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少女ときどきジョッキー  作者: モリタカヒデ
第2部 少女のちジョッキー
175/222

175 フワッと出す

 共同通信杯を制したのは大本命のインドラ。これで重賞2勝目となり、クラシックで賞金除外の憂き目に遭う心配はなくなった。春シーズンが近付く中で収得賞金を加算する馬が増えて来て、徐々にではあるがお大一番の日本ダービーに出走する顔触れが固まりつつある。


 今週は中央競馬で2つしかないダートGⅠのうちの1つ、フェブラリーステークスが行われる。1月の川崎記念も制した昨年の最優秀ダート馬サジョウノロウカクが、新興勢力を退けて王座防衛を果たすことが出来るかが見所である。

 そしてその裏の小倉ではGⅢ小倉大賞典、さらに前日の土曜日には東京でGⅢダイヤモンドステークス、京都でGⅢ京都牝馬ステークスと、この週は豪華4重賞が組まれている。


 ダイヤモンドステークスには、優と再コンビを組んだザゴリラがスタンバイ。年明けの万葉ステークスを制した勢いそのままに、ここを勝って有力馬の一頭として春の天皇賞へ駒を進めたいところだ。

 日曜の小倉大賞典では、騎手引退を目前に控えたローカルの帝王・古畑が、中山金杯3着のウイニングショットをパートナーに全10場重賞制覇のラストチャンスに挑む。休み明けを叩かれて状態は上向きで、実績からも1番人気に支持されることが予想されている。


 週中の水曜日。優はザゴリラの最終追い切りに騎乗するため、栗東トレセンに出張していた。長距離輸送を控えているため、終い中心の控え目の内容ではあったが、ウッドチップコースで6ハロン82.2秒からラスト1ハロン11.8秒と鋭い伸び脚を見せて調教パートナーに先着した。

「落ち着いた雰囲気から、仕掛けるとスッと反応してくれました。前走よりいい出来で出られそうです。」

 鞍上でその順調な仕上がりを感じ取った優は、管理する山本調教師に満面の笑みで好感触を伝えるのだった。


 翌木曜日には、弥生賞を予定しているストロングソーマの2週前追い切りが行われた。跨ったのは助手の太一であったが、抑えるのに苦労するほどの行きっぷりで、予定より1秒ほど速い時計が出てしまった。

「ごめん。秋と比べて一段とパワーが付いてて、結構持って行かれちゃった。レースでも先行させて折り合わせるのはなかなか難しくなってるかも知れない。」

 帰厩時の馬体から感じた印象はやはり間違っていなかったのか。その血の本質が目覚めようとしているストロングソーマにとって、日本ダービーの舞台となる東京芝2400メートルのコースはその適性からどんどん外れつつあった。かと言って無理に抑え込んだところで、パンパンの良馬場での切れ味勝負には限界が見えている。太一の漏らした言葉に、優も手詰まり感を覚えずにはいられなかった。


「パワーと行く気に溢れているのを、無理に抑えるのも得策ではないな。本当の意味で“フワッ”と出して行ければ、何とかなるかも知れん。」

 おもむろに口を開いたのは、師匠の太陽だった。今や独り立ちした一人前の騎手として優を扱っていた太陽は、作戦などを除くと細かい騎乗技術を直接伝えることがあまりなくなり、実戦を通じての成長に委ねていた節があった。優もそれを理解していただけに、このタイミングでの久々のアドバイスには大きな意味があると感じ、思わず身を引き締めるのだった。


「ゆっくり出す、そろっと出すっていうのとは違うんですか?折り合いに不安がある馬なんかでよくやる、あの……。」

「違う。確かに一般に言う『フワッと出す』はお前の言う通り、ハミを抜くためにギアをニュートラルのまま発進することであり、位置取りを半ば放棄した気性難対策の最終手段だ。でも俺が言う『フワッと出す』ってのは、馬がハミを取らないギリギリのところでゲートを出して行って、そのまま推進力を損なわないように自然にハミを抜いて行くスタートのことだ。」

「それって位置取りと折り合いのいいとこ取りってことですよね。そんな都合良く出せるものなんでしょうか……。」

 騎手デビューして3年目に突入したこの時期まで、太陽からそのような技術について聞いたことは全くなない。太陽を信頼しているはずの優が疑問に思うのも、無理はなかった。


「どんな馬でも使えるわけではないし、馬によってはマイナスにしかならないこともあるから、諸刃の剣的な部分はある。だが、力を持て余し気味の今のストロングソーマにはどんぴしゃりだと俺は思う。ただ────」

 太陽はこのスタートの核心的部分を伝え始めた。

「とてつもなく繊細なハミ操作を必要とするから、とんでもない失敗スタートや暴走につながるリスクもあるんだ。現役時代の俺は師匠の野口先生からこの技を学んだが、正直使いこなせたとは言えなかった。でも、女性らしい繊細さと当たりの柔らかさを持つお前なら、俺なんかよりもよっぽど上手く出来るんじゃないかと思う。いろんな癖馬に乗って来て経験を充分に積んだ今のお前なら、尚更な。」


 優はその言葉を重く受け止めた。太陽は、師匠である自分を超えて行けと言っているのだ。確かにこのテクニックは女性ジョッキーである自分の武器を最大限に生かせるものであり、もし自分のものに出来れば騎乗スタイルの幅も大きく広がることだろう。

「分かりました、挑戦してみます。ちょうど今週、そのスタートを試すのにぴったりの馬に乗りますから。」

 優が『フワッと出す』のに向いているとイメージしたのは他でもない、ダイヤモンドステークスで騎乗するザゴリラであった。

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