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少女ときどきジョッキー  作者: モリタカヒデ
第2部 少女のちジョッキー
178/222

178 罪と罰

 今年のフェブラリーステークスは、チョトツモウシンが離し気味に逃げる展開。そんな中で迎えた勝負所の第4コーナー、密集した馬群の中でわずかに生まれたスペースを巡って、御子柴騎乗のタイガーバイトと陽介騎乗のデイリーミッションが争った結果、事故は起こった。

 先に飛び込もうとしたデイリーミッションの鼻面を掠めるように、強引に横入りしたタイガーバイトだったが、その後肢にデイリーミッションの前肢が接触。デイリーミッションは大きくつんのめる格好となり、陽介は右前方に投げ出されてしまったのだ。


 直線に向けてスピードが乗って来る地点での、密集した馬群の中での落馬に、大きなどよめきと悲鳴が上がる。最悪の事態すら予想される状況であったが、馬群が通過した後に自力で起き上がった陽介の姿を目にした観衆は安堵した。

 冬場の乾いたダートに叩き付けられながらも、陽介は右腕で反応良く受け身を取ると、そのままうずくまるようにしっかりと防御姿勢を取っていた。GⅠレースでそろ騎乗する騎手の面子がハイレベルだったことも幸いし、後続がしっかりと回避行動を取ってくれたため、踏まれたり蹴られたりの大事故に至ることもなかったのである。


 レースの方は、きっぷのいい逃げを見せていたチョトツモウシンの脚が残り200メートルで鈍ったところを、サジョウノロウカク、タイガーバイト、マチュピチュの人気馬3頭が交わしての首位争い。そして残り100メートルを切って昨年の覇者マチュピチュがわずかに後れを取り、勝負の行方はサジョウノロウカクとタイガーバイトの2頭に絞られた。


 壮絶な叩き合いはゴールまでもつれたものの、前半スムーズにレースを運べなかった昨年のダート王に対して、馬群を割ってロスなく進出して来たタイガーバイトにはまだ余力があった。鞍上の御子柴の激しい叱咤激励に応えてグイッと一伸びを見せて、サジョウノロウカクを首差捻じ伏せて先頭でゴール板を駆け抜けた。電光掲示板には勝ち時計1分35秒0、上がり3ハロン36秒9の表示とともに、審議の青ランプが灯った。


「東京競馬第11レースは、第4コーナーで6番デイリーミッションの騎手が落馬したことについて、審議を致します。上位に入線した馬が審議の対象となっておりますので、お手持ちの勝馬投票券は確定までお捨てにならないようご注意ください。」

 審議内容を告げるアナウンスから、1位入線馬がその対象となっているのは明白であり、場内がざわつく。落馬事故の後でもあり、御子柴もウイニングランをすることはなくそのまま地下馬道へと引き揚げて行った。


 微妙な雰囲気の検量室前に戻って来た御子柴は下馬すると、それでも勝利が覆ることはないと自信を持っているのか軽く拳を握り、関係者に握手を求めて来た。しかしそれに応じる者はなく、祝福の拍手も起こることはない。御子柴は職員に呼ばれて採決室へと消えて行った。

 採決委員から審議内容を聞かされた御子柴は当初激高し、その声は検量室の外にまで響いて来た。しかしパトロールビデオを見せられて説明を受けると、観念したかのように黙り込んでしまった。


「ただいまの審議について、説明いたします。第1位に入線した────」

 審議結果を告げるアナウンスが終わる前に、その結果を理解した場内の観衆から大ボリュームのため息、悲鳴、そして怒号が沸き起こった。極めて悪質な進路妨害と判断され、先頭ゴールを果たした御子柴=タイガーバイトの失格が告げられたのである。着順変更に対し著しく消極的な現行の制裁制度になってからは初の、GⅠレースでの1位失格だ。2位入線のサジョウノロウカクが繰り上がり、今年のフェブラリーステークスの覇者として歴史に名を刻むこととなった。


 勝利を剥奪された上に騎乗停止の処分を受けた御子柴は、病院に向かう前に医務室で応急処置を受けていた陽介を訪ねた。

「すまんかったな、陽介。あんなに間隔がないとは思うとらんかった。」

 いつも勝ち気な言動の御子柴の殊勝な謝罪を受けて、陽介は少し戸惑いつつも頭を下げた。

「でもな、ああいう場面で行き場が出来て、俺の馬の方が反応が良かったら、やっぱり俺はおんなじことをやると思うわ。それが出来へんなったら、俺は騎手辞めないかんと思うとるから。」

 

 傲慢とも思える言葉を続けた御子柴だったが、不思議と陽介は腹が立たなかった。馬に脚があってギリギリの進路が生まれた時に、強引にでもそこを突きたいジョッキー心理自体は理解出来るからだ。それでも陽介は、騎手としての自分の信条から、反論することをためらいはしない。

「インや馬群をこじ開けてでも勝ちにこだわるのが御子柴さんのスタイルなのは、分かります。でも、競馬は馬も人も命を落とすことだってある、危険なスポーツですよ。他馬の安全を顧みないで事故の危機に晒すような乗り方は、それでどれだけ勝ちを重ねようが俺には認められません、絶対に。」


「ホンマ、お前はいい子ちゃんやな。正直今日のレースは弁解の余地はないしすまんとは思うとるけど、そんな甘っちょろい考えが通用するのは中央のアンちゃんくらいやで。」

 謝意を示しつつも、自分が間違っていたと反省する様子は御子柴には全く見られなかった。決定的とも言える競馬観の違いから、陽介と御子柴との間には、加害者と被害者という単純な関係を超えた因縁が生まれる結果となってしまった。


 その後、病院で診察を受けた結果、落馬時に叩き付けられた陽介の右腕は骨折していることが判明した。重度のものではないものの全治2か月の診断が下り、皐月賞のゴールドプラチナム、天皇賞のダイヤモンドダストの騎乗には黄色信号が点灯した。




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