BAD COMMUNICATION
「できれば正座を、難しいなら胡座で構いませんよ」
修蓮さんの自宅へ行き、仏間に通された僕は、修錬さんと向かい合って配置された座布団の上に座った。 畳の匂いと線香の香りが、夏休みのお婆ちゃんの家を思い出させる。 そのせいで、こんな状況だというのに、どこか懐かしい気持ちになってしまっている。 それもこれも全ては修蓮さんの持つ安心感のおかげだろう。 同席している和泉さんが線香の束に火を付け、お香立てに立てたところで修蓮さんが口を開く。
「では、始めますよ?」
そう言って、修蓮さんが和泉さんの方に視線を向け、和泉さんがそれに頷く。 途端に空気が張り詰めるのがわかった。 正座で座っている修蓮さんから凛とした雰囲気が伝わってくる。 和泉さんがブツブツと何かお経のようなものを呟き始める。
どうしたらいいかわからないまま、なんとなく目を閉じる。
「ギ……ギギ…………」
お経に混じって嫌な音が聞こえてくる。 その音に反応するように全身が痛痒くなる。 途端に近藤の除霊がフラッシュバックされ、目を開けたい衝動に駆られる。 今回は別に『目を閉じて』という指示は受けていないので、見たければ目を開ければいいのだ。 ……が、二の足を踏んでしまう。 アレの姿を見たくないからだ……。
しばらくすると、お経が止む。 ……が、すぐに気を取直したかのように再開される。 何かあったのだろうか?
「……ん…………ん……」
お経と嫌な音の中に、修蓮さんの吐息のようなものが混ざる。
「……いや」
ハッキリとした女性の声が響く。 修蓮さんとは違う声だ。 誰の声だろう? ……まさか、アレの声?
「……ふぅ……ん、……あぁん……」
お経の声が段々と大きくなり、修蓮さんの吐息も艶かしくなる。 チャーミー婆さんが喘いでいるのだ。
「……破っ!」
修蓮さんの声で、急にお経が止まる。 一体、どうなったのだろう?
「…………また……来る」
女性の声がハッキリと響いて、それを最後に静寂が訪れた。
……。
「航ちゃん、彼女……、一旦は去ったから……、もう目を開けても大丈夫よ」
修蓮さんの声が響き、恐る恐る目を開ける。 目の前には、汗だくで荒い息遣いの修蓮さんが座っていた。 和泉さんの方を見ると、赤い発疹が顔に出ている和泉さんが苦々しそうな顔をしながら、こちらを見ていた。
「……ふぅ……ダメねぇ……。 真ちゃん、航ちゃん、とりあえず外で瘴気を払うわね」
真ちゃん……、確か和泉さんの下の名前が『真』だったはずだ。 そう言って立ち上がった修蓮さんが盛大にふらつく。 和泉さんが、慌てて駆け寄り修蓮さんを支えていた。
一旦、外に出て、修蓮さんにタバコの煙を念入りに吹きかけられた僕と和泉さん。 その後、道場へ向かう。 先程の結果と今後の話をするためだった。
「アレって女の人だったんですね……」
「そうね。 髪もバサバサだし、額のお札のせいで顔がよくわからないけど、あの子は女性よ。 航ちゃんより少し年下かしらね」
道場へ向かう途中、皆無言だった。 その無言に耐え切れずに修蓮さんに疑問を投げかけた。 と言うより、呟いたと言った方が正しいかもしれない。 そんな呟きに修蓮さんは、しっかりと答えてくれた。
「ごめんなさい。 まずは謝らせてね」
道場に着くと、再び向かいあって座った僕に修蓮さんが口を開く。
「彼女は、すごく航ちゃんに執着してて……、私じゃ一時的に追い払うことくらいしかできなかったの」
修蓮さんの話では、アレはすごく強い霊で、完全に払う事が出来なかった……という事だった。 どうもアレには僕が、自分を救ってくれる一筋の光に見えるらしく、どうしても離れたくないとの事だった。 ……除霊を生業にしている修蓮さんや和泉さんを目の前にしても、それは変わらなかったようで、……まったく自信をなくしちゃうわ、と修蓮さんがいじけて見せた。
「彼女はね、遥か昔に助けようとした人達に裏切られて……、死んでしまったの。 だから、この世の全てを憎んでたの。 それで航ちゃんに会って、航ちゃんの優しさに惹かれてしまったの。 でも……、彼女の纏う瘴気は、生きている者にとって毒にしかならない」
「きっと、……彼女はまた来る。 それだけの強い意志を感じたわ。 だから航ちゃん、貴方には3つの選択肢を提示するわね」
一つは、結界の中で一生暮らすこと。 その場合は、もし修蓮さんよりも霊力とやらが強くなったら、アレを払う事が出来るかもしれない……、と他の人達と同じように霊力を高める修行をする事を勧められた。
二つ目は、運命をあるがまま受け入れて、ここを出て普通に暮らす事。 その場合、アレの瘴気に負けて、近いうちに命を落とす事になるだろうと言われた。 言ってみれば、諦観という奴だ。
そして、最後の三つ目は、強い霊でも払える別の霊能者に頼ること。
「……先生、あいつらに……頼るんですか?」
三つ目の提案を聞いて、和泉さんが忌々しそうに呟いた。
「真ちゃん、気持ちはわかるけど、決めるのは航ちゃんよ」
修蓮さんの話では、修蓮さんでも払えないような強い悪霊を払える人達がいると言うことだった。 それは『山』と呼ばれる霊能者集団で、国が直面した心霊案件を依頼されるような、選ばれた霊能者だけで構成された組織との事だった。
彼らは、修蓮さん達のような『山』に所属していない霊能者の事を、『民間』とか『自称霊能者』などと呼び、蔑んでいるとの事だった。
さらに、和泉さんが幼い頃、修蓮さんが一回で憑き物を払えなかった際に、同じように『山』に依頼しようとした事があったらしいのだが、お金が払えないだろう……と、簡単に見捨てられた事があるらしい。
その2点から、和泉さんは『山』に良い印象を持っていないと教えてくれた。
「確かに彼らは腕はいい……が、かなりの額を請求してくる。 少なくとも一千万は覚悟しておいた方がいい。 それに……お金を払える見込みがないと判断したら、平気で見捨てる連中だ。 例え、こちらの命が危険に晒されていようとも……」
赤い発疹だらけになった和泉さんが、苦虫を噛み潰したような表情で補足してくれた。 ってか、一千万なんて払える訳がない。 親に泣きついても無理だろう。
「もし、航ちゃんが『山』に頼みたいなら、一緒にネゴはしてあげるわ。 臨ちゃんと同じ大学なら、将来性も加味して、引き受けてくれる可能性は高いわ」
僕はまだ死にたくない。 よって、二つ目の選択肢はあり得ない。 なら、一つ目か三つ目の選択肢しかないわけで……。 一つ目の選択肢を選ぶと、籠の鳥として、最悪、ここから一歩も出ないまま、朽ち果てていく事になる。 三つ目の選択肢だと、借金王だ。
まずはダメ元で『山』に口を聞いてもらって、ダメだったら結界内で暮らすって方向でお願いしたい。 もしかしたら、格安で除霊してくれるかもしんないし……。
その日の夜、臨太郎に電話をして、状況を説明するした直後に、修蓮さんから連絡があった。 二日後の昼過ぎに『山』の窓口の人と会える事が決まった、と。 賽は投げられた。 あとはなるようになるだけだ。 借金王か籠の鳥か……。




