195 皐月賞(3)
雲一つない晴れ渡った空の下、高らかに鳴り響くGⅠのファンファーレが、詰めかけた観衆の拍手や咆哮とともに皐月賞のスタートを告げる。
単勝1番人気 ゴールドプラチナム 1.3倍
2番人気 エナジーフロー 11.7倍
3番人気 インドラ 15.4倍
4番人気 フレイムハート 17.0倍
5番人気 ライディーン 20.5倍
既に歴史的名馬の声も掛かりつつある戦歴に比して、ゴールドプラチナムの単勝オッズは幾分付き過ぎる数値である。これはシーズン初戦であることや、未対戦の有力馬が多いこと、他馬との成長力の差が不透明なことに加えて、能力差がストレートには反映しにくい中山芝2000メートルという舞台も影響していると思われる。
スタート地点に目を移すと、真っ先にゲートに誘導されて行くのは、パドックから輪乗りまで終始首を上下させてうるさい所を見せているストロングソーマであった。
そのテンションに反して驚くほど素直にゲートに収まったものの、やはりガタつき出して落ち着きのない様子。鞍上の優は振り落とされないように左手でゲートを掴みつつ、右手で愛馬の首筋を撫で続けて落ち着くよう促しながら、無事に発走出来ることを祈ることしか出来なかった。
その後の各馬の枠入りは順調に進み、最後に大外18番のマッハマンが収まってゲートイン完了。すぐさま18組の人馬の視界がクリアになり、各々の思惑を乗せながら飛び出して行く。
普通にレースを運ぶのは困難と見た優の選択は、ゲートからソロっと出すスタートであった。
ほんの半テンポほど立ち遅れて他馬の行く気に付き合うのを避けるようにゲートから出して、ギアをニュートラルにしたまま手綱を絞って、興奮するストロングソーマが折り合うように宥めながら走らせて行く。果たしてスタート直後は頭を上げて指示に抵抗する仕草を見せたストロングソーマだったが、この一連の優の動きによって、溢れ出していた興奮に肩透かしを食らったかのように力みが抜けて行き、スタートして1ハロンほどの地点ではでハミも抜けてスムーズな追走が可能になっていた。
実のところ、馬に負担を掛けずに柔らかく乗るという一点においては、優の騎乗はトップジョッキーたちとも遜色ないレベルに達していた。元来の女性特有の当たりの弱さに加え、太陽の指導や実戦での経験が実形になりつつあるのであろう。描いていた理想の作戦である先行策とは程遠いものの、現状では最善と思える手を打ち尽くした優は、後方から上位進出のチャンスを窺うことにした。
さて、注目の先行争いであるが、大逃げを身上とするテグザーがハナを切るという大方の予想に反して、スタートから勢い良く飛び出したのはピンクの帽子の18番、前走で差し馬にモデルチェンジしたと思われていたマッハマンである。
朝日杯フューチュリティステークスで完敗を喫した陣営は、無策で挑んでも王者・ゴールドプラチナムには敵わないと判断し、持ち前のスピードと先行力が生きるこの皐月賞の舞台に逆転への一縷の望みを託すことにしたのだ。
前走で後方から折り合いに専念したのは、そのための布石。実戦でハミを抜いてリラックスして走った後の次走は、どんな乗り方をしても折り合いを付けやすいものである。同じハイペースの逃げでも、ガッチリとハミを噛んで力んでの逃げと、折り合い充分のスムーズな逃げでは、息の入りが違う。さらに今回は控えるであろうという他馬への牽制にもなり、楽に先手を取れると踏んでいたテグザー陣営の油断を誘うことにも成功した。
とは言え、ショック療法にも似たこの戦法は、諸刃の剣。溜める競馬から一転して行かせる競馬をさせた馬の次走以降は、当然ながら折り合いを付けるのが難しくなる。それでもマッハマン陣営はクラシックのタイトルをこの馬に獲らせてあげたいと、適性外でもあるダービーでの好走を事実上捨てることになるのを承知で、渾身の逃げに打って出たのだった。
快速を生かしてレースの主導権を握ったマッハマンに対し、虚を突かれた格好のテグザーの中田は手綱をガシガシと激しくしごき、抗戦の構えを見せる。もちろんテグザーもスピード豊かな逃げ馬ではあるが、本質スプリンターのマッハマンとではそのスピードの絶対値が違う。抵抗空しく先頭マッハマン、番手にテグザーの並びが確定し、事実上テグザーの皐月賞はここで終了した。
そんな前の動きを尻目に、大本命馬ゴールドプラチナムは14番枠から五分のスタートを切ると、ペースに合わせて位置を取るべく馬なりで進めていた。その同馬を虎視眈々と狙っていたのが、1頭分外の15番インドラの御子柴であった。
大外から内に切れ込んで行くマッハマンの動きに慌てた17番ワイネルワイバーンの増岡が、自分も負けじと先行すべくやや強引に内へと進路を取ると、後続にはやや前が窮屈になるシーンがあった。フェブラリーステークスの失格以来陽介に思うところもあった御子柴はこれ幸いと、そのあおりを受けたかのようにインドラを内に寄せ、ゴールドプラチナムに体当たりをかましたのだ。
当然ながら進路妨害を取られてもおかしくない事象ではあるが、ワイネルワイバーンも含めた複数の馬の動きと判断される可能性と、スタート直後の不利はレーシングアクシデントとして極端なペナルティーは取られにくい傾向を制裁のリスクと天秤に掛けた御子柴は、このラフプレーを実行することに躊躇はなかった。
(名ジョッキーの二世で、周りからのバックアップも手厚く、こんな若さでクラシックの一番馬に乗せてもらえるなんざ、恵まれすぎやろ、コイツ)
賞金も格段に安い地方競馬からムチ一本で這い上がった御子柴からすると、最高とも言える環境で育ち既に大きな成功を収めている陽介の存在は、素直に認められるものではなかった。先の失格の件での逆恨みにも似た憤りに加え、必死に這い上がって来た者の嫉妬にも似た複雑な感情が、この歪んだ洗礼に繋がったのである。
この一連の流れを後方から見ていた優は、直後に思わず目を見開いた。
「あっ、危ない!」
彼女の視界に飛び込んできたのは、外から寄せられ接触した衝撃で左のアブミが外れてしまった陽介の姿であった。




