58 善戦マン
2月も最終週となった。中央開催が東京・京都から中山・阪神に移り、いよいよ春競馬のシーズン到来を告げる。
同時に年度末でもあるこの週、優の同期の鈴木と西野が騎手免許を更新せず、現役引退が決まった。2人とも調教助手に転向し、引き続き現場で競馬に携わって行くとのことである。たった1年でターフを去る同期がいる一方で、来週からは4人の後輩が新しく加わり覇を競うことになる。うかうかしていると自分も見送られる側に回りかねない、厳しい競争の世界である。
「久しぶり、藤平、神谷。心配掛けて悪かったな。」
実戦に復帰することは出来なかった鈴木だが、このタイミングで無事に退院を果たし、関係者への挨拶回りで美浦トレセンに顔を出していた。
「退院おめでとう、鈴木君。これからは騎手と助手の関係に変わるけど、今後ともよろしく。……大島先生にも私を乗せてくれるよう、口添えをお願いね。」
「俺も頼むぜ、鈴木。同期のタッグで初勝利を上げるのは、俺だからな。」
優と陽介の早速の営業トークに苦笑いしつつも、変わらない同期の友情に、嬉しさを隠せず終始笑顔の鈴木であった。
「それはそうとして、誕生日おめでとう?藤平。」
「やめてよ鈴木君。私の誕生日は今年もないから。来年だよ、来年。」
優の誕生日は2月29日。4年に一度のうるう年にしか巡って来ない。この日が誕生日の人は、代用として2月28日に祝うことが多いのだが、几帳面な優はそれを良しとしなかった。彼女の誕生パーティーは、夏季オリンピックと同じ年に4年に一度行われることになっている。
この週の優の勝負駆けは、土曜日の中山。4歳以上500万円以下条件戦のフレイムセイヴァーと、準オープンのブラッドストーンステークスのチョトツモウシンの2鞍だ。ともに乗り慣れているお手馬である。
フレイムセイヴァーは毎回上位に来るものの、パンチ不足でなかなかこのクラスを勝ち上がることが出来ない。典型的な善戦マンと言えた。師匠の太陽からも何か手を打った方がいいとの指摘があり、優は乗り方を思案していた。
(スタートに不安はあるけど、大逃げでセーフティリードを作って詰めの甘さをカバーするのも手ね。基本前に付ける馬だから大きくスタイルを変えたくはないし……。)
ダートのレースは基本的に前が有利だ。ただフレイムセイヴァーはそんなにスタートダッシュの鋭い馬ではなく、先行する馬が多いダート戦でハナを奪えなかった時には、ただ無駄脚を使っただけの結果に終わるリスクもある。優は大逃げを基本線としつつ、スタートの出来と他馬の出方を見て決めることにした。
フレイムセイヴァーの出走するレースは、ダート1800メートルに強力な逃げ先行馬が揃っていた。
1番人気は、単勝2.2倍、最内1枠1番のハットシテグー。デビューから全てのレースでハナを切っており、着順も2、1、2、3、2とフレイムセイヴァー以上の安定感を誇る。騎乗するのはリーディングジョッキーのミッシェル・ロベール。
2番人気は、単勝3.6倍、2枠4番のドリームチェイサー。逃げが理想だが控えてもレースが出来る器用さを持つ。鞍上は大井から移籍の田崎 英太。
優のフレイムセイヴァーは、単勝5.1倍の3番人気。前走2着も大きく離されたことで、今回は少し評価を下げてしまっていた。
レースが始まると最内枠のハットシテグーが、包まれまいと押して押して、すぐに先頭に立つ。それを見たドリームチェイサーの田崎は無理なハナ争いを避け、控えて2番手につける。
対するフレイムセイヴァーは、ゲートで上手く駐立出来ずにガチャついてしまい、2馬身後手を踏むスタート。またも課題のゲートで失敗してしまった。
(やっちゃった。でも、これで肚は決まった。)
善戦マン脱出のために中途半端だけはしないと決めていた優は、そのまま最後方でフレイムセイヴァーを待機させる。
先行馬が揃っていたこのレースだったが、すんなりと隊列が決まったため、1000メートル通過は1分3秒5と予想外のスロー。後方待機のフレイムセイヴァーには厳しい流れ────かと思われた。
しかし、鞍上の優の手応えは意外なほど良かった。初めて前半ゆっくり行く競馬をさせてみたが、手綱を放せば弾けそうな雰囲気を醸し出している。
(直線まで待って末脚を爆発させるか、ペースに合わせてまくって行くか、どっちにしようか……。)
一瞬考えた優だったが、逃げているのが本命馬であること、これだけの手応えで脚を余しては悔いが残ることから、持ち前の決断力ですぐさま後者の戦法を決断した。
3コーナーから進出を開始すると、大外から一気に先頭集団を射程圏に捉える。それに反応してハットシテグーとドリームチェイサーの2頭も内から同時にスパートをかける。
直線入り口に、人気馬3頭が雁行態勢で入って来た。内ラチ沿いをロスなく逃げていたハットシテグーがドリームチェイサーを振り切るところ、外からフレイムセイヴァーが、追って来た勢いそのままに頭一つ抜け出して先頭に立つ。
楽逃げしていたハットシテグーも最後まで食い下がるものの、余力を残していたフレイムセイヴァーがそのまま頭差で押し切って1着ゴールイン。勝ち時計は1分54秒1、上がり3ハロンは36秒9であった。
「ハイペースで脚を溜めた時に切れるかは未知数ですけど、後ろで脚を溜める形自体はこの子に合ってるみたいです。」
検量を終えた優が太陽に報告すると、太陽はその背中をポンと叩いて言う。
「仕掛けるタイミングがドンピシャだったな。よく乗ってくれた。ありがとう。」
調教師から貰える最高の誉め言葉に、感極まった優は思わず瞳を潤ませた。
その後のブラッドストーンステークスのチョトツモウシンは、2番人気2着に終わった。層の厚いダート短距離戦ということもあり、昇級即勝利とは行かなかったが、このクラス突破に目処が立つ充分な結果であった。
こうして、優は初年度を最高の形で締めくくった。自身初の1か月3勝を達成し、今年5勝、通算14勝。順調な騎手2年目を過ごしている優は、来週からは新人騎手を迎え撃つ先輩騎手の一人となる。




