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少女ときどきジョッキー  作者: モリタカヒデ
第1部 少女ときどきジョッキー
83/222

83 父子

 ヴイマックスの優勝で幕を閉じた皐月賞から一夜が明け、今週はGⅠ連戦の谷間の週である。

 落馬負傷の優が引き続き静養に努める中、今週はそのお手馬の一頭、フレイムセイヴァーが出走を予定していた。

 お手馬に優が乗れない時、その受け皿として雅が騎乗するのがこれまでのパターンであったが、今回は馬主サイドから待ったの声が上がった。


 神谷厩舎に預託する馬主は、零細の個人馬主が大半である。調教師の太陽の人柄や腕前を買ってくれてはいても、全てを彼に任せてくれるほど余裕がある人たちばかりではないのも、当然である。

 前走の脚質転換で鮮やかな勝利を飾ったフレイムセイヴァーの馬主としては、このまま軌道に乗せて一稼ぎしたい中、経験も技術も不足している雅に任せるのは不安であった。主戦の優が乗れないのなら、確かな技術を持つ別の騎手を確保して欲しいとの希望を伝えていた。


 このオーダーに対し太陽が依頼したのは、息子の陽介であった。


 太陽と陽介の父子関係は別段悪いわけではなく、むしろ良好である。しかしこれまで、陽介が父の厩舎の馬に騎乗したことは、ただの一度もなかった。それは、息子を甘やかしたくない、父に甘えたくないという、お互いの高いプロ意識の結果であったのだ。

 そんな太陽が息子に騎乗を依頼したということは、陽介を一人前の騎手として認めたことに他ならない。そしてそれを断らなかった陽介も、現在の己の技術に対する自信が確信に変わる段階に到達していた。既に重賞2勝を上げ、競馬の華であるクラシックで桜花賞3着、皐月賞2着と健闘し、ここまで30勝をマークし年間100勝も目指せるペースで勝ち星を積み重ねている。今や陽介は、厳しい競争を乗り越え、トップ騎手の一人としての地位を確立しつつあった。


「もうすっかり元気そうだな。今週からでも乗れそうじゃないか。」

 かつての自宅で安静にしている優を見舞った陽介が、軽口を飛ばす。

「実際もう体は全然問題ないよ。でも打ったのが頭だし、短い間で同じことをやっちゃうと大変だからね……。」

 ドクターストップ自体には納得している優だったが、やはり調教も含めて一切馬に乗れない悔しさが顔に出ていた。

「それでどんな感じなんだ?お前から見たフレイムセイヴァーは。」

 今回乗り替わるフレイムセイヴァーは、まだ1000万円以下クラスの一介の条件馬に過ぎない。そんな条件戦一つでも、情報収集を怠らず事前の準備に余念のない陽介の姿に、優は思わずフフッと笑ってしまった。

「何だよ、俺、何かおかしなこと言ったか?」

「ううん、ちょっと思い出しただけ。陽介は競馬学校の頃から変わらないなって。」

 出会った頃から陽介は、競馬に関しては超がつくほど真剣だった。お互いクソ真面目な性格同士で、ウマが合ったのかも知れないなと、優は思った。


 そんな優がテレビ観戦する中、フレイムセイヴァーの出走レースがやって来た。日曜の東京最終レース、ダート1600メートルが舞台の4歳以上1000万以下条件戦である。今週末も天候に恵まれ、馬場状態は良と発表されている


 4枠7番のフレイムセイヴァーは、今回昇級戦にも関わらず1番人気に推されていた。前走は500万円以下条件でもメンバーが揃った一戦と評価されており、それを撫で斬った同馬の末脚は、直線の長い東京コースでさらに生きると見られていた。優から陽介への乗り替わりも、鞍上強化の買い材料となったようだ。

 その陽介は、前日の福島でGⅢ福島牝馬ステークスで、秋華賞でもコンビを組んだあのチョコレートケーキに騎乗。見事これを制し、通算3つ目の重賞制覇を成し遂げて、乗りに乗ってこのレースに臨んでいた。


 ライバルもここが昇級戦の3枠6番、ハットシテグー。前回のフレイムセイヴァーに敗れた後、3月の同条件戦を2馬身差で逃げ切り快勝。今回は1番人気を譲ったものの、デビュー7戦で1着2回、2着4回、3着1回の成績は信頼度が高く、むしろ複勝ではこちらの方が売れていた。今回の鞍上は田崎 英太。


 再戦ムードが高まる中、注目のスタート。相変わらずゲートでチャカついていたフレイムセイヴァーであったが、今回はタイミング良く飛び出すことが出来た。それを制して内からハットシテグーがハナを主張し、そのままレースの主導権を握る。そして人気のフレイムセイヴァーは、意外にも馬群のちょうど真ん中辺り、予想より前目の位置に付けている。


「えっ!陽介?」

 優が驚くのも無理はない。馬群の前走後方待機の競馬で結果を出したのは、陽介も重々承知のはず。いくらスタートを決めたとはいえ、当然もっとポジションを下げて競馬をすると思っていたからだ。


「そこで大丈夫なの?陽介。」

 心配する優だったが、陽介の手綱は全く動かない。スタートから手綱を抑えるでもなく、全く馬の行く気に任せた結果、自然と中団の位置取りになった感じである。


 先頭のハットシテグーは、いつも通りの軽快な逃げを披露している。最初の600メートルを36秒4のマイペースで通過し、まだまだ余裕の手応えだ。


 長い直線を意識しているのか、陽介は前走のようにまくる気配もない。中団から通常の差し競馬を進めているようにしか見えない。

「普通に運んじゃったら、詰めの甘さが出ちゃう。この形じゃあ、伸び切れないよ。どうしてなの、陽介……。」


 優の諦めをよそに陽介は悠然とコーナーを回り、8番手で直線に入る。

 ところがどうだ。陽介が合図の右鞭を入れると、フレイムセイヴァーは前走同様のシャープな反応を見せる。みるみるうちに差は詰まり、残り150メートル付近で逃げるハットシテグーに追い付いてしまった。


 残り100メートルでこれを交わしたフレイムセイヴァーは、最後は2馬身半突き放し先頭ゴールイン。鞍上の鮮やかなエスコートでハットシテグーを返り討ちにした同馬は、これで2連勝。勝ち時計は1分36秒9、上がりの3ハロンは35秒8の速さであった。


 一部始終を見ていた優は、愕然としていた。

「陽介はあの位置で、充分脚を溜められたんだ。私ならきっと、最後方近くまで下げていたのに……。」

 たとえスタートが決まろうとも、優が乗っていたら、迷わず手綱を引いて馬を抑えていただろう。そうしないとあの末脚は引き出せないと思っていたからだ。しかし陽介は、道中全く無駄のない走りで、中団から難なく差し切って見せた。同じ脚を溜めるために取ったポジションの、決定的な差。それこそが現在の陽介と優の技量の差でもあったのだ。


 衝撃に打ちひしがれる優とは対照的に、引き揚げて来るフレイムセイヴァー陣営は、勝利の喜びに満ち溢れていた。

 初の父子タッグを見事な勝利で飾った二人は、同じようにぎこちなくはにかみながら、固い握手を交わした。

 








 


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