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少女ときどきジョッキー  作者: モリタカヒデ
第2部 少女のちジョッキー
194/222

194 皐月賞(2)

 皐月賞当日の日曜日。この日の千葉県は雲一つない快晴で、ビッグレースにふさわしい絶好の競馬日和となった。春本番のポカポカ陽気に誘われて、大勢の競馬ファンが朝早くから中山競馬場に詰めかけていた。


 皐月賞。それは言わずと知れた牡馬クラシック三冠レースの初戦であるが、レース前のファンのワクワク感という観点ではあるいは一番となるレースかも知れない。

 クラシックのステージに立つ若駒にとっては勝負のシーズンとなる3歳春に、様々な路線から集まった実績馬たちが覇を競う。本命馬に対してまだ未対戦の馬もいれば、成長してリベンジを狙う馬もいる。ファンや予想家たちはあの馬が強い、いやこの馬の方が強いなどと、勝利を信じる馬への想いをぶつけて盛り上がったりするものだ。

 その熱量が最高潮に達するのが皐月賞であり、そしてレース後にその期待と興奮を維持出来るのは、ただ一頭の勝ち馬たる皐月賞馬のファンのみなのである。競馬というのは往々にして、まだ結果の出ていないレース前が一番楽しい。最高峰である日本ダービーにおいても、その出走馬の中核は王道である皐月賞組みであり、必然的にレースへの関心は皐月賞馬を中心に集まることとなる。となると、どの馬が一番強いのかという勝負付けがまだなされていない皐月賞のレース前こそが、ある意味では盛り上がりのピークであると言えよう。


 

 この週の中山競馬場の芝コンディションは、GⅠデーらしい超が付くほどの高速仕様となっていた。芝のレースは午前中から速い時計での決着を連発し、メインの皐月賞ではレースレコードどころかコースレコードの更新すら期待される状況であった。


 そんな中でレースは第10レースまでを順調に消化し、いよいよ次は皐月賞。18頭の出走馬がパドックに姿を現し、隊列を組んで周回を始めていた。

 いつもとは比較にならないほど多くのファンが集まりすし詰め状態となったパドックは、えもいわれぬ異様な熱気を帯びている。それを敏感に感じ取った出走馬の中には、急にイレ込んでしまう者もいた。とりわけ興奮状態とも言えるほどにテンションが上がってしまったのは────ゼッケン5番のストロングソーマであった。


「当日輸送からここまで、落ち着き過ぎているくらいの順調さだったのに、どうして……」

 厩務員の綾は、愛馬の豹変に戸惑いを隠せない。急なイレ込みに対応するため、急遽太一との二人引きとなったものの、それでも手に余るほどの暴れっぷりだった。


 実のところ、調教に絶対の正解などはない。余力残しの調整が仇となって、行き場を失った気合いの暴発を招いてしまったのかも知れないし、今までと同じ調整でも結果は変わらなかったかも知れない。

 ただもし神谷厩舎サイドに失敗があったと考えるなら、それは2点。一つは、前走でもゲートで暴れるなど繊細な所のあるストロングソーマに対し、メンコなどの馬具を試行錯誤して来なかったこと。そしてもう一つは、GⅠレースの大一番を前に調整を変更するという賭けに出てしまったこと。馬は環境の変化に敏感な生き物であり、このような大レースを控えて今までのルーティーンを崩すべきではなかった。

 とは言えこれらは、神谷厩舎が大レース慣れしていない故の弊害とも言える。何度もこの舞台に管理馬を送り込んだ経験があれば、GⅠレース特有の圧とも言うべきものに対し、何らかの策を講じておくことは出来たであろう。


「すまん、優。こんな状態で馬をお前に任せることになったのは、完全に俺の責任だ」

 騎乗命令を受けてストロングソーマに近付いて来た優に、太陽は詫びた。

「これだけテンションが上がってしまっては、いつも通りのレースは難しいでしょう。藤平さんの思うように乗って来て下さい。とにかく無事に」

 オーナーの相馬も心配顔で優を気遣う。


 騎乗した後もストロングソーマの様子は相変わらずで、時にはロデオ状態となり優が振り落とされそうになるほどであった。

 そして周回を終えて本馬場に続く地下馬道に向かう別れ際、意を決して優は言った。

「このテンションじゃフワッと出すのは無理だと思います。ソロッと出して、展開がハマるのに賭けてみます」

 次走のダービーを見据えた上で、この皐月賞でも結果を求めるために優が選択したのは、折り合い専念の後方待機策。それはストロングソーマ本来のスタイルとは真逆の、苦渋の決断であった。


(正直末脚勝負では、今年のメンバー相手では分が悪い。ゴールドプラチナムやインドラ辺りを上回るのは難しいにしても、せめてダービーの優先出走権が取れる5着以内には入りたい……)

 返し馬でも首を上げてうるさい所を見せるストロングソーマを宥めながら、優は現実的な目標設定を行っていた。どんな時でも勝利の可能性を求めるのが信条の優にとって、着狙いに徹するのは当然不本意であり、心苦しいものである。しかしこの状態でいつも通りに先行させても、折り合わせるのが困難なのは明白であり、勝ちが望めないだけでなく次走のダービーでの走りにも悪影響を及ぼすのは必至。それならば一つでも上の着順を目指して今のベストを出せる走りを引き出すしかない。優はこの段階で完全に腹を括っていた。


 そして時刻は午後3時40分。スターターが台に上がり、関東GⅠのファンファーレが鳴り響くと、場内のボルテージが一気に上がる。いよいよ皐月賞の発走である。

 

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