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少女ときどきジョッキー  作者: モリタカヒデ
第1部 少女ときどきジョッキー
72/222

72 主張

 優とチョトツモウシンが今週挑むのは、土曜日の準メインレースの春風ステークス。中山ダート1200メートルに16頭を集めて行われる1600万円以下条件戦である。馬場状態は稍重と発表されている。


 そもそも先行馬が圧倒的に有利なダートの短距離戦は、スピードの絶対値の高さを生かした逃げ切りや先行押し切りの競馬で勝ち上がって行く馬が多い。すなわち、このカテゴリーはクラスが上がって行くにつれて、そのような馬たちが集まる比率が高くなる傾向がある。その結果、ぶっちぎりで勝った馬が昇級戦で人気を背負って惨敗するようなレースをよく目にすることになる。いわゆるクラスの壁が最も色濃く存在する条件と言えよう。


 その壁をたやすく越えて行けるような馬は、往々にして重賞やGⅠで活躍するような実力馬である。スピード自慢が揃った中でさらに抜けたスピードを誇示する馬、ペースに応じて柔軟にポジションを合わせられる自在性を備えた馬、不利を承知の後方一気で全てを覆す追い込み馬……。何かしらの突き抜けたストロングポイントの有無が明暗を分けることが多い。


 チョトツモウシンは、先行馬ながら一本調子ではない。実際、新潟で優が初めて騎乗した時には、ハイペースに対応して脚を溜める競馬で勝っている。安定感のあるレース巧者であることに疑いようはないが、優は前走のブラッドストーンステークスでの敗戦に若干の物足りなさを感じていた。抜群に動く調教、スタートダッシュの鋭さから鑑みるに、もしかしたら自分はこの馬の潜在能力を充分に引き出していないのではないだろうか、という疑念を抱いていたのである。


 

 この春風ステークスの1番人気は、2枠3番コウインヤノゴトシ。騎手は増岡 拓海。前走は逃げて後続を10馬身千切り捨てる圧巻のパフォーマンスを見せており、昇級戦のここでも単勝2.4倍と頭一つ抜けた評価を受けている。


 優のチョトツモウシンは、これに次ぐ2番人気。前走このクラスで2着している実績はもちろん、大外16番という不利な枠順ではあるが、逃げ先行馬が出走馬の半分以上を占める今回のメンバー構成から、控えても競馬が出来る点を高く評価されている。


 パドックで跨りチョトツモウシンの状態の良さを確認した優は、林調教師と何やら言葉を交わして本馬場に向かった。優の話を聞いた林は当初驚いた表情を浮かべていたが、最終的には大きくうなずいて人馬を送り出していた。


 そしてゲートイン。各馬枠入りを終え、大外のチョトツモウシンと優が最後にゲートに向かう。怖いくらいの集中力で厳しい表情をしているのを、ゴーグル越しからでも感じ取ることが出来た。


 ゲートが開くと、人気のコウインヤノゴトシが、前走と同じくハナを切るべく好ダッシュを見せる。が、大外から超抜のロケットスタートを決めたチョトツモウシンが、これを制して先手を主張する。


 遡ってパドックで、優は林とこんなやり取りをしていた。

「林先生、今回は思い切って逃げようと思っています。」

「おいおい、このレースはハイペース必至やで。行く馬行かして後ろから見てた方がええんちゃうか?わざわざ惨敗のリスクを負わんでも……。」

「今までの乗り方じゃこの子のスピードを生かし切れてない気がするんです。下手に抑えないで気分良く行かせてみたらハマるかも知れません。」

「せやけど、確実に賞金を稼げる馬で惨敗でもしたら、オーナーも黙っちゃおらんぞ。」

「確かにもし結果が出なかったら、オーナーや馬券購入者に対する裏切りですからね。その時は私を遠慮なく降ろして下さい。逃げの手に賭けてみたいんです。」

「……それほどの覚悟か。分かった、好きにしいや。」


 虚を突かれた増岡は、ガシガシと手綱をしごいて内から突っ張る意思を見せる。しかし、スタートを決めた上に迷いなく加速していくチョトツモウシンは、これを寄せ付けずにハナを主張し続けている。

 騎手デビュー戦で優が古畑と絡んだ経緯を聞いていた増岡は、これ以上競っても共倒れになると諦めて、番手に落ち着いた。


 優とチョトツモウシンは、まるでブレーキが壊れたのかと思えるほど、きっぷのいい逃げを打っている。前半600メートルの通過は33秒フラット。芝並みの時計は明らかなオーバーペース────に見えた。


 ところが予想に反して、これを見る形でレースを進めた人気のコウインヤノゴトシの手応えがアラアラになっている。そのままズルズルと後退して行く本命馬の姿に、場内が大きくどよめく。


 チョトツモウシンは、後続に6馬身ほど差をつけて直線に入って来た。これだけ飛ばしているにも関わらず、まだまだ余力充分の様子である。

 残り100メートルを切って、さすがに苦しくなったかスピードが目に見えて落ちて来たが、ここまで来ればセーフティーリードだ。

 

 結局3馬身ほどの差を保ったまま、チョトツモウシンが押し切って優勝。勝ち時計は1分9秒9と、1分10秒を切る好タイムを記録した。そこから導き出される自身の上がり3ハロンは36秒9。これだけのペースで引っ張りながら、終いもまとめての完勝。

 ため息が聞こえて来るようなスタンドの空気は、こんなに強かったのかこの馬、というファンの驚きを如実に表していた。


「見事な逃げやった。化けたな、この馬。ホンマにありがとう。」

 林の最上級の讃辞に、馬上の優はゴーグルを外して笑顔で応える。ようやくチョトツモウシンの力を引き出せたという満足感に包まれて、騎手としての至福の瞬間を味わっていた。

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