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少女ときどきジョッキー  作者: モリタカヒデ
第2部 少女のちジョッキー
215/222

215 日本ダービー(5)

 最後の直線に向いての先頭争いは、内からテムジン、ストロングソーマ、ライディーンの3頭が後続をやや引き離す展開。


 レース前半をじっくり進めつつ、ラップが緩んだ3コーナー入り口から出し抜けを図った優とストロングソーマであったが、テムジンとライディーンに追撃されたことで不発に終わった。

 

 そもそも奇襲と言うのは、相手が予測出来ない、あるいは対応出来ないタイミングで掛けるからこそ有効なものである。

 例えば、近年は超スローで流れるレースにおいて、若手騎手が道中で一気に脚を使って動くシーンをよく見かけるが、実の所まくり切れないかラストに失速するケースが大半である。楽に前に行けている時点でポジショニングの利を得ている先行勢は、当然後方に対してアンテナを張っているものであるから、その動きに反応してペースを上げられてしまえば、コースロスの分だけ脚を無駄使いする羽目に陥るのだ。後方のままでレースを終えてしまえば消極的との誹りを受けるのが常ではあるが、ただやみくもに動くのは積極性どころか蛮勇で終わるリスクを孕んでいる。


 このレースにおいては、コース取りこそ内外の差はあるものの、3頭が狙っていた動き出しのタイミングが重なったことで、奇襲のはずがただの早仕掛けへと姿を変えてしまった格好だ。

 お互い引くに引けない勝負所だけに、結果想定していたよりも速いラップを刻むこととなり、距離に不安を抱えるテムジンとストロングソーマにとっては厳しい展開となった。ただ、直線入り口で馬場の三分所より外、比較的掘れていないコースを通りたいのは皆一緒。外へ張り出したいテムジン、ストロングソーマとこれを内へ押し込めたいライディーンの争いは、数の力で前者に軍配。遠心力でやや膨らみながら4コーナーを抜けることで、何とか内の2頭も取りたい進路を確保することが出来た。


 前を追ってポジションを上げて来たスルスミとマルコポーロは、前が残るのは厳しいと見たかまだグッと手綱を抑えている。それを尻目に少し息を入れることが出来た3頭であったが、ゴールまで残り450メートルを切ってからは一気に鞍上のアクションが激しさを増して行く。


 ここまでオーバーペース気味なのは分かっていても、相手が休むのを許さない以上、前へと進むしかない。差しの利きにくい極悪馬場を味方にすべく、少しでもマージンを取ろうと3人とも無我夢中でムチを入れ、追う。ここでの脱落は即終戦を意味するため、皆必死の形相だ。


 残り350。ここで、内のテムジンが僅かに後れを取り始める。道悪を苦にしないパワーとスピードでここまで走り抜けて来たものの、やはり本質はマイラー。タフな馬場とペースに体力を奪われたか距離不安を露呈し、ジョバンニのプッシュも空しく徐々に置き去りにされて行く。


(この形は、まずい……)

 優は、自らの形勢不利を自覚した。2頭併せの形となったライディーンは、世代屈指の勝負根性を誇る馬である。レースはもちろんのこと調教でも、併せた相手に先着を許したことがないと囁かれている。そんな馬を相手にしては、いくらストロングソーマが成長したと言っても分が悪いのは明らかだ。

 元より中距離がベスト、2200メートル以上は厳しいという見立てのストロングソーマである。この展開ではテムジンに続いてスタミナ切れを起こすのは時間の問題かも知れないと、パートナーの優ですら観念していた。

 

 残り300。ここで外のライディーンが、満を持して抜け出しに掛かる。福山の激しいダンスに呼応するかのように、半馬身ほどリードを取った。

 対する優の手綱から伝わる手応えは、ストロングソーマに余力が乏しいことを雄弁に物語っていた。それでも、こんな所でレースを投げるわけにはいかない。

「スー君!」

 勝算の乏しいこの状況で、優は縋るような気持ちで左ムチを一閃した。


 

 その反応には、ライディーンの福山だけでなく、乗っている優すら驚愕した。

 半ば諦めてすらいた彼女の檄に応えるかのように、ストロングソーマはグイっとハミを取り直し、手前を変えて再加速。内から鋭く差し返すと、逆に半馬身前に出て見せたのだった。


(実戦と調教を重ねたことで、ここまで……。あんなに淡白だったこの子が)

 デビュー当時は闘志の欠片も感じさせない気性の持ち主だったストロングソーマが、並べば負けないはずのライディーンを競り落とす。この予想外のシーンに、スタンドがドッと沸く。想像を遥かに超えていた愛馬の成長に、優は胸が熱くなるのを感じた。


 残り250。ここでついにストロングソーマが単独先頭に躍り出た。後はこのままゴールを目指すだけ───なのだが、やはり3~4コーナーで充分に息を入れられなかった影響は大きい。まだ本気で追っていないスルスミ、マルコポーロとの差がみるみるうちに縮まり始める。

 ストロングソーマも苦しいのか内へもたれるような挙動を見せ始め、いよいよ限界が近いことを窺わせている。


(3頭併せから抜け出すのに、脚を使い過ぎちゃった。さすがにもう、これ以上は……)

 跨っている優には、現在のストロングソーマの状態が痛いほどよく伝わっている。それでも、日本ダービーの最後の直線を、先頭で走っているのだ。更なる頑張りを求めることが酷だとは分かっていても、レースを止めるわけにはいかない。

「お願い!」

 優は再び、叫びながら左ムチを振るった。



 残り200。今度は、ストロングソーマを追っていたスルスミの田崎とマルコポーロのジョーンズが、思わず目を見開いた。ストロングソーマは再び手前を変えると、ピッチを大きく上げて再び後続を突き放しに掛かる。この驚異的なパフォーマンスに、スタンドには先程を上回るどよめきが轟く。その瞬間、鞍上の優には、先頭でゴールを駆け抜ける自分たちの姿がはっきりとイメージ出来ていた。


「残り1ハロンであのビハインドは、危険だと思った」(ジョーンズ)

 前は止まると判断し、後ろから追い掛けて来る有力馬との最後の追い比べに備えていたジョーンズだったが、ストロングソーマの再々加速はこの世界的名手を焦らせた。その本気追いに合わせてマルコポーロもエンジン全開、一度開いた先頭との差を急速に詰めて行く。追い縋るようにスルスミも続くが、勢いがまるで違っていた。


 残り150。マルコポーロの猛追に、このままでは差し込まれることを悟った優だが、ストロングソーマが既に限界を超えた走りをしているのは誰の目にも明らかだった。それでも、もしかしたら───

「あと少しだよ、スー君!」

 優は、3度目の左ムチを入れた。



 しかし、残念ながらストロングソーマが加速することは、もうなかった。フットワークがバラバラになって行くような感覚に、馬上の優は愛馬が全てを出し切ったことを理解した。


 距離適性の限界に挑んだストロングソーマの挑戦は、あと100メートル及ばずに終わった。

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