62 マウンティング
週末の騎乗予定を急遽中京に変更した雅だったが、やり手のエージェントである大谷の手腕で、計10頭もの騎乗馬を確保することに成功した。しかもそのうちの2頭は、単勝1倍台が予想される抜けた人気馬である。
「大変だったんですよ、これだけの乗り馬を集めるのは。他のエージェントとのネットワークを利用して馬を融通し合ったり、騎乗停止で鞍上が空いた馬に捻じ込んだりで。これで結果が出ないと、各所からの突き上げで色々とまずい事になるので、今週は必ず結果を出して下さい。特に確勝級の2頭はね。」
大谷からの電話を切ると、雅は大きなため息をついた。アイドル騎手計画がこんなにも早く正念場を迎えた事に、大きなプレッシャーを感じているのだ。
アイドルとして馬を集めるというのは、自らを金メッキで加工して輝かせるようなものである。眩しく光るメッキも一旦剥がれてしまえば、その正体が暗く澱んだ鉛や銅である事が露呈してしまう。
(女性ジョッキーとして輝くのは、あたし一人でいい。優センパイを完膚なきまでに叩きのめして、このままブレイクしてやるんだ。)
馬の力に頼らないと勝てない現状は、自分が一番よく分かっている。だからこそ、大本命の2頭は是が非でも勝たねばならない。しかもその2レースは、どちらも優が有力馬に騎乗する予定である。2週連続の複数勝利を上げることで、同時に優との勝負付けを済ませたことをアピール出来る。今や雅にとって優は、尊敬する先輩ではなく、自らの進む道に立ち塞がる邪魔者でしかなかった。
そして週末の中京競馬がやって来た。天候に恵まれ、土日両日芝ダートとも良馬場で行われる。
雅の勝負駆けは、土曜日の4歳以上500万円以下条件戦(芝2000メートル)と、日曜日の牝馬限定の3歳未勝利戦(ダート1800メートル)の2レースである。
まず土曜日の4歳以上500万円以下条件戦。このレースは計14頭が出走する。
1番人気は1枠1番、雅の乗る4歳牡馬グレートウォール。以前は差し馬だったが、先行出来るようになってから成績が安定して来ており、このクラスでの過去3走は4着、3着、2着と前進一途である。前走で敗れた相手は昇級戦を即勝利した実力馬で、この馬自身も3着馬を3馬身突き離しており、ここは順番が来たと見られている。4キロ減量で53キロという恵まれた斤量もあり、単勝1.8倍の圧倒的支持を集めた。
2番人気は6枠10番、お馴染みローカルの帝王・古畑が騎乗する5歳牡馬ヒエラルキー。先行して発揮する瞬発力が武器で、理想はスローの溜め逃げである。ここは単騎逃げが見込まれることから人気しているが、減量なしの57キロが嫌われて本命の座を譲っている。
3番人気が大外8枠14番、優の4歳牝馬ラララコッペパン。中団からの差しが好走パターンだが、詰めが甘く勝ち切れないタイプで乗り難しいが、常に上位に食い込んでくる堅実さが買われて、ここでも上位の支持を受けている。加えて、牝馬の4キロ減で51キロという恵量が、その弱点を補ってくれるかも知れないという期待もあるようだ。
「おいお嬢、あの新人のアイドル娘と何かあったのか?会話もないし目も合わせないし、変な空気じゃねえか。」
発走前の輪乗り中、二人の間の緊張を察した古畑が、ぼそりと囁く。
「そうですね、ちょっと……。でも大丈夫です。今でもミヤビンは私の可愛い後輩ですよ。」
「そうかい、ならいいけどよ。」
そんな会話を交わした後、発走を告げるファンファーレが鳴り響いた。
スタートしてすぐに、古畑のヒエラルキーが押し出されるようにじわりと先頭に立つ。注文通りのスロー逃げだ。これを見ながら競馬をしたい雅のグレートウォールがその直後につける。優のラララコッペパンは中団やや後ろの8番手。先頭から最後方まであまり差がなく馬群を形成している。
中間地点に差し掛かる。逃げるヒエラルキーは、前半1000メートルを1分2秒0で通過。
(古畑さんの後ろについていれば大丈夫ね。ヒエラルキーは絶対に抜け出すから、その後ろを追って行けば進路が勝手に出来るわ。このままこの位置をキープすれば、勝てる!)
願ってもない絶好の展開に、雅は勝利を確信していた。
その大本命馬の隙を、ラララコッペパンの優は虎視眈々と狙っていた。帝王・古畑をマークすることで生じる安心と油断。その心情を誰よりも思い知っている騎手が、かつて同じ状況で苦杯を嘗めた彼女である。




