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少女ときどきジョッキー  作者: モリタカヒデ
第2部 少女のちジョッキー
217/222

217 東京競馬場の中心で愛を叫んだ男

 今年の日本ダービーは、全18頭が無事に完走した。現在コース内に残っているのは、勝者のみに許されるウィニングランに備える二冠馬ゴールドプラチナムのみ。残る17頭はターフを後にして、地下馬道へと姿を消して行った。


 2着インドラ騎乗のヴェットーリは、悔しさを隠せぬ様子で下馬。

「途中から相手はニンリルだと思ってレースを進めた。彼女を競り落とした時は、勝ったと思ったよ」

 勝利を確信してからのゴール寸前の逆転劇は、彼にとっては勝負に勝って試合に負けたといった心境であろうか。

 惜しくも敗れたもののその能力の高さを改めて示したインドラは、この後休養に入り、神戸新聞杯をステップに菊花賞を目指すという。充電で一層の成長を促し、地元の関西で三冠阻止を狙う。


 対照的に3着ニンリル騎乗の菅田は、サバサバした表情。

「この馬にはかわいそうな馬場になってしまったけど、よく頑張ってくれた。牡馬相手でもやれることは証明出来たし、秋はまた大きい所を獲らせてあげたいね」

 一瞬の切れを殺される不良馬場に苦しみながらも、最後まで首位争いに加わったのは地力の高さのなせる業。良馬場ならあるいはゴールドプラチナムを脅かすシーンもあったかも知れない。この後はやはり一息入れた後、自らの武器を活かせる東京コースを求めて、天皇賞からジャパンカップの古馬王道路線を歩むという。


 4着マルコポーロ騎乗のジョーンズのコメントは、たった一言だけ。

「残念」

 元々強面のジョーンズであるが、検量を終えてから食い入るようにモニターを見つめるその表情は、いつもに増して厳しかった。早く動き過ぎた結果後続の差し込みを許したことで、あるいは自らを責めていたのかも知れない。

 そのマルコポーロだが、帰国後はイギリスの三冠最終戦であるセントレジャーを目標に調整を進めるという。スターホースが集うクールポコグループではまだ脇役的存在だが、ここで結果を出せるようならアメリカのブリーダーズカップに挑戦するプランもあるとのこと。



 そして、5着のストロングソーマと優が引き揚げて来た。人馬とも泥で真っ黒。ここまで来て未だに呼吸が整わない様子の同馬を見れば、このレースがいかに激しいものであったかが自ずと伝わって来る。

 優勝したわけでもないのに陣営総出で待ち構えている風景は、彼らが愛馬の走りに納得していることを雄弁に物語っていた。他馬を驚かせないように配慮しながらも、小さな拍手でこれを出迎えた。

「ナイスレース。残り200で先頭に立った時は、一瞬夢を見ましたよ。ありがとうございました」

 オーナーの相馬は、馬主冥利に尽きるといった表情で感謝を伝える。

「この相手であれだけ見せ場を作れれば、ホント大したもんだよ。いろいろと難しいレースになったけど、よく乗ってくれた」

 生産者であるカガヤキ牧場の安川も、満足しているようだ。


 しかしそれに対して優は、一言も発することが出来ない。ストロングソーマの首筋をねぎらうようにポンポンと叩くと、そこに立ち尽くしてしまった。太陽に促されて後検量に向かいはしたが、帰って来た彼女はかかった泥を拭うこともせず、ゴーグルも外さず、ただ無言でうなだれていた。

「どうした、優」

 師匠の問い掛けに優はようやく重い口を開いて、絞り出すように言った。

「勝たせたかった……です。この子には、スー君には、これが最初で最後のチャンスだったのに……」

 

 その肩も、声も震えている。着けたままのゴーグルに隠された表情は、容易に想像が付いた。

「やりたいレースは出来たけど、結果として上手く乗れたとは思えません。レースだから簡単に行かないのは、分かってるけど、分かってますけど───もし私なんかよりもっと上手い騎手が乗っていれば、スー君を勝たせることだって出来たんじゃないかって……」


 それ以上言葉を紡げなくなってしまった優の頭を、太陽は軽くポンと叩いた。

「俺が乗っていても、同じ乗り方をしていたよ。むしろ、ずっとコンビを組んでお互いの理解と信頼を深めて来たお前だからこそ、あれだけ走らせられたんだ。うつむくな、胸を張れ」

 顔を上げた優に対して、太陽が続ける。

「あの馬場だからあそこまで戦えたけど、あの馬場だから血統的な距離の限界を超えることが出来なかったんだろうな。ダービー5着、これが現在のストロングソーマとお前の立ち位置ってことだ。

 夢への挑戦はこれで一区切り。これからは、この馬に相応しい舞台で活躍してもらおう。激戦だったからダメージを見極めてからにはなるけど、無事なら次は大井のジャパンダートダービーを使う予定だ。舞台は変わるが、今度こそ3歳馬の頂点の座を掴もう」

 それを聞いて、優はようやくゴーグルを上げた。その顔にもう涙はない。

「最後に俺からも言わせてくれ。いい騎乗だったぞ、優」

 重圧からも後悔からも解放された優は、この日一番の笑顔を見せた。



 一方、ウィニングランを終えて最後に帰って来た陽介を、大社グループの総帥大山は男泣きで出迎えた。

「4コーナーでは正直終わったと思った。よく勝たせてくれた」

 感極まって抱き付く大山に対し、陽介は破顔一笑こう言う。

「レース前に勝ちますって言ったじゃないですか。でも、嘘吐きにならなくて良かったです。本当に厳しいレースでした」


 場面変わって、東京競馬場の芝コースのど真ん中。華やかな表彰式が終わり、陽介が勝利ジョッキーインタビューを受けている。

 検量室のモニターを見上げる優は、その光景を羨望の眼差しで見つめている。

(いつか、私もあそこに立ちたい)

 騎手を続けている限り、ダービー制覇は大きな夢の一つだ。それは、現役を引退するその時まで変わることはない。新たなパートナーと巡り合っての再びの挑戦に、心を馳せる優であった。


 インタビューもそろそろ終わりかという所で、陽介が切り出した。

「あの、最後に少しだけいいでしょうか」

 その表情は今までに見たことがないほど、緊張に満ちている。

「大変個人的なことで恐縮なのですが、自分は決めていたことがありまして───もしダービーか有馬記念を勝てたら、でしたが。幸いにも今日勝たせて頂いたので、この場を借りて伝えたいと思います」


 これを見ていた優の表情は、みるみるうちに青ざめて行く。確かにそういう話は聞いていたが、TPOというものがある。10万人を超す大観衆が詰めかけたこの東京競馬場の中心で、日本全国に向けてそんな宣言などされた日には、恥ずかしくて死んでしまう。

(止めないと!)

 慌てて駆け出す優だったが、到底間に合うはずもなかった。

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