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少女ときどきジョッキー  作者: モリタカヒデ
第1部 少女ときどきジョッキー
2/222

2 師匠と母と、競馬の祭典

「おい、ド新人!そんなクソ馬で何突っ張ってんだよ、てめえ‼てめえのせいで、こっちまで垂れちまったじゃねえかよ。おらぁ‼」

 古畑が怒鳴り散らす。新人騎手と競り合って本命馬を飛ばしてしまったのが、よっぽど腹に据えかねたようだ。


「いいえ!内の私の方がゲートが早かったし、隊列が決まってから古畑さんが競り掛けて来たんじゃないですか。こっちだってハナ切ってナンボの馬なんだから、そっちが引くのが筋でしょうっ!」

 優も負けてはいない。152センチ、39キロの小兵ながら、貫禄十分の帝王・古畑相手に対し、怯まず声を張り上げて言い返す。


 ベテラン騎手と新人の怒鳴り合いに周りの騎手がドン引きする中、そこに一人の男が割って入った。

「おい、耕三。うちの馬をクソ馬呼ばわりたぁ、おめぇも偉くなったもんだな、よぉ。」


「あ、、、いえ、、、神谷(かみや)先生、これは…。」

 血気盛んだった古畑だが、男に気付くなり、たちまち恐縮する。

 古畑を制したのは、神谷 太陽(たいよう)。ボンヴォヤージュを管理する調教師にして、優の所属する厩舎のボスである。

「ゲートが切られたら年功序列なんてねえよ。インからウチの馬が先手を取り切ってるんだから、おめぇが無理に競り掛けてレースを壊したんだろうが。あれで譲ってたらこちらも競馬になんねえよ。だろ、耕三。」

 大先輩に細く鋭い眼光で道理を説かれては、古畑も退くしかない。太陽にペコリと頭を下げた後、優をジロリと一瞥して去って行った。


「ありがとうございました、先生。」

 礼を述べる優の頭を、太陽は手のひらでパシンと軽く一撫でした。

「間違っちゃあいねえが、ちょっと生意気すぎだ。ちったあ先輩を立てねえと、敵ばっかになっていつか詰んじまうぞ、優。」


 太陽に諭されて冷静になった優は、ハッと周りを見渡し、ペコリと頭を下げた。

「お騒がせしてすみませんでした。早く一人前のジョッキーになれるよう頑張りますので、今後ともよろしくお願いします!」

 その言葉で、張りつめていた検量室の空気が一気に和らぐ。

「ハハハッ、負けん気の強い子だなと思ったけど、可愛いとこあるじゃん。」

「初勝利目指して頑張れよ、お嬢ちゃん。」

 先輩騎手から優しい言葉を掛けられた優は、少し顔を赤くしながらもう一度頭を下げた。


 挨拶代わりにしてはえらく目立ったデビューを果たした優だったが、この日は自厩舎の馬に3鞍乗って未勝利に終わった。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 調教師・神谷 太陽は、50歳。元騎手である。10年前にスペースシャトルという馬で、日本競馬の最高峰・日本ダービーを制している。その後、落馬負傷もあり42歳の若さで惜しまれつつ引退、調教師試験に合格して現在に至る。

 そして、優が騎手を志したきっかけこそ、太陽が制したダービーであった。


 その日、まだ8歳の優は東京競馬場にいた。太陽と古い知り合いだと言う母・節子(せつこ)に連れられて、応援に来ていたのだ。

 ダービーの特別な雰囲気に場内が異様な盛り上がりを見せる中、節子はスペースシャトル単勝百円の応援馬券を手に、その時を待っていた。


 お祭りには生憎の大雨の中、レースは始まった。太陽が騎乗するスペースシャトルは、ダービーの前のGIレース・皐月賞で1番人気に推されながら12着に大敗し、ここでは5番人気にとどまっていた。

 しかし、太陽には巻き返せる確信があった。前走の敗戦は馬の体調不良によるものが大きかったのだが、今回は上手く立て直して勝負出来る状態にまで回復していたのだ。そして、スペースシャトルは力強いフットワークで走るパワータイプの馬であり、この日の雨で渋った馬場は、まさに天祐と言えた。

 果たしてスペースシャトルは、重い馬場に苦しむ他馬を尻目に直線内から抜け出すと、先頭でゴールを駆け抜けた。


 雨にも負けず熱い大歓声が東京競馬場を包む中、太陽を背にスペースシャトルが、ウイニングランでスタンド前に帰って来た。

 優を連れた節子は、雨合羽に身を包んで、その光景を最前列で見守っていた。ゆっくりと走り抜けて行くその刹那、太陽が節子に気付いたようだった。

 一瞬驚いた表情を見せた太陽だったが、すぐに満面の笑みを浮かべ、節子に向かって鞭を大きく振り上げた。そして、その動きに応えてまたスタンドが歓声で大きく揺れるのだった。


 優が見上げると、節子は涙をポロポロと流しながら、いろんな感情を詰め込んだような複雑な表情をしていた。太陽とスペースシャトルが地下馬道に消えた後、節子はそのまま競馬場を後にした。


「いいの?せっかく来たのにあの騎手の人と会わなくて。」

 優の問いかけに、節子は小さく頷き、言った。

「うん、いいの、これで…。」


 この時の節子の気持ちは優には分かるはずもなかったが、優は大いに感動していた。ダービーの華やかさ、熱さ、激しさと、勝者のみに与えられる栄光の素晴らしさに。

 この時、優は決意した。────母の目の前で、私が、この私が、いつかこのダービーを勝ちたい、と。



 この4年後、節子は病でこの世を去った。母にダービー勝利をプレゼントする願いは叶わぬものとなったが、あの舞台への憧れが色褪せることは、決してなかった。


 そして現在、優は神谷 太陽厩舎の所属騎手として、日々研鑽に励んでいる。実は優と太陽の間にはとんでもない因縁があるのだが、優はまだそれを知らずにいた。

 


 

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