20 実りの秋
夏競馬のさなかの八月。自身が乗って惨敗したジェットマンの鮮やかな重賞制覇は、優にも少なからず衝撃を与えていた。
(何だか陽介が、ずいぶん遠いところに行っちゃった気がするなあ…。)
同期の天才・陽介との埋めがたい差に、絶望にも似た気持ちが一瞬頭をもたげた優だったが、今はやれることをやって行くしかない。
気を取り直した優は、その後も新潟でコツコツと経験を積んでいった。そして、ご存じの通り最後のレースを勝利して、夏競馬を締めくくったのである。
長い新潟滞在を終えて、優は美浦トレセンに帰って来た。
「ただいま帰りました、先生、太一さん。」
トレセンでは、夜も明けないうちから毎日の調教や厩舎作業があるため、若手騎手などは騎手寮で暮らす者も多い。しかし優は、師匠の太陽の家に間借りしていた。父にあまり頼りたくないとの理由で陽介が寮に入ったため、空いた部屋を借りているのだ。
「新潟では、なかなか頑張ってたじゃないか。デビュー当時からしたらずいぶん乗れるようになったって、花村さんも褒めてたぞ。」
太陽の言う花村さんとは、雷光特別を制したピンポンダッシュの依頼をくれた調教師である。
「改めてちゃんとお礼を言っとけよ。また乗せてもらえるかも知れないし。花村さんのとこはいい馬が多いからな。」
「はい、分かってます!」
関係者の身内でもない新人の優は、結果を出すことで人との繋がりを作っていくしかない。まめな気配りは当然の処世術である。
「お疲れ様、優ちゃん。今日はゆっくり休んで疲れを取るんだよ。」
「はい、分かってます❤」
愛しの太一からのねぎらいの言葉に、優は顔を赤らめるのだった。
翌日、ビール瓶1ケースを抱えて歩く優の姿があった。
「先日はピンポンダッシュで勝たせて頂いて、どうもありがとうございました。これ、良かったら皆さんで飲んで下さい。」
「まだ稼ぎのない新人だし、そんなに気を遣わなくてもいいのに。でも、ありがたく頂いとくよ。」
大仲で優を迎えた花村はにこやかだ。花村は調教助手から若くして転身した調教師で、まだ36歳という若さだが、昨年は40勝を上げて躍進し、今年もここまで既に30勝をマークしている新進気鋭の存在である。
ビールに群がってきた厩舎スタッフを交えて、優と花村は雑談に花を咲かせた。
改めて頭を下げて帰ろうとした優を、花村が引き留める。
「こないだのピンポンダッシュ、なかなか味な乗り方してたじゃないか。オーナーも満足してたぞ。」
ピンポンダッシュは逃げ馬。ハナを切れないと行きたがってしまう、難しい気性の持ち主だ。
雷光特別では好スタートを切ると外ラチ沿いをすぐに確保し、他馬に絡まれないよう序盤を飛ばし気味に入った。そして少しずつペースを落とし、後続を引きつけたところでスパート。1000メートルという短い距離の中で見事に緩急をつけ、鮮やかな逃げ切りを果たしていた。
「ありがとうございます。でも私なんかまだまだです。これからも精進しますので、もし空いてる馬がいたらまた声を掛けて下さい。」
「そうだな。じゃあさっそくお願いしようか。そのピンポンダッシュだけど、疲れもあまり残ってないし、このまま続戦して、次は中山の勝浦特別を予定してるんだ。オーナーにも話を通してあって、またいい騎乗を期待してるって言ってくれたよ。どうだろう、乗ってくれないか?」
花村に認めてもらえれば、今後勝ち負けになる馬に乗れる機会が増えるだろう。そして何より、上位の騎手も空いているだろうに、自分に続けてチャンスをくれた関係者の期待に、一騎手として応えたいと思った。
次の中山開催の最終日、GIのスプリンターズステークスが行われるこの日に、ピンポンダッシュの勝浦特別出走が決まった。鞍上はもちろん、藤平 優。




