7 大本命
優とチョコレートケーキは、惜しくも2着に終わった。
結果として一番人気に応えられなかったことで、うなだれる優。しかし、地下馬道で一緒になった古畑が、意外にも笑顔で話し掛けて来た。
「あのスタートから2着に持ってくるとは、まあまあやるじゃなねえか、お嬢。俺の内を掬ったのは、正直やられたわ。」
お嬢呼ばわりには少しムッとしたが、あの古畑が自分を認めてくれるとは。
馬止め場に引き揚げてきた優に、出迎えた湯川が声を掛ける。
「スタートは仕方ないが、よく乗った。続けて来月の府中で使うから、また頼むな。」
敗戦を責められることを覚悟していた優は、予想外の再度の騎乗依頼に、驚き戸惑った。
「思ったより良かったよ。もうそろそろ順番だと思うから、次もきっちり乗ってくれよ。」
優を乗せることに不満顔だった厩務員も、満足しているようである。
残念ながら今回勝つことは出来なかったが、納得出来るだけの結果を出せば、こうしてまた次のチャンスが与えられる。この厳しい競馬の世界で生き残って行くためには、こうやってチャンスの好循環を続けて行くしかないのだ。今度こそ最上の結果を出さなければいけない。
「ありがとうございます!頑張ります!」
優は、感謝と同時に勝ちたい気持ちを一層強くした。
翌週の美浦トレセン。
「湯川先生とこのチョコレートケーキ、また乗るんだって?次は勝てるんじゃない?」
調教をつけていた優に、馬上から話し掛けてきたのは、神谷 太一。優の所属する神谷 太陽厩舎の調教助手にして、太陽の長男、すなわち陽介の兄でもある。
「はい。続けて乗せてくれる関係者の皆さんの期待に、次は応えたいです、ホント。」
返事する優の顔は、照れて少し赤みを帯びていた。
「頑張りなよ。初勝利を上げられたら、僕らと湯川厩舎のスタッフで、ささやかなお祝いをしてあげるから。…まあ、チョコレートケーキの前に勝てればもっといいんだけどね。」
「よろしくお願いします。祝勝会、楽しみにしてます。」
舞い上がった優は、うっかり勝利宣言までしてしまった。
優は、太一に惚れていた。そのことを知っているのは、腹を割って話せる陽介だけだった。
「兄貴のどこが、そんなにいいんだよ。まあイケメンちゃあイケメンかもだけど、ナヨっとしてるっつうか、ちょっと男らしさが足りないんじゃね?」
優の恋バナ相談を受けた陽介は、何だか少しむくれ気味だ。
「分かってないなあ、陽介は。太一さんはいつも優しくて、包容力があるの。父性というか、本当のお兄ちゃんみたいで、甘えたくなるんだよ。男気だけが男の子の魅力じゃないよ。」
そう反論する優だったが、陽介が何故不満げなのかは分かってなかった。
残念ながら優は勝ち星を上げられないまま、チョコレートケーキの出走する週がやって来た。
前回に続いてその最終追い切りに騎乗した優は、状態がさらにアップしているのを感じ取った。
「どうだ?チョコの調子は。」
調教を終えた優に、湯川が尋ねる。
「凄くいいですね!私さえしっかり乗れば、結果は付いてくると思います。」
優は、その好感触と自信を隠せなかった。
そして、日曜の東京競馬場。この日はGIレースのヴィクトリアマイルが行われるため、朝からかなりの数の観客がつめかけていた。
チョコレートケーキがエントリーしているのは、3歳未勝利戦。芝1800メートルで行われる、牝馬限定戦である。これまで牡馬との混合戦で走って来たチョコレートケーキからすると今回は相手が軽くなる上、実績も出走メンバーの中では頭一つ抜けていた。
チョコレートケーキは引き続き一番人気に支持されていたが、その単勝オッズは、前回が3.2倍だったのに対し、今回は実に1.4倍。一本かぶりと言える支持を受けていた。