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少女ときどきジョッキー  作者: モリタカヒデ
第1部 少女ときどきジョッキー
93/222

93 祭りのあと

 ダービーの翌日、皐月賞馬ヴイマックスが右前肢に重度の浅屈腱炎を発症し、現役を引退するというプレスリリースがあった。


 以下は、花村厩舎と懇意で、ヴイマックスの新馬戦にも騎乗した優が、厩舎スタッフから聞いた同馬に関する裏事情である。

・ヴイマックスは元々血統的に脚元の弱い一族で、入厩時から細心の注意を払っていた。新馬戦にロベールの代打で優を起用したのは、馬への当たりが柔らかいスタイルに加えて4キロの減量があるため、負担を軽減出来るという理由もあった。

・暮れにホープフルステークスでなく朝日杯フューチュリティステークスを使ったのは、冬の開催で傷みがちな中山の芝を嫌っての選択だった。

・調教やレースの後に脚部が熱っぽくなるなどの弱さは見られたが、2歳時は入念なケアもあり問題化することはなかった。

・弥生賞をスキップして皐月賞に直行するプランもあったが、コースや距離の経験をさせておきたいとの判断で、余裕を持たせた仕上げで使った。結果として余計な一戦だったかも知れない。

・皐月賞の1週前追い切り後、右前脚に軽い腫れや熱など、屈腱炎の前兆的な症状が見られ始めた。軽く運動させて様子を見たが、まだ走り自体には問題がなさそうだったため、このまま皐月賞に使うか、自重してダービーを目標に仕上げるかで迷った。馬主サイドの要望もあり、勝てるレースは確実に獲りに行くことに決めた。

・皐月賞の先行策は、このレースが最後になってしまう可能性もあったため、取りこぼしのリスクを減らすための厩舎オーダーだった。おかげで前残りの展開を制することが出来たが、ダービーに繋げるという点ではマイナスの選択だったかも知れない。

・皐月賞後は、これ以上悪化させないように徹底して脚元のケアに努めたが、最終追い切りで強めに追ったのは博打だった。何とか走れる状態をキープ出来たため出走に漕ぎつけたが、本当はもう1本強い追い切りがしたかった。

・ダービーではしっかりと走れていたし、レース中には脚部不安の影響は出なかったと思う。ただレース後しばらくして腫れと熱が酷くなり、復帰は無理だろうと悟った。長丁場での高速決着は、脚元への負担が大きかったのかも知れない。


「残念でしたね。脚元さえ無事なら、ダービーも勝てたかも知れないし、さらにその先までも夢を見れたしょうに……。」

 優がそのスタッフに慰めの言葉を掛けると、彼はかぶりを振ってこう言った。

「いや、タラレバを言っても意味はないよ。それに競走馬なんてみんな、大なり小なり不安を抱えながら走らせてるからさ。もしかしたら勝ったライトニングボルトだって、うち以上に苦労してたかも知れないじゃない。何より、脚元の丈夫さや体質の強さだって、競走馬の重要な能力の一つなんだ。万全の仕上げが出来なかったのは、ヴイマックス自身が弱かったってことだろう。」

 そう言って厩舎スタッフは、自分の仕事に戻って行った。


 1頭の勝者にも17頭の敗者にも、それぞれに知られざるドラマがあったに違いない。それでも日本競馬の歴史に残るのはただ一つ、ライトニングボルトが今年の日本ダービーを勝利したという事実だけである。

 そして来週からは、早くも2歳の新馬戦が始まる。有力馬の早期デビューが珍しくない昨今、もしかすると来週登場する馬たちの中にも、来年の主役が潜んでいるかも知れない。次のダービーへの戦いは、もう既に始まっている。



「陽介、春のクラシックお疲れ様。そして、惜しかったね……。」

 3歳牡牝の春のクラシック4戦を皆勤し、桜花賞3着、皐月賞2着、オークス4着、ダービー3着と全てのレースで善戦を果たした陽介を慰労すべく、優は残念会を開いていた。

「今年は本当に馬に恵まれていたからな。でもいい馬に乗せてもらったのに勝てなかった、結果を出せなかったのは悔しいよ。特にオークスとダービーの2戦は。」

 馬群を捌くのに手間取ったオークス、トンカツこと屯田の仕掛けた罠にまんまと嵌ってしまったダービー。陽介は今なお、馬の力を出し切れなかった自分の未熟さと不甲斐なさを責め続けていた。


「優、俺はもっと経験を積んで、日本一の騎手になるぞ。ダービーのような大舞台でも、誰かの思惑に乗って走らされるのではなく、自分がレースを作って支配する、そんな騎手になってみせるから。」

 そう宣言する陽介の表情は、少年から脱皮して大人になったかのような、プロフェッショナル感を漂わせていた。それを見た優は、いつの間にか陽介がとんでもない遠い所に行ってしまったような気がして、一抹の寂しさと焦りを覚えていた。

「私も負けないよ。来年のダービーには、私も参加出来るように頑張るから。観客でも傍観者でもなく、陽介のライバルの一人として。一緒に戦えるのを、楽しみにしてるね。」

 優の思わぬ宣戦布告に、陽介は驚きつつも笑顔を浮かべた。

「おう。お互い最高の相棒を連れて、あの場所で会おうぜ。」

 他人事などではない。優にとっても1年後のダービーは、目指すべき大目標なのである。約束を交わした二人のロード・トゥ・ダービーは、ここからスタートした。


 とは言え、今の優にはその舞台に立つ資格はない。通算30勝を上げてGⅠ出走資格を手にすることが、まずは彼女の至上命題である。信頼と実績を積み重ねて、まだ見ぬパートナーに巡り合うために────優の戦いは、まだ始まったばかりである。




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