92 点と線
日本ダービーで使用される芝コースは、この週からCコース。使われて荒れた部分に仮柵を設置することで、内ラチ沿いの馬場状態が改善されるため、騎乗する騎手は内有利の前残り傾向を意識することになる。
裏開催の京都の第10レースが終了し、有名歌手による国歌独唱が終わると、東京競馬場はいよいよ日本ダービー発走へのカウントダウンに突入する。
出走馬18頭は、スタンド前に設置されたゲートの後ろで輪乗りしながら、その時を待っている。
時刻は午後3時40分。スターターが台に上がり、赤い旗を横に振ると、生演奏のファンファーレが鳴り響く。10万人を軽くうわまわる大観衆が気勢を上げ、場内のボルテージは最高潮に達した。
スタンドからの歓声に包まれながらも各馬の枠入りは順調に進み、最後に大外18番のダイヤモンドダストが陽介を背にゲートに収まる。
ゲートが開いて、1週目の直線へと18頭が飛び出して行く。大きな出遅れはない。徐々に出来上がりつつある隊列の先頭を走っているのは、11番ブラックジョーカー。戦前の宣言通りにハナを奪うと、行く気に任せて軽快に逃げる。
18番ダイヤモンドダストは、これを見るように控えて2番手。その後に3番ワイネルシュトルム、16番ヒゲダンサー、14番トーソンアクセス、さらに8番フェノバルビタールと続いている。
少し間が開いて、1番フラッシュピストン、2番ガノンウィンダムの白い帽子の2頭。その後ろに3枠6番の赤い帽子、1番人気のヴイマックスはここにいた。今日は本来の中団待機でレースを進めているが、少し力んでいるか。ハミを噛んで頭を上げ、鞍上のロベールが腰を上げるシーンも見られた。
その外から12番ホークコマンダー、17番イシノウェイパー。9番ワールドエンドはヴイマックスの真後ろでマークの構え。
そこから2馬身ほど開いた後方集団は、4番ニトロパワーオン、5番ワイルドカード、15番ロートブレイド。そして2番人気の10番ライトニングボルトはこの位置。今日は珍しく五分のスタートを決め、後ろから3頭目の位置でピッタリと折り合っている。
その後に7番ケイエムイナビカリ、そして最後方に13番のセイショウハナブサ。以上の18頭が1コーナー、2コーナーを回って向こう正面へと向かって行く。
先頭は依然としてブラックジョーカー。1000メートルの通過は59秒1とやや速いペースか。番手のダイヤモンドダストに3~4馬身ほど差をつけて、離し逃げの形をとっている。
皐月賞では飛ばして失速した同馬だが、今日の舞台は長い直線が控える東京競馬場。息を入れてジワリとラップを落とし始める。
屯田の挙動を見てペースが緩んだのを感じ取った陽介は、少し手綱を緩めてダイヤモンドダストを促し、楽逃げに持ち込ませないように先頭との差を詰めて行く。
前残りを警戒して行く。後続もその動きに反応してペースを上げ、隊列に大きな変化が起きることなくレースは進む。
そして前半のハイペースで縦長になったままの馬群は勝負所の3コーナーに差し掛かり、ここからゴールに向けてのふるい落としが始まる。
厳しい流れに余力をなくした馬たちの手応えが怪しくなり、その鞍上の手が激しく動き始める。進路を塞ぐ脱落馬を内外に捌きながら差し勢が押し上げて行き、先頭はいよいよ4コーナーを抜け最後の直線に入って来た。
地鳴りのように轟く大歓声に包まれて、逃げ続けるブラックジョーカー。ここで老獪な鞍上・屯田は罠を仕掛けた。4コーナーを回る時に少し外に膨らむ仕草を見せたのだ。2番手のダイヤモンドダストの陽介はこれに反応し、コンディションのいい内ラチ沿いを狙う構えを見せる。
しかし屯田は直線に入ると微妙に内に寄せて、馬1頭ではギリギリ通れない幅まで進路を閉めてしまったのだ。まんまと誘い込まれてしまった陽介はすぐに外に切り替えるが、一旦ブレーキを掛けての進路変更を余儀なくされたのは、粘り込みを図る先行馬には痛すぎるロスであった。
その間隙を突いて、先頭のブラックジョーカーはリードを広げる。絶妙なペース配分と前が止まらない馬場の恩恵を受けて、本来のしぶとい粘り腰を発揮している。
それでも地力に勝るダイヤモンドダストは、再加速して残り250メートル付近で何とかこれを捕らえ、ようやく先頭に立つことが出来た。しかし直線入り口の踏み遅れは、このメンバー相手には致命傷となってしまった。
残り200メートルで先頭に並びかけたのは、皐月賞馬ヴイマックス。ダイヤモンドダストは必死の抵抗を見せるも、残り150メートル辺りで振り切られてしまった。
無敗の2冠馬誕生か。そう思われた瞬間、大外から飛んできたのはやはりこの馬、黄色い帽子のライトニングボルトであった。
日本ダービーの有名なジンクスに、「乗り替わりの馬はダービーを勝てない」というものがある。これは決して単純なオカルトの類ではなく、未完成で不安定な3歳馬に騎乗して好結果をもたらすには、本番を意識した継続的なアプローチが重要であることを示している。2400メートルの長丁場はこの時期の3歳馬には過酷な条件。それまでのレースで折り合いや位置取り、馬の癖などを意識して騎乗することで、この大一番でパートナーの実力を発揮させることが出来るのである。騎手の継続騎乗はその中の一要素であり、つまる所このジンクスの本質は、騎乗の継続性。すなわちダービーまでの乗り方が、その場しのぎの点であったか、本番を意識した線であったかが、しばしば明暗を分けるのである。
その視点をこのレースに当てはめると、まさしくヴイマックスは点であり、ライトニングボルトは線であった。
皐月賞を勝ちに行った結果、本来のスタイルを崩してしまったヴイマックスは、このダービーで折り合いに隙を見せてしまった。小回り中山を意識してのロベールの先行策は、あのハイペースを追いかけることになり、馬がその競馬を覚えてしまっていたのだ。元々スピードタイプで距離延長が歓迎とは言えないこの馬にとって、前半行きたがることによるスタミナのロスは痛過ぎる失点であった。
一方,ライトニングボルトはデビューから一貫して、前半折り合いに専念して最後の末脚を伸ばす競馬を徹底してきた。東京スポーツ杯2歳ステークスでヴイマックスに完封され、ホープフルステークス、皐月賞では不向きな条件で脚を余しての敗戦。それでもジョバンニはこの馬の能力を信じて、決して急がせるような競馬をさせることはなかった。この日本ダービーに照準を合わせて、東京の芝2400メートルで乗りやすい馬を作って来たのである。
直線の叩き合いから、栄光のゴールへ。2分22秒6の旅を先頭で走り抜けたのは、10番ライトニングボルト。鞍上・ジョバンニの右手が高々と上がる。このレース全体の上がり3ハロン35秒0に対して、この馬自身の上がりは実に33秒5という電光石火の鬼脚であった。
1馬身差の2着に6番ヴイマックス、それから3馬身遅れて18番ダイヤモンドダスト、以下11番ブラックジョーカー、9番ワールドエンドと入線。
勝者を称える大歓声と拍手に迎えられ、ウィニングランのライトニングボルトがスタンド前に帰って来た。2度、3度と馬上でガッツポーズを作り、喜びを爆発させるジョバンニ。勝者だけに許される至福の時間を満喫した人馬は、そのまま地下馬道へと消えて言った。
~レース後の騎手コメント~
1着 ライトニングボルト ジョバンニ騎手
ブラックジョーカーが飛ばしてくれたので、レースがしやすかったです。ヴイマックスだけをマークして進めましたが、直線半ばで勝てると思いました。いつも凄い脚を使ってくれる、素晴らしい馬です。
2着 ヴイマックス ロベール騎手
仕上がりは良かったですし、この馬のレースは出来ました。前半行きたがる場面もありましたから、少し距離が長かったかも知れません。勝った馬は強いと思います。
3着 ダイヤモンドダスト 神谷騎手
この馬自身はマイペースで行けたので、道中はいい感じでした。直線で内を突けていればもっと接戦に持ち込めたと思いますが、上手く捌けませんでした。
4着 ブラックジョーカー 屯田騎手
思い通りのレースが出来ました。よく粘ってくれましたが、やはり先行力の生きる中山の方が、この馬には向いているようです。
ライトニングボルトが三度目の正直で打倒ヴイマックスを果たし、栄光のダービー馬の座に就いた。ついに土がついた皐月賞馬ヴイマックスだが、負けて強しの内容に、秋以降の両馬の再戦を期待するファンも多かった。
しかしそれが実現することは、なかった。




