218 砂のダービー
不良馬場での消耗戦となった今年の日本ダービーは、最強馬ゴールドプラチナムが苦しみながらも皐月賞に続いて優勝。春のクラシックは全て一番人気が勝利する順当な結果に終わった。
そして週明けの美浦トレセンは、これから始まる2歳戦の話題で賑やかな様子。週末にGⅠ・安田記念を控えているとは言え、また新しい一年が始まるというリスタートの雰囲気に満ちている。もちろんクラシックだけが競馬ではないが、未勝利戦を勝ち上がれない3歳馬が去り、その馬房を2歳馬が埋めるというサイクルを繰り返して、トレセンの新陳代謝は促進されて行く。
「上の2頭の形がなかなか良かったから、思い切ってサタデーを付けたんだ。期待通りにバネと素軽さの塊みたいな仔が生まれたし、走ってくれないと牧場が傾いちまうよ」
ダービーの後、カガヤキ牧場の安川は語った。それは神谷厩舎を支えるソーマナンバーワン、ストロングソーマ兄弟の下に当たる、今年の2歳馬についての話。大種牡馬サタデーフィーバーを初めて種付けされて生まれたその馬は、既に兄と同じ相馬オーナー所有、神谷厩舎所属で走らせることが決まっている。
名前は「エレガントソーマ」を予定しているとのこと。牝馬に出たこともあり、来春の桜花賞が大目標となる。秋のデビューを目指して、現在は牧場で順調に育成を進めている段階である。
2歳馬用の緑色のゼッケンも目立つ中、優が追い切りで跨るのは、自厩舎の3歳未勝利馬キブンソウカイ。未勝利戦の終了までに勝ち上がれなければ、その後は格上挑戦を余儀なくされることもあり、多くは地方競馬に転出したり競走馬登録を抹消して、厩舎を去ることになる。
「どうも周りを気にして走ってる感じが抜けませんね。レースでも行き脚が今一つだし、思い切って深めのブリンカーを着けて見るのもいいかも知れません」
調教の感触を基に、助手の太一と相談してさらなる前進を図る。残された少ない時間の中で、何とか勝たせたいと試行錯誤を繰り返しているのだ。
結果を出せずに終わった競走馬の未来は決して明るいものではない。少しでも上の結果を求めるのは当然ながら馬の将来を考えてのことではあるが、競馬を支えてくれるオーナーのためでもある。競走馬を所有するのは慈善事業ではない。馬を購入するのにも厩舎に預託するのにも莫大な費用が掛かっており、それを少しでも多く回収してもらわなければ続けるのは難しい。もちろん結果を残せない厩舎からはオーナーや牧場も離れてしまい、成績不振で経営が立ち行かなくなるという悪循環に繋がる。つまる所、勝ち続けなければ成り立たない。これが競馬産業の厳しい現実なのだ。
「おっ、優じゃんか。浮いた話も聞かなかったから馬一筋の真面目さんかと思ってたけど、意外に隅に置けないもんだな。ま、おめでとさん」
不意に、通りすがりの他厩舎の助手から声を掛けられる。例のダービーの勝利ジョッキーインタビューの後、彼女は会う人会う人にこのように冷やかされてばかり。ほとぼりが冷めるまで当分はこうした状況が続くことを覚悟しなければならないと、げんなりとしていた。
「……大変だね。でも、嫌じゃないんでしょ?」
太一の問い掛けに、優は顔を赤くしながら小さく頷いた。陽介の一世一代のアピールに対する優の返答が、その様子に透けて見えた。
ダービーの激走の後はさすがに疲れた様子のストロングソーマであったが、その後の慎重なケアを経て、すっかり元気を取り戻していた。
そして6月末、同馬は目標としていた大井の交流GⅠ・ジャパンダートダービーの中央出走馬に、無事選出された。3歳ダート馬の頂点を決するこのレースは、砂のダービーとも呼ばれる一大イベントである。
「出走決まって良かったね、優ちゃん。地方馬も侮れないけど、やっぱり今年は中央勢が抜けて強力かな」
優にそのニュースを伝えてくれた記者の冴が、ライバルの情報も教えてくれた。
想定で本命視されているのは、芝ダート二刀流でGⅠを制しているあのテムジン。前走のダービーは距離が長過ぎた印象だったが、2000メートルはもちろん守備範囲。これまで騎手を固定せずにいろいろなトップジョッキーが跨って来たが、今回初コンビを組むのは神谷 陽介。今や全国リーディングでも首位を快走する、押しも押されぬ日本一の騎手である。未だGⅠレースで陽介に先着したことがない優にとって、大きな壁となるのは間違いない。
さらに、世代を代表する快速馬マッハマンも参戦する。本来の戦場である短距離路線への回帰も検討されていたが、収得賞金自体は充分獲得していることもあり、狙えるGⅠは狙って行こうという方針でここに矛先を向けて来た。深い掻き込みで坂路で猛時計を叩き出す脚力から、ダートも問題ないとの陣営は判断している。距離適性には疑問が残るものの、皐月賞で2000メートルをこなした主戦の菅田を鞍上に戻して、悲願のビッグタイトル獲得を目指す。
クラシック組以外で有力視されているのは、東京マイルのGⅢ・ユニコーンステークスを好タイムで制したアカウンタビリティ。中央の2~3歳ダート路線で唯一の重賞の覇者であるが、2ハロンの距離延長や地方の深いダートへの適応の問題もあり、ジャパンダートダービーとの連勝はそう簡単ではない。それでも鞍上にはロベールを配しており、陣営の本気が窺える。
さらに、園田の交流GⅡ・兵庫チャンピオンシップを勝ったエイテンパワードも登録して来た。時期的にメンバーレベルには疑問が残るものの、地方の中距離レースで結果を出したことは無視できない。その前走に引き続きジョバンニが手綱を取る。
今の時期の関東地方は梅雨の季節の真っ只中。道悪で行われることも珍しくはないこのジャパンダートダービーであるが、今年もその例に漏れず、連日雨が降り注いでいた。そんな中、決戦の日は迫る。




