88 追い切り
接戦となった夏木立賞を制し、ソーマナンバーワンの賞金加算に成功した優。次走に予定しているGⅢラジオNIKKEI賞で、人馬ともに初の重賞制覇を狙う。
その翌日の日曜日、東京競馬場ではヴィクトリアマイルが行われ、ロベール騎乗のドリームシアターが、前哨戦のGⅡ阪神牝馬ステークスを制した勢いそのままに、GⅠ初制覇を果たした。陽介とコンビを組んで挑んだチョコレートケーキは3着に健闘するも、残念ながら勝利を手にすることは出来なかった。
そして今週の東京競馬場では、3歳牝馬クラシック第2弾、オークス(優駿牝馬)が行われる。翌週のダービーと同じ東京2400メートルの舞台で覇を競うこのレースは、桜花賞の阪神1600メートルとは大きく条件が異なるため、これまでの序列が大きく崩れることも珍しくない。また、繊細な3歳牝馬には輸送を苦にする馬も多く、関西馬が優勢な現在の競馬界にあって、関東馬の活躍が目立つレースでもある。
そのオークスの話題の陰で、週中の水・木曜日には、ダービーに出走を予定する各馬が1週前追い切りを敢行した。
各馬順調な仕上がりを見せる中、1頭明らかに調教過程に異変を感じさせる馬がいた。皐月賞馬ヴイマックスである。
皐月賞時の最終追い切りでもその軽すぎる内容が物議を醸した同馬だが、結果としてレースに勝利したため一旦は沈静化していた。しかし、レース後すぐに放牧に出された外厩から帰厩してからも、軽い運動ばかりで速い時計は一本も出しておらず、ダービーで一発を狙う美浦トレセンの関係者たちはにわかに色めき立っていた。
果たして、そんな状況で坂路で追い切られたヴイマックスは、またしても単走馬なりの極めて軽いメニューを消化しただけに終わった。
「皐月賞でロベールが本来の脚質でない先行策を取ったのは、ダービーまで脚が持たないかも知れないから、ここで終わっても悔いのないように勝ちに行ったかららしい。」
「花村厩舎の馬房で、獣医が来てヴイマックスの右前脚を診ているのを目撃した。」
「軽い屈腱炎の症状が慢性化しており、勝っても負けてもダービーが引退レースになると聞いた。」
などと、本当か嘘か分からぬような流言飛語が飛び交う中、トレセンの中では一つの定説が固まりつつあった────ヴイマックスは脚元に爆弾を抱えていて、もはやいつ爆発してもおかしくない状態である、と。
にも関わらず、一般のスポーツ紙には、
“ヴイマックス仕上がった!軽快なフットワークでやる気MAX。”
“ヴイマックス2冠へ順調。秋はフランス凱旋門賞も視野。”
などと、景気のいい見出しがズラリと並んだ。
競馬が興行の面を持つ以上、関係者はネガティブな情報があっても、それを積極的には発信しない傾向がある。話題の馬に不安要素でもあると、観客動員や売り上げに悪影響が出かねないからだ。また、管理馬について否定的なコメントをすることで馬主サイドの不興を買うリスクが高まることも、その動きを助長するものである。
そのため多くの関係者はいつも絶好調をアピールし、それを忖度したマスコミもその裏に潜む不安要素には目をつぶり、受け手が飛びつくような情報を発信して行く。
こうした風潮は関係者の立場や心情を推し量るとやむをえない面もあり、ライバルの状態を探る情報戦の要素も加味すると、それを真相隠しと一概に批判するのは酷かも知れない。しかしその結果、一般のファンは後になってから、『実は────』などという事情を知ることになりがちである。馬の調子や距離適性について、予想記事に書いてある内容とレース後の関係者コメントが正反対、なんてことも、多くの競馬ファンが一度は経験していることだろう。
そんな不穏なムードが漂い始めたダービーを尻目に、オークスの本追い切りにおいては、有力各馬がこぞって万全をアピールしていた。
注目度ナンバーワンは、またまた鞍上ロベールのラウンドアバウト。名門・国沢 和人厩舎の管理馬で、トライアルのGⅡフローラステークスの勝ち馬である。同厩のシングウィズソウルをNHKマイルカップに回しての使い分けにより、こちらがオークスに参戦することととなった。馬なりの併せ馬でスッと抜け出し先着した動きと、追い切り後なのに息が全く乱れていない心肺能力の高さから、1番人気が予想されている。
桜花賞馬シロイコイビトも、栗東のウッドチップコースで万全の仕上がりをアピールした。関東への長距離輸送を考慮して馬なりの軽い調整に終始したものの、回転数の多い小気味いいフットワークが状態の良さを伝えていた。ただ、血統的に距離延長は微妙な上、一瞬しか脚を使えないタイプで府中の2400には合わないという点が不安視され、2番人気にとどまると予想されている。
対照的に桜花賞2着馬サイレントヴォイスは、関西馬ではあるが輸送を気にせずビシッと追い切り、栗東のウッドチップコースで6ハロン79秒2の好タイムをマークした。強く追うことで気合いを乗せて前に行きやすくすると同時に、粘り腰を発揮するための心肺機能強化を狙った調教内容である。現在の高速馬場では前が簡単には止まらないのを味方につけ、持ち前の先行力を遺憾なく発揮させようという意図が感じられた。
そして陽介が騎乗する桜花賞3着馬プレシャスガーデンは、これらに次ぐ4番手の評価を受けていた。折り合いに問題はなく距離延長を苦にするタイプではないが、追い込み一手の脚質が現在の馬場コンディションにマッチしていないのではないかとの懸念を持たれていた。
陣営もそれは百も承知であり、追い切りは3頭併せの真ん中に置いて、終始プレッシャーを掛け続けた。今までの大外一気では厳しいと見て、馬群に入れる競馬でロスを最小限に抑えようという狙いであった。
多士済々の有力馬が集う今年のオークスは、日曜午後3時40分に発走する。




