220 少女ところによりジョッキー ~ジャパンダートダービー編~(2)
本馬場に入って来たストロングソーマは、初めて経験するナイターにもテンションが上がることなく、終始スムーズに返し馬に移行する。
小気味良いフットワークで足下を踏み抜くその感触は、鞍上の優に充分過ぎるほど愛馬の大井のダートへの適性を伝えていた。
相手はクラシック組、とりわけ既に交流GⅠを制しているテムジン。そう読んでいる優だが、愛馬が彼らに戦闘力で劣るとは微塵も思ってはいなかった。ストロングソーマは2歳時からクラシック路線の王道を歩み続けて、ゴールドプラチナムやエナジーフローといった世代最強のライバル達を向こうに回して厳しいレースを重ねて来た。実際にダートのレースを走ってこそいないものの、このレースに出走するどの馬よりも濃密な実戦経験を積んでいるのだ。肉体的にも精神的にも、ストロングソーマはデビュー前とはもはや別馬と化していると確信していた。
そして何より、優とストロングソーマはずっとコンビを組み続けている。騎手の乗り替わりなど日常茶飯事の現代日本競馬においても、こうした絆のアドバンテージは決して小さくはないはずだ。愛馬との信頼関係、癖や動くタイミングの理解……。この一点において、毎回のように騎手が替わるテムジンを大きく上回っているのは間違いない。
発走前の待機時間。輪乗りを続ける中で、次第に優の集中力は高まって行った。パートナーへの信頼が緊張を霧散させ、レースはただ自分がやるべきことを実践するだけだというシンプルな思考に特化。いつしかそれは、昨年の小倉記念時のような極限レベルに近付きつつあった。
時刻は20時10分。リーダーの足踏みを合図に、ファンファーレ隊が場内に高らかな音色を響かせて、ジャパンダートダービーの発走を告げる。
枠入りは順調に進んでいたが、偶数番の6番バルムンクがこれを嫌って何度も後ずさり。既にゲートに収まっている馬たちのメンタルへの影響が心配される状況で、実際テンションが上がって首を激しく上下させる馬もいた。
そんな中、5枠7番のストロングソーマは大人しく駐立していた。同じように待たされた弥生賞ではイレ込んでスタートで後手を踏む失態を見せた同馬だが、今日は優に首筋を撫でられながら時折左右を見回す余裕すら見せ、目の前のゲートが開くのを静かに待っていた。
やがてバルムンクが何とか納得して収まると、その後はつつがなく枠入りを終えて行く。全13頭の態勢が整い、ピーっという機械音と共に進路がクリアになった各馬が一斉に駆け出す。今年のジャパンダートダービーは全馬まずまず揃ったスタートを切った。
内から白い帽子、2番アカウンタビリティが飛び出す構えを見せるが、それを制して先頭に立ったのは緑の帽子の9番、快速マッハマン。芝のレースでの走りとも遜色のない自慢のスピードを見せ付けるかのように、テンからグイグイ飛ばして行く。
同じ2000メートルの皐月賞では2着に健闘し、距離を克服して見せたマッハマンであるが、ピタリと折り合えたのはその前走、ファルコンステークスで折り合いに専念しての後方待機を挟んでいたことが大きい。今回は日本ダービーで行く気に任せて行かせた後でもあり、あの時のような魔法は掛かっていない。鞍上の名手・菅田が何とか宥めすかして走らせているものの、見た目にも力みは隠せず万全のリズムとは言い難い雰囲気を醸し出している。
ハナを切れなかったアカウンタビリティは、少し離れた2番手をキープ。その直後、青い帽子の4番テムジンと黄色い帽子の7番ストロングソーマが3番手を並走し、差なくピンク帽の13番エイテンパワード、連れて緑の帽子の8番ゲッカビジンが続く。
この中央6頭が後続の地方馬を大きく引き離す格好となり、馬群は前後に大きく分かれてしまった。交流重賞ではこうした展開は決して珍しくはないが、今年のメンバーは中央馬が圧倒的優勢であることが否応なしに伝わって来る一幕となった。
隊列が変わらないまま、先頭のマッハマンは前半の1000メートルを通過。通過タイムは1分1秒ジャストとやや速い流れか。3コーナーに差し掛かる辺りで2~3馬身ほど後方に付けていたアカウンタビリティの手応えが怪しくなると、すかさずテムジンとストロングソーマが馬なりでこれをパス。エイテンパワードとゲッカビジンが食らい付いていくも、余力がないのか早くもムチが入り、追走するので精一杯の様子。そしてついに4コーナーでは前の3頭のペースに付いていけなくなり、脱落。事実上この時点で、優勝争いは前の3頭に絞られた。
直線入り口でのマッハマンのリードはおよそ3馬身。テムジンの陽介は、直線を迎えてすぐにゴーサインを出し、差を詰めに掛かった。掛かり気味の走りとは言え、マッハマンはまだまだ手応え充分に見える。このまま楽に行かせてしまうと、心肺能力の高さで押し切ってしまう可能性だってある。本命馬の責任として、逃げ馬を早めに捕まえに行くのは自然な流れと言えた。
これに対し、並んで走っていたストロングソーマの優は、陽介の仕掛けを少しだけ早いと感じた。その感覚をもたらしたのは、下級条件であろうと交流レースに積極的に騎乗して来た結果としての、この大井競馬場での騎乗経験からもたらされた感覚。いかに陽介が天才であろうと、ここで踏んだ場数のアドバンテージは決して小さくない。その中には、かつて地元のレジェンド騎手・波止場から受けたアドバイスもある。
「大井競馬場の直線は、386メートル。いくらダートが先行有利だからって、勝ち気に逸っては最後まで持たせるのは難しい長さだ。勝ちたい時に我慢出来る奴が栄光を掴み取る。大井の外回りはそんなコースだよ」
実際、タイミング良く抜け出したと思ったのにゴール前で差し込まれるという苦い敗北を、優は幾度となく味わわされて来た。そんな彼女の肌感覚が、ここで仕掛けるのはワンテンポ早いと告げていた。




