90 ダービーデー
春のGⅠシリーズもいよいよ大一番。今週の日曜日は、競馬の祭典・日本ダービーが行われる。10万人を超える大観衆の見守る中、東京芝2400メートルのチャンピオンコースを先頭で走り抜けた馬こそが、今年の3歳馬の頂点、栄光のダービー馬の座に輝く。
ダービーには騎乗することの出来ない優も、今週の土日は東京競馬場で騎乗する。土曜日のメインレース・ダート1400メートルの欅ステークスでは、お手馬のウィンドブレーカーに騎乗する。ここでのライバルは、優が断ったチョトツモウシン。能力的には上と評価しながらも、先約を優先して泣く泣く手放してしまった同馬の鞍上は、名手・菅田に乗り替わる。優にとっては厳しいレースとなりそうである。
迎えた水曜日。ダービー出走馬のほとんどが、この日に最終追い切りを行った。
このレースに照準を合わせて来た各馬が思い思いの調整を進める中、静から動への変化を見せた陣営があった。トレセン内で脚部不安が囁かれている本命馬ヴイマックスである。
火曜日にまとまった雨が降ったため、天候に馬場状態が左右されにくいポリトラックのコースで追い切られたヴイマックスは、6ハロンから強めに追われて79.9-64.8-50.6-37.6-24.5-11.9の速いタイムをマーク。帰厩後ここまで馬なりの軽い調整に終始し、太目残りや気合い不足も懸念される中で、ついに断を下した格好だ。
一応の格好をつけたヴイマックスに対し、マスコミ各社は即座に反応。翌日のスポーツ紙には、『ヴイマックス万全』の見出しが並ぶこととなる。
そして、調教後に行われた共同会見で注目を集めたのは、年末のホープフルステークスを制したGⅠ馬ブラックジョーカー陣営であった。
「皐月賞では気分良く行かせ過ぎて失速したけど、やっぱりこの馬は逃げる競馬が合ってると思うで。前回テンからびっしり追ったから、今回はすんなり前に行ってくれるんじゃないかな。前残りの馬場やし、この馬について来たら潰れると思わせるくらい積極的に行ってみるつもりやから。」
鞍上のトンカツこと屯田 勝男から、本番の逃げ宣言が飛び出したのだ。展開のカギを握るこの馬は、本当に逃げるのか。また、逃げるとしたらどのくらいのペースで引っ張るのか。成績が尻すぼみで忘れられかけていた同馬の注目度は、一気に高まった。
「いよいよダービーだね、陽介。この春のGⅠ、惜しいレースが続いてるけど、今度こそ勝てるといいね。」
共同会見を終えて一息つく陽介に、優が声を掛けた。
「惜しいっていうより、俺の力不足だよ。これだけいい馬に乗せてもらってるのに、不甲斐ない……。でもここは何としても勝ちたい。やっぱりダービーは、ホースマンにとっては特別なレースだからな。」
陽介は、会見で話したのとほぼ同じ内容を繰り返した。騎手リーディングでも上位につけ、年間100勝達成も視野に入れている陽介だが、まだGⅠ勝ちには手が届いていない。GⅠでも上位争いに顔を出す機会は増えたものの、未だ勝ち切れない悔しさが自然と滲み出ていた。
さらにもう一つ、陽介が燃える理由があった。それは優につられてしてしまった、去年の有馬記念の残念会での誓い。ダービーか有馬記念を勝てば、好きな子に告白するという宣言。もっとも今目の前にいるその相手は、陽介の想いにまるで気がついていないようであるが。それでも、日本一のレースを勝って日本一の男になれば、自分を見る目も変わるかもしれない。男としてまだ自信が持てない陽介にとっては、自分に勢いを与えてくれるそういったきっかけが欲しいのだ。レースに色恋の願掛けをするなど不純かも知れないが、その想いはただただ純粋であった。
ダービー前日の土曜日。東京メイン、4歳以上オープンの欅ステークスは、圧倒的1番人気に推されたチョトツモウシンが、2着に5馬身差をつける圧勝。ダートの逃げ馬の騎乗経験が豊富な菅田との相性は抜群のようで、新たな名コンビの誕生を予感させた。
優のウィンドブレーカーは昇級初戦で健闘したものの、2着からさらに2馬身離されての3着に終わった。先約を優先したことには全く悔いはないものの、逃した大魚の大きさに、たまらなく切ない気持ちで一杯になる優であった。
そして日付が変わって日曜日。ついにダービー当日がやって来た。
早朝に入場が開始されるや否や、猛ダッシュで場内に駆け込んでいくたくさんのファン。ダービーデーは、朝からいつもとは違う熱気を帯びて幕を開けた。




