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少女ときどきジョッキー  作者: モリタカヒデ
第1部 少女ときどきジョッキー
79/222

79 有情無情

「目が覚めたか、優。俺が分かるか?」

 病院のベッドで目覚めた優の横に座っていたのは、太陽だった。優が小さくうなずくと、太陽はナースコールのスイッチを押して、優の意識が戻ったことを伝える。

「そっか、私落ちたんだっけ……。」

 まだぼんやりした頭の中で、優は思い出した。自分が落馬したこと、そして────


「先生、エルは!エルブランコはどうなったんですか?」

 はっとして起き上がりそうになる優を制しながら、太陽は静かに首を横に振った。

「悪いのはエルブランコをここに使った俺だ。お前が気に病むことはない。」


 太陽のおかげで、優は現在の自分の状況を把握することが出来た。落馬の際に前方に放り出され、頭を打ち脳震盪を起こして、意識が飛んで救急搬送されたとのことだった。不幸中の幸いだったのは、重馬場で地面が柔らかかったのが多少なりともクッションの役割を果たしたのと、とっさに取った受け身で、頭部への致命的ダメージを免れたこと。実際、意識が戻ったのは病院に着いてすぐのことだった。


「とりあえず今日は入院して安静にしろ。頭は危険だから、軽く見ては駄目だ。」

 そのまま病院のベッドの上で、優は一晩を過ごすことになった。


 なかなか寝付けない優は、エルブランコと過ごした日々を思い出していた。自分が降ろされたピンポンダッシュをねじ伏せて勝利した浜松ステークス。オープン入り初戦を完勝して飛躍を期待させたカーバンクルステークス。真っ向勝負を挑むも重賞の壁に跳ね返されたシルクロードステークス。そして、最後のレースとなった春雷ステークス。たった4戦の半年にも満たないコンビであったが、優にとってはどのお手馬よりも印象深い1頭であった。いつしかその瞳には、自分でも気付かずに涙が溢れていた。


 入念な検査の結果、異常が認められなかった優は、火曜日には退院することが出来た。ただ脳震盪は症状が治まる前に再度起こしてしまうと命に係わる危険な症状であるため、2週間は騎乗をキャンセルして静養に努めることとなった。


 退院した優が向かったのは、美浦トレセンの馬頭観音であった。花を手にした優が到着すると、ちょうどそこには、あの日の中山競馬場で愛馬を見送った綾がいた。

「あら優ちゃん、退院出来たんだね、おめでとう。でもあまり出歩かないで安静にしてた方がいいわよ。」

「私は大丈夫です。それより綾さんは辛くないんですか?うちの厩舎に来てからずっと世話して来たエルがあんなことになってしまって……。」

「正直、平気ではないかな。担当馬を亡くしたのは初めてではないけど、やっぱり慣れるものではないし。でも、落ち込んでばかりもいられないの。エルちゃんはいなくなったけど、私の担当馬は他にもいるから。」

「綾さんは強いんですね。……私は、自分が嫌いになりそうです。」


 優は暗い表情のまま、心境を吐露し始めた。

「ここに来る前、エルの馬房に寄って来たんです。主がいなくなってがらんとしてて、寂しいものでした。でもエルが死んでこんなに苦しくなる自分が、急に勝手な人間に思えて来ちゃって。」

「勝手って?」

「私、去年湯川先生のところのタオヤカタオを死なせてしまったんですけど、その時は落馬の恐怖に押しつぶされそうになってて、あの子の死を真剣に受け止めてなかった気がするんです。でも今回のエルは、コンビを組んで来たから情が入りまくりで押しつぶされそうなくらい。それを考えたら、私は競走馬を自分の都合のいいペットくらいにしか見てなかったんじゃないかって……。」


「そんなことで悩んでたんだ。……うん、確かに勝手だね。」

 思わぬ冷たい言葉にうつむく優に、綾は微笑みかけながら続ける。

「でも、それでいいと思うよ。馬に対する思い入れなんて、1頭1頭違って当たり前だし、全ての馬を平等に扱うなんて機械と同じじゃない。そもそも人間は勝手な生き物なんだよ。自分たちのために他の生き物を犠牲にして生きてる存在なんだから。私達が関わってる競馬だって、酷い言い方をすれば人間の趣味で馬を走らせる残酷な娯楽だし。動物虐待なんて言われたら、それはその通りかもしれない。でも────」

「でも?」

「一生懸命育てて鍛えた馬でレースに出て、その力を引き出していい結果を出せたら、やっぱり嬉しいじゃない。幸せでしょ。人間は幸せを求めて生きてる自分勝手な生き物なんだから、それが自然なんだよ。」

「……そう、ですね。」


 綾との会話で心のモヤモヤが幾分和らいだ優は、穏やかな表情で前を向いた。

「エル、短い間だったけど、一緒にいて楽しかったよ。これからも私は頑張るから、どうか見ててね。」

 優は馬頭観音に花を供えて、静かに祈った。


 

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