170 帰厩
中山金杯で2着、京都に遠征して万葉ステークス優勝と上々のスタートを切った騎手生活3年目の優。
その京都のメインレースは、3歳限定のマイルGⅢシンザン記念。このレースを制したのは、朝日杯フューチュリティステークスでは6着に敗退したローリングサンダー。ダービー馬ライトニングボルトの半弟という超良血馬が、見事に重賞ホースの仲間入りを果たした。そして2着には、新潟2歳ステークス2着、デイリー杯2歳ステークス3着とマイル路線で良績を重ねているジャックフロストが入った。
そして、この重賞レースを1勝馬が制したことで、春の大一番・日本ダービー出走に向けたボーダーラインが更に上昇の兆しを見せている。例年は収得賞金2000万円辺りが標準的だが、今年はダービー出走に意欲を見せている実績馬の数が多く、出走レースの選択が各陣営の明暗を分けることになるかも知れない。
さて、新年2週目の3歳戦は、中山芝2000メートルを舞台にGⅢ京成杯が行われる。昨年末の葉牡丹賞、ホープフルステークスと同じコース、同じ距離で争われるため、その2戦の出走馬が流れて来て人気となることが多いレースでもある。
今年の出走予定馬は、京成杯5着ワイネルワイバーン、葉牡丹賞2着ダンシングヒーロー、京都2歳ステークス4着ヂアミトールなど幾分小粒なメンバー構成。実績馬が春の本番に向けて休養に入る中、この手薄な重賞で賞金加算を狙う陣営がこぞってエントリーして来た。
ここでも中心視されるダンシングヒーローを、マッチレースの末に葉牡丹賞で撃破したのがストロングソーマ。秋デビューから3戦続けて使ったため、休養と馬体の成長を促すために故郷のカガヤキ牧場に放牧に出されていた。
「スー君、来週帰って来るって。弥生賞を目標に仕上げて行くみたいよ。」
そう優に教えてくれたのは、担当厩務員の綾だ。『男子三日会わざれば刮目して見よ』の慣用句ではないが、この時期の3歳馬は身が入って著しい成長を見せる時期でもある。この1か月でどれだけ変わり身を見せているのか、期待に胸を膨らませる優であった。
そして週末の日曜日の中山。メインレースの京成杯を制したのは、ベテラン・蟹田が手綱を取ったダンシングヒーロー。中団からの鮮やかな差しきりで、サタデーフィーバー産駒がまた1頭新たにクラシックに名乗りを上げるとともに、またまた1勝馬の重賞勝利という結果に終わった。
また、この馬を退けたストロングソーマの潜在能力も重賞級であることを改めて確認出来たことは、優にとっては大変心強いことであった。
2着には昨夏から連戦を続けるワイネルワイバーン。クラシックを見据えるともうワンパンチ欲しいところではあるが、このタフネスぶりもまた一つの才能とも言えよう。オープン勝ちと2度の重賞2着で、ダービー出走に当確ランプが灯った。
明けて翌週、神谷 太陽厩舎に1台の馬運車がやって来た。そこから悠然と降りて来たのは、ストロングソーマ号。比較的短期間の放牧にも関わらず、その馬体は休養前とは趣を異にしていた。
「大きい……。それに、ずいぶん筋肉質な体つきになってる。」
優が目を見開いて感嘆する。よく食べて、よく運動するという古典的なパターンの放牧が功を奏したのか、どうやら馬体の爆発的成長を促すことに成功したようである。
厩舎スタッフが逞しくなった同馬に釘付けとなる中、ただ一人難しい顔をしていたのが、厩舎の長でもある調教師の太陽であった。
「ここに来て一気に血統が出て来た感じがするな。成長を見せてくれたのは嬉しいが、これはダービーを考えると手放しでは喜べんぞ。」
思わぬ不穏な一言に、優たちは一斉に太陽に視線を送る。
「体全体が丸みを帯びて、胴が詰まったような印象を受ける。スピードとパワーはグッと増しただろうが、ダートの中距離馬として完成に向かってしまっているのかも知れん。」
ストロングソーマの父スペースシャトルは、他でもない太陽自身が騎乗して日本ダービーを制覇した思い出深い馬である。その長所も血統的な特徴も知り尽くしている彼は、この馬体の進化がダービーの挑戦者としては退化に繋がっているのではないかと危惧していた。スピードとパワーへの極振りの代償として、素軽さとスタミナを減退させてしまっているのではないか、と。
しばしの沈黙が厩舎を包んだ後、重い口を開いたのは優であった。
「……もしそうだとしても、私たちはこのスー君とダービーを目指すと決めたんだし、やれることをやって行くしかないじゃないですか。もう既にここまで人間のエゴにスー君を付き合わせてしまってるんだったら、最後までそのエゴを貫き通しましょうよ。」
師匠の太陽が打ち出した出発点への回帰を、高らかに宣言して見せた。太陽イズムが根付きつつある弟子の姿に、太陽は確かな成長を見出して目を細めた。この言葉に太一も綾も気を取り直して、神谷厩舎は再び前を向いて動き始めた。
ストロングソーマの再始動戦となる、皐月賞トライアルのGⅡ弥生賞まで、およそ2か月。




