47 ラップ
騎手時代の神谷 太陽は、栄光のダービージョッキーにして、『ターフの魔術師』と言われるほど変幻自在の騎乗を持ち味としていた。
「俺が現役の時と今じゃ、いろいろ変わってしまったが、変わらないものもある。そもそも3000メートル辺りになると、息を入れないで走り切れる馬なんてまずいやしない。必然的に大きく緩急をつけてラップを刻むことになる。それは分かるな?」
そう言って太陽は一枚の紙を取り出すと、スラスラと数字を書き始めた。
13.2 - 12.5 - 11.8 - 12.0 - 12.1 - 13.2 - 13.9 - 13.4 - 14.1 - 14.2 - 13.2 - 11.6 - 11.4 - 11.6 - 12.1
「これは、ある年の万葉ステークスの1ハロンごとのラップタイムの推移だ。優、これを見てどう思う?」
「中間の緩み方が凄く大きいですね。これだけ息が入れば、ラスト4ハロンの上がりが早くなって、前が有利の展開になりますよね。」
「もちろんそうだ。中盤に大きく息を入れて最後の脚を残すってのは、今も昔も長距離戦のセオリーの一つだからな。だがこのラップが面白いのは、そんな当たり前のところじゃない。」
太陽は、このラップの妙味を語り始めた。
「2ハロン目からペースを上げて行って、長距離にしては早い12秒前後のラップを続けているだろう。これで、後続を離しての逃げの形を作ることが出来た。この時の逃げ馬は、真ん中辺りの人気でノーマークだったから、余計にリードが大きくなったのもある。」
「でも先生、その後これだけ極端にペースを落としていると、後続がまくったりプレッシャーを与えに行ったりとかされたんじゃないですか?」
「そこがこのレースのミソなんだよ。13.2 - 13.9 の所で、当然後ろはペースダウンに気づいて、動いて行く選択肢が頭に浮かんだはずだ。しかしその後 13.4 でペースを上げていく構えを見せたことで、動き辛くさせたんだ。その後また 14.1 - 14.2 と超スローに戻して、十二分に余力を残すことに成功している。」
「じゃあ先生、もしかしてその後に 13.2 と一気に1秒ペースを上げているのは……。」
優のリアクションに太陽は、我が意を得たりとばかりにニヤリと表情を崩して、答えた。
「そう。フェイントに引っ掛かったと勘づいた後続が、差を詰めに行くまさにそのタイミングで、ペースを上げ始めたんだ。ペースが緩んだところで捕まえに行ったはずが、1秒分余計に脚を使ってしまったことになる。その結果、4コーナーから直線に入ったところで捕まったかに見えた逃げ馬が、ギリギリ粘り込むことに成功した。たいていの馬は、いい脚を使えるのはせいぜい4ハロンくらいだ。微妙に余分な脚を使った分、後続が失速した結果のラスト1ハロン 12.1 ってわけさ。」
このレースの分析を終えて、太陽はまとめに入る。
「力が落ちる馬では、この逃げ切りは理想的な駆け引きの結果と言えるだろう。逆の立場からすると、どこでどう動くのがベストなのかを考えなくちゃいけない。お前が今回騎乗するレオパルドンなら、どうする?もう答えは出ているだろう。」
あとは太陽の解説をレースで生かすだけだ。他の馬の強引なまくりに乗っかって脚をなくした前回の轍は踏まないようにしないといけない。一つでも上の順位を目指すべく、出走馬のチェックに余念のない優であった。




