が低い声を出した。
「だから、自分も自殺する……そう言いたいのか?」
「……そうだ」
「その、もう一人の自分をどうにも出来ないから……。 抗えられない程の衝動に駆られるから……、だから自分も……死ぬと?」
「……そうだ」
「……死んだら、魂はエネルギーになって流転し、魄は地に還るから、自殺なんて無意味! そう言ってたあんたが?」
「……タカ……。 今でも私は、自殺など選ぶべき選択肢ではない! と、思っている。 だが、……状況が違う。 これは、自らが望んで行う自死ではない。 呪いによる不可抗力による自死なんだ……」
「だから、諦めるのか? 受け入れるのか? それは自らが望んだ自死と何が違うんだ? 時間がない? まだあるだろうが!? 自分が何をやっても効果がなかった? あんたでダメだったとしても、まだ俺がいるだろうが!? 絶対に俺が、あんたに自殺なんてさせない! だから、諦めんなっ!」
「…………」
「……ノート貸せよ」
「ダメだ! こいつは、普通じゃない。 そのメガネでも視えなかったんだろ? こいつの理がわからない以上、いくら霊感がないお前でも、どうなるかわからん!」
「……いいから、貸せって言ってんだよ! 勝手に諦めてんじゃねぇ! クソ師匠がぁ!」
柊が、乱暴にノートを取ろうと手を伸ばした。
「あぁ、ちょっといいかな?」
弟子を巻き込みたくない師匠と、師匠を死なせたくない弟子の必死なやり取り……。 それに水を差すかのように、烏丸の声が響いた。
「そのノート……非常に興味深いね。 見た本人にしか視えない『もう一人の自分』、抗えられない程の自殺衝動、一週間の時間的猶予、聞けば聞く程、……興味深い」
興奮を隠さない烏丸の声は、場違いな程、楽しげに聞こえた。
「は?」
「そりゃ、ちょっと不謹慎過ぎるで……」
怒気を孕んだ柊の言葉と與座の非難。 そりゃそうなるだろう。
「いやいや、失礼! 不謹慎なのは謝罪しよう。 申し訳ない! だが、俺は元々、好奇心旺盛でね。 その流れで『山』に来るまでは、大学で教授をやっていたほどだと言えば、わかってもらえるだろうか? つまり……不謹慎覚悟で言わせて貰えば、こういった謎が大好物でね……」
烏丸は、自分の知的好奇心を満たす事を優先していった結果、香織さんと契約するに至り、さらには、それが切っ掛けで『山』にスカウトされたのだと語る。
「そこで、これは提案なんだが、そのノート……俺に預けてみないか? 運が良ければ、リミットまでに謎が解けて、解呪できるかもしれない」
両手を広げて、楽しげに話す烏丸の瞳は、どこか狂気を帯びているように見えた。 さらに、いつの間にか烏丸の傍に移動してきた香織さんが、両手を前に組んだ状態で微笑みながら、こちらを見据える。 その芝居がかった立ち位置とポーズは、まるで、オペラのワンシーンを見ているような気にさせる。
「なぁに、深く考えなくてもいい。 もし、明日までに謎が解けなかった場合は、貴方を猿轡をかました上で、両手両足をふんじばってしまえばいいんだから。 その上で、一週間以内に謎を解いて、解呪すればなんの問題もないのだろう?」
「……も、もし、一週間経っても、解呪出来なかったら?」
思わず口を挟んでしまった。 皆の視線が僕に集中してくる。 勘弁して欲しい。 違うんです。 ほんの出来心なんです。
「……ふむ。 もし、解呪出来なかったら……終わり。 俺も、そちらの三善さんも、ジ・エンドさ。 俺と香織さんで、本気を出して、一週間経っても解呪出来なかったものを、他の奴が一週間で解呪できるとは思えない。 ……一巻の終わりって奴さ」
首を掻っ切るジェスチャーをしながら語られる烏丸の回答は、かなり傲慢なものだった。
自分に出来なかった事を、他の人間が出来るわけがない。 かなり自分の能力に自信を持っているのだろう。
「かつて、プロフェッサー烏丸と呼ばれた俺の頭脳と、香織さんの知識と能力、この二つを持ってしても無理なら、最初から解決方法などない……そう言えるだろう。 君達も、プロフェッサー烏丸の名前くらいなら聞いた事があるだろう?」
「………………」
プロフェッサー烏丸……残念ながら、聞いた事がない……。 周りの反応を見ても、そう思っているのは僕だけじゃなさそうだ。 ……まぁ、言うほど有名ではなかったのだろう……
「じゃ、それで決まり! そこのプロフェッショナル烏丸がやっても無理だったら、次は俺がやる。 それでいいよな? 師匠!」
柊がそう言いながら、烏丸の言動に唖然としている三善の隙を突いて、ノートを奪う。 とりあえず、プロフェッショナルについては、スルーしてやるとするか……
慌てた三善が柊から、ノートを奪い返そうと手を伸ばすが、柊は素早く、そのノートを烏丸へと手渡した。
三善は、空を切った手を戻し、そのまま頭をガシガシと掻いた。
「……あ~、もうわかった! 烏丸さんでしたか? 貴方の提案を飲みましょう。 ただし、ノートの中を見てしまうのは、私の話を聞いてからにしてください」
さっそく、ノートを開こうとしていた烏丸の手が止まる。
「……話?」
「えぇ、私がそのノートを手にする事になった経緯と……そのノートに憑いていた魄を霊視した結果です」
「ほう、それは、興味深い。 ぜひ、お聞かせ願いたい」
三善は、苦々しそうな表情で、一度、深いため息を吐いた後、そのノートの話を始めた。




