34 騎手力(3)
レースは、意外な形でスタートした。
各馬揃ったスタートを切るも、長めの距離を意識してゆったりと進んで他馬の出をうかがう。内から陽介のトツゲキラブハートがジワリと先頭に立とうかというところで、大外から美浦のいぶし銀・蟹田のインビンシブルマンが押して行ってハナを奪う。
逃げるインビンシブルマンは、そのまま飛ばし気味にラップを刻む。折り合いに専念する他馬を尻目に、大きく後続を引き離して行く。真っ向勝負では分が悪いと判断した蟹田が、奇襲に打って出たのだ。
2番手にはトツゲキラブハート。
そして差がなく、菅田のイッキュウ。いつもゲートの出が悪く後方からの競馬を余儀なくされる馬だが、今日は好スタートを決めて、そのままいい位置に付けている。引退レースだけに見せ場を作りたいのか、脚質転換に挑んでいるのか、不気味だ。
その後ろは、1番人気、ジョーンズのブラックミストラル。そしてロベールのバーニングサンとジョバンニのガッツマンの2頭が、相手はこれと決めてがっちりマークしている。
大逃げのインビンシブルマンから離れて、この辺りは一団となって追走している。
3馬身ほど離れた後方集団は、優のレオパルドン、屯田のコッペリアの2頭。
(前は飛ばして行ったけど、離れ過ぎててペースが読めないな。ここは逃げ馬を見ている陽介とミツルさんの動きを見て考えよう。)
長い距離、阪神コース共に経験の浅い優は、信頼出来る2人を見ながら進めることにした。
そのままの隊列で1000メートルを通過。タイムは1分2秒6と、見た目とは裏腹のスローペース。テンで飛ばして行った蟹田は、少しずつラップを落として息を入れていたのだ。
馬なりで追走していた陽介は、先頭のインビンシブルマンとの差がわずかに小さくなっていることから、大逃げにしてはペースが落ち着いているのを察知した。人気薄とはいえこのまま楽に逃がすのは危険と考え、軽く手綱を動かして先頭との距離を詰めにかかる。
正確な体内時計を持つ菅田も、ペースが落ちて来たのは分かっていた。しかしイッキュウは早めに動くと味のないタイプ。無理なく好位置を取れたのを幸いに、ここはあえて動かず陽介を行かせた。
その後ろの外国人ジョッキー3人は、まだ動かない。通年免許・短期免許を問わず、直線までジッとしているヨーロッパの競馬に慣れている外国人騎手は、日本競馬でのペース判断においては、それほど精密ではない傾向がある。そのため、よほどの極端なペースでなければ、日本人のトップ騎手の動きに合わせるシーンが多々見られる。ここではそれが菅田だった。
後方で陽介の動きを見ていた優は、自分も早めに動いて行こうと決めた。3コーナーの残り1000メートル辺りから徐々に仕掛けるつもりで機をうかがっている。
すると向こう正面、残り1200メートルに差し掛かったところで、殿からコッペリアが一気に進出を開始した。名人・屯田が大まくりに出たのだ。
外から一気にあおられたレオパルドンは、折り合いを欠いて行きたがる素振りを見せた。
(トンカツさんに先に行かれちゃった。このまままくりに乗っかった方がいい?でもここでハミが掛かったまま行かせると最後まで脚が持たないかも…。)
ほんの一瞬迷った優だが、持ち前の判断力ですぐに決断した。
(元々切れ味勝負じゃあ厳しい馬だし、ここでまた折り合うとしたらさらに後ろに置かれちゃう。ここは馬の行く気に任せて上がろう!)
3コーナーから一気にレースが動いた。コッペリア、レオパルドンの2頭が大外から勢い良く上がって来ると、人気の一角コッペリアの後手を踏むのは得策ではないと見たか、まくりに飲み込まれまいとブラックミストラルのジョーンズも仕掛ける。それをマークするバーニングサンとガッツマンも合わせて動いて行く。
激しいチェンジオブペースの中、縦長だった馬群があっと言う間に凝縮して、4コーナーから直線を迎えた。
大逃げを打ったインビンシブルマンが、辛うじて先頭を守っている。トントンと尻餅を突くような激しい上下動をしながら、蟹田が馬を追う。外国人騎手や地方騎手を参考にした、『カニダンス』と呼ばれるアクションだ。
しかし終始それを見ながらレースを進めたインビンシブルマンが、あっさりと交わして抜け出す。陽介の狙い通りの早め先頭だったが、屯田の大まくりが誤算だった。後続が早く追って来たためセーフティリードを取れずに、弱点のジリっぽさを見せて飲みこまれてしまった。
ここでやって来たのは本命馬ブラックミストラル。菊花賞の好走は伊達じゃなかったか。ジョーンズの激しい叱咤に呼応するかのように、力強い走りで先頭に立つ。
これをマークしていたバーニングサン、ガッツマンの両馬だったが、ブラックミストラルの想定以上の強さの前に、捕まえるどころか突き放されてしまった。ロベール、ジョバンニの2人もこれにはなすすべもなく、せめて2着確保をと必死に追う。
一方、2番人気のコッペリアは、先行勢が突っ張ったため先頭までまくり切れず、コーナーで大きく外を回される結果となり、このロスが響いて脚をなくしてしまった。着順を上げられないと悟った屯田は、馬の疲れが残らないよう流すのが精一杯だった。
レースの大勢が決し、バーニングサンとガッツマンが激しい競り合うその外から、菅田のイッキュウが鋭く伸びて2番手に浮上した。スローにしても動き出すのが早過ぎると見てジッとしていたのが功を奏し、本来の溜めて差す形で持ち味を発揮したのだ。
結局ブラックミストラルが後続に4馬身差をつけ圧勝。勝ちタイムは2分25秒4で、上がり3ハロンは34秒5。オープン入りを果たした同馬は、重賞でも通用するのではないかと思わせる強さであった。
そして2着以下はイッキュウ、ガッツマン、バーニングサン、トツゲキラブハート、コッペリア、インビンシブルマンと入線。
優のレオパルドンは、一気に脚を使った上に外を回されて失速し、結局大きく離された最下位でゴール。初の長距離レース挑戦は、いい所なしの苦い結果に終わった。




