42 ゆく年くる年(2)
中央競馬の年内最終日。阪神競馬場に乗り込んだ優は、勝負レースと位置付ける春待月賞を迎えていた。良馬場のダート1400メートルにフルゲート16頭を集めて行われる、3歳以上1000万円以下条件戦である。
優の騎乗するチョトツモウシンは、今回は昇級初戦ながらスピードはこのクラスでも引けを取らない。ただしこの馬のベストは1200メートル。1200では4戦オール連対(2着以内)なのに対し、1400では3戦して4着が最高。1ハロンの距離延長にどう対応するかが鍵となる。
管理する林調教師との打ち合わせの結果、作戦は優に全権委任された。適鞍がなく間が空き過ぎるからここを使うが、距離的に厳しいから今後の目処が立つレースをしてくれればいい、というニュアンスだった。
単勝1.8倍の1番人気は、5枠9番ジェントルブリーズ。新馬戦を勝利した後、軽い骨折が判明。約半年の休養から明けて復帰戦となった500万円以下条件戦を、楽々逃げ切って2戦2勝。栗東の名門・山本 幸次厩舎の期待馬だ。父はダート短距離で中央、地方問わず活躍馬を量産しているサザンクロスという血統背景もあり、抜けた人気となっている。鞍上はGⅠ勝ち経験もある若手の|杉山泰平。
単勝4.5倍と少し差を開けられての2番人気は、8枠16番トールハンマー。こちらは本命馬とは真逆で、後方待機からハイペースに乗じて追い込むのが好走パターン。手綱を取るのは、地方騎手から中央に編入してリーディングジョッキーに輝いたこともある御子柴 茂。
7枠13番、優が騎乗するチョトツモウシンは、単勝39倍の8番人気。このクラスの経験がないのに加えて、距離を不安視されてのこの人気だった。
パドックから本馬場に入場して、全馬が待機所でスタートを待っている。
優はこの段階でまだ、どう乗るかを決めかねていた。太陽の提示した策は、前か後ろか極端な位置取りの二択。しかしどちらにも強力な同型がいるこのレースで、そんな苦し紛れの付け焼刃が果たして通用するだろうか。
いつも太陽を全面的に信頼している優だが、今回の太陽のアドバイスには初めて違和感を覚えていた。
思えばこの1年、太陽が回して来る乗り鞍は、優に何らかの課題を与えて成長を促すものが多かった。そんな師匠が、今年の総決算と位置付けるようなレースで、一か八かの出たとこ勝負のような指示を本気で送るものだろうか。
この1年で学んだこと。それはスタートからゴールまでの基本技術の向上。そして何より、師匠の現役時代からの口癖でもある、『走るのは馬』ということ。
馬上でそれを振り返った時、優の迷いは晴れ、自分でも不思議なほど冷静な心境に達した。果たしてそれが正解かどうかは分からないが、優は初めて、太陽の教えでなく自分の考えを優先することに決めた。
そしてスタートの刻が来た。一つのミスが明暗を分ける短距離戦。誰もがいいスタートを切ることに全神経を集中する中で、優のチョトツモウシンはいの一番に飛び出した。
そのまま行くかと思いきや、優の手綱は全く動いていない。ハナを切りたいジェントルブリーズを行かせると、その直後に付けて内ラチ沿いの最短距離を進む。
優の取った作戦は、最初に太陽が否定した普段通りの先行策だった。いや、正確には普段通りではなかった。
優がたどり着いた結論は────勝つために必要な馬の力を100とすると、仮にチョトツモウシンが100の力を持っていたとしても、距離延長でそれはいくらか損なわれてしまうだろう。それを補うためには、未知の変数Xでしかない奇襲戦法よりも、全ての工程をロスなくこなすことで、元々の力を100から向上させればいい。すなわち、馬の力を限界まで引き出すことに専念すればいい、というものであった。
道中は力んでスタミナをロスすることがないよう、折り合いに専念した。これはロケットスタートに成功したからこそ生まれた余裕である。
逃げるジェントルブリーズの最初の3ハロンの通過は34秒9。これは冬場の乾燥したダートを考えると、やや早いペースだ。
3コーナーに入り、後続が動きを見せ始める。逃げる本命馬を意識してのものだが、ジェントルブリーズを捕まえに行くのが早過ぎると、後方で脚を溜めているトールハンマーの餌食になってしまう。優はギリギリまで我慢して、まだ動かない。
そして馬群がチョトツモウシンを飲み込む一瞬前に、優は加速を開始し、コーナーの遠心力で1頭分外へ持ち出した。
後は先頭のジェントルブリーズを目標に、ただ追うのみだった。杉山の今どきの若者らしいダイナミックなフォームとは対照的に、馬と自分の背中のラインが平行する安定したフォームで迫る優。
大外から御子柴が、上下動の激しい独特のフォームでトールハンマーの脚を伸ばして来るが、この展開では突き抜けるのは厳しく、3着まで押し上げるのが精一杯だ。
残り200メートルを切ってから、ジェントルブリーズとチョトツモウシンの差が、ジワジワと詰まって行く。
残り50メートル。優は背中を前方に投げるような前傾姿勢で、馬の推進力に最後のひと押しを与える。
その結果、2頭が鼻面をピッタリ並べた所がゴールだった。
着順掲示板の1着2着の着差表示場所に、写真の2文字が点灯した。際どい決着は、写真判定に委ねられた。




