3 同期
新人騎手がデビューしてから、1ケ月が過ぎた。
優は、所属する神谷厩舎の馬を中心にレースに出ていたが、まだ勝てずにいた。ただでさえ新人騎手にいい馬が回りにくいこのご時世、まして女である優には、なかなかチャンスのある馬に跨る機会が与えられなかった。なすすべなく完敗、というレースばかりが続いていた。
─────もしかしたら、このまま勝てないで終わっちゃうのかな……。
そんな焦りが首をもたげ始める中、この日も優はいつものように朝の調教を終え、トレセンの休憩室で一息入れていた、その時。
「よう優、調子はどうよ?」
後ろからややぶっきらぼうに声を掛けてきたのは、優の同期の新人、神谷 陽介だった。
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私は藤平 優。今年デビューした新人ジョッキーだ。
私と一緒に競馬学校からデビューした騎手は、5人。ここで、同期のみんなの状況を振り返ってみたいと思う。
中央競馬の騎手は、関東・茨城県の美浦、関西・滋賀県の栗東のどちらかのトレーニングセンター(通称トレセン)に所属しなければいけない。私の同期は5人。私以外に2人が美浦、残り3人が栗東で、東西で綺麗に半々に分かれている。
美浦の新人で断トツの結果を残しているのは、神谷 陽介。167センチ、50キロと騎手にしては長身で、筋肉がつき過ぎて体重がオーバーしないよう、筋トレのし過ぎには気を遣っているみたい。師匠の太陽先生の次男で、競馬学校を首席で卒業した期待のホープ。厳しい環境に身を置きたいという理由で、父親の厩舎ではなく、名門・伊沢 義男厩舎に所属している。私から見ても、ペース判断も技術も新人離れしている印象だ。もう4勝を上げていて、トレセンでも最優秀新人は陽介で決まり、って雰囲気。
競馬学校で一番仲が良かったのは、この陽介だった。私が太陽先生のダービーを見て騎手を目指したことを話したらびっくりしていた。もっとも私も、その時まで彼が先生の息子とは知らなかったので驚いたけど。あのダービーの表彰式の口取りの中に、陽介もいたそうだけど、私は覚えてなかったな。
それがきっかけになって話す機会が増えたけど、陽介は当初、あまり愛想のいいタイプではなかった。ストイックな性格で自分に厳しく、あまり笑わないし、何だかいつもムスッとしてる感じ。陽介曰くそれは地顔らしいけど、周りの皆は陽介なんて名前のくせに陰気だから、陰介だなんて陰口を叩かれてたっけ。
でも親しくなって来ると、案外フランクなところが見えて意外だった。暗いんじゃなくて、人見知りなだけなんじゃないかな。少なくとも私はそう感じる。
もう一人の美浦所属は、鈴木 拓郎。159センチ、45キロ。大島 啓之厩舎所属。彼はジョッキーベイビーズの覇者という変わり種だ。ジョッキーベイビーズは、全国各地の予選を勝ち抜いたちびっ子達が、ポニーに乗って東京競馬場で頂点を目指すイベント。親の趣味に巻き込まれて乗馬をやっていた鈴木君は、その時浴びた喝采が忘れられずに、騎手の道に進んだそうだ。
思えば鈴木君とは、学校在籍時に技術的な悩みとかをよく相談し合っていた。私も鈴木君も、陽介のような高い技術は備わってなかったから、レベルが近い分話しやすかった。彼も私と同様、まだ初勝利は遠い状況のようで、最近はお互い頑張ろうって挨拶が定番になってしまった。
栗東所属で最も注目されているのは、西野 大地。現役時いぶし銀の名ジョッキーと謳われた西野 幸喜調教師の一人息子で、陽介とは違って父親の厩舎に所属している。流石に二世騎手だけあって、乗馬経験も豊富で上手いとは思うし、実際もう2勝している。ただ160センチながら体重が52キロもあり、なかなか体重が落ちにくい体質らしく、競馬学校在籍時から今に至るまで、減量で結構苦労しているみたい。
ちなみに、私はこの西野君があまり好きではない。大物元騎手の息子であることをいつも鼻にかけてて偉そうだし、本気か冗談か分からないけど、俺と付き合ったら親父に頼んでいい馬回してやるよ、なんて軽口を叩いて来たこともある。……正直言うと大嫌いだ!
栗東の二人目は、清原 圭一郎。155センチ、43キロと男の子にしては小柄で、集合写真を撮る時なんかは、体格が近い私の隣のポジションが多かった。お父さんは栗東で調教助手をしているそうで、西野君とは古くからの付き合いらしく、いつもつるんでる。大物二世の西野君には頭が上がらないのか、彼の腰巾着というイメージ。秋山 賢治厩舎所属で、ここまで2着1回、3着1回があるけど、まだ勝ち星はなし。
最後は、五十嵐 慎吾さん。158センチ、49キロ。藤田 弘厩舎所属。さん付けしているのは、彼だけが1歳年上だから。一旦高校に進学してボクシング部に入っていたけど、大好きな競馬を諦め切れずに、翌年私たちと一緒に競馬学校に挑戦したんだとか。元ボクサーの筋肉質な体を生かして、パワフルに馬を追うのが五十嵐さんの持ち味で、デビュー戦でいきなり勝利し、新人勝利一番乗りで注目を浴びた。その後は勝ち星に恵まれず、現在1勝にとどまっている。
この激しい競争の中で、私たちの中で一体何人が、騎手としてやっていけるのだろうか…。
────────まあ他人の心配をする前に、まず私自身が心配だけど。────────
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「相変わらずだよ。そっちはいい感じじゃない。」
「伊沢先生がいい馬に乗せてくれてるからだよ、俺自身はまだまだ。」
優の返しに対して、陽介はいかにも彼らしく謙遜した後、こう言った。
「さっき親父と会ったんだけど、優に会ったら伝えてくれってさ。帰る前に、湯川先生の所に顔を出せってよ。」
何だろう、と優は思った。湯川先生とは、湯川 英夫。太陽の兄弟子に当たる、騎手上がりの調教師である。太陽との繋がりから、時々調教を手伝ったりしている。
「分かった、わざわざありがと。」
優は休憩室を後にして、湯川厩舎へと向かった。