19 スター誕生
優が3勝目を上げた雷光特別から遡ることひと月。8月初旬の小倉では、芝2000メートルのハンデ戦、GⅢレースの小倉記念が行われた。
夏競馬では、各開催の目玉として各地で芝2000メートルの重賞が施行されている。それらは「サマー2000シリーズ」として体系化され、全レースのポイントを集計し、優勝条件を満たした馬には、夏の王者として高額賞金も与えられる。一流馬の多くが暑い夏を休養に充てる中、実利を取りに行く各陣営は、馬の適性、コースの特性、メンバー構成などを吟味しながら、所属馬を転戦させるのである。
そんな中、新人騎手ながら目覚ましい活躍を見せる陽介に、小倉記念のジェットマンの騎乗依頼が舞い込んだ。ひと月前の福島・七夕賞で15着に惨敗したため、ハンデは据え置きの50キロにとどまっていた。前回騎乗停止で乗れなかった主戦の仲本騎手は新潟で騎乗するため、陽介に声が掛かったのだ。
この夏競馬の間、陽介は北海道を拠点としつつ、乗り馬に合わせて各地に遠征していたが、ここまで小倉での騎乗経験はなかった。重賞とは言え、不慣れなアウェーの競馬場で人気薄の馬である。札幌に残って騎乗する選択肢もあったが、陽介はこちらを選んだ。大舞台で好騎乗を見せれば、周囲への大きなアピールになるという野心的な判断であった。
この週の小倉は雲一つない好天で、芝レースは前日の土曜日から好タイムでの決着が続出する中、小倉記念本番を迎えた。出走馬はフルゲート割れの15頭。
1番人気は、名手・菅田を配して注目されるウイニングショット。気性難から去勢された4歳せん馬で、2月に当地のGⅢ小倉大賞典を制した実績もあり、ハンデは57キロ。2枠2番の好枠を引き当て、単勝2・9倍の支持を集めた。
2番人気は、七夕賞に引き続き帝王・古畑が手綱を握る7枠12番マシンハヤブサ。前回の敗戦は馬場によるものと見られたか、ハンデは前回と同じ55キロ。絶好の馬場状態の小倉の芝がこの馬に味方すると考えられており、最下位惨敗後にも関わらず根強く売れている。
陽介のジェットマンのハンデはは前回からさらに1キロ減で、メンバー中最軽量の49キロ。普段の体重が50キロの陽介には少し厳しい斤量だったが、きっちりとこのレースのために合わせて来た。最内1枠1番からの発走で、前回同様伏兵扱いの単勝50倍、11番人気であった。
レースは、序盤からマシンハヤブサが大地を蹴って飛ばして行く。条件戦でもレコードが出るほどの速い馬場では、前はなかなか止まらない。古畑はあえてオーバーペース気味に走らせていた。
後続も当然それを承知で、ペースを上げてマシンハヤブサを射程圏内に入れて追走する。本命馬ウイニングショットも、3番手につけ虎視眈々と先頭をうかがう。
全体の意識が前掛かりとなる中、陽介は最後方の内ラチ沿いでじっと息を潜めていた。軽ハンデとは言え、力差が大きい上位馬に真っ向勝負は分が悪い。一発を狙うには極端な競馬しかないと、陽介は腹を括っていた。人気サイドのマシンハヤブサが逃げる展開なら、追い込みに賭けるのが一番勝算があると見ての待機策であった。
1000メートルの通過は58秒3。通常ならかなりのハイペースだが、力のある馬に取ってこの馬場は、動く歩道に乗っているようなものだ。軽快に逃げるマシンハヤブサと、それを大名マークするウイニングショットは、まだまだ余裕たっぷりの手応えだ。
とは言え、色気を出して先行したものの厳しいペースについて行けない馬たちが、徐々に脱落して行く展開で、馬群は縦長に広がっていた。
先頭は4コーナーを回って直線に入る。マシンハヤブサがしぶとく粘り腰を見せるも、人気のウイニングショットが直線半ばでこれを抜き去りにかかる。
激しい首位争いの後方で、脚を溜めていたジェットマンは、直線そのまま最内のコースに突っ込んだ。バテた先行勢が次々に下がって来るが、縦長だった馬群がばらけているため、これをたやすく交わして行く。
ペースもはまり馬群を全くロスなく捌いた陽介のジェットマンは、内から矢のように伸び、抜け出したウイニングショットをゴール直前で強襲した。
「先頭はウイニングショット!マシンハヤブサは2番手。おおっと、ここで内から一気にジェットマンだ!ジェットマンが、エンジン全開ジェット噴射で飛んで来る!ウイニングショットかジェットマンか、2頭全く並んでゴールイン‼」
実況アナウンサーが声を張り上げる中、ジェットマンはウイニングショットと鼻面を並べて入線した。
写真判定が終わり、着順掲示板の一番上に1の数字が上がると、場内をどよめきとため息、悲鳴が包む中、穴馬券を的中させたファンの小さな歓声が沸いた。そして少し間をおいて、それは勝者を称える大きな拍手に変わって行った。
勝ち時計は1分56秒8のレコード、勝ち馬の上がり3ハロンは33秒4の豪脚であった。
この鮮やかな手綱捌きでの勝利に、競馬ファンの多くは新たなスタージョッキーの誕生を予感した。陽介自身は、3回目の重賞騎乗での初勝利であった。




