167 中山金杯(3)
「おめでとうございます、田崎さん。」
馬上から声を掛けたのは、ブラックジョーカーに騎乗する優。アタマ差に近いハナ差でこのレースを制したのは、1番人気のフェノバルビタールと田崎のコンビだった。
「おう、サンキュー。」
優の祝福に対し、田崎は右を向くと一言礼を返して、そのまま走り抜けて行った。
良馬場の勝ち時計は1分59秒3。レースの上がり3ハロン34秒8は、ほぼ逃げたブラックジョーカーのラップである。
「惜しかったな~。でも、うまいこと乗ってくれたと思うわ、お疲れさん。」
急遽の騎乗依頼をくれた栗東の山本調教師が、引き揚げて来た優をねぎらう。菊花賞こそ無念の降板となったものの、この厩舎との関係は良好だ。日曜日には京都の万葉ステークスで、コンビ復活となるザゴリラの騎乗も控えている。
「派手に見せようとし過ぎて、逆に違和感が出てたな。あれじゃタネを知ってる騎手はなかなか騙せないぞ。」
雅に何やら指導しているのは、最近コーチ役を買って出ているという帝王・古畑だ。
「お疲れ様です、古畑さん。ウイニングショットは次は良さそうですね。」
「おう、お嬢。そっちこそもうちょっとのところで惜しかったじゃねえか。いいペースで行けてたのにな。」
レース後の挨拶を交わす二人に、雅が割り込む。
「優センパイ。テンのハナ争いの時、センパイはあたしを見てすぐに追うのを止めちゃったけど、やっぱりアレ、バレてたんですか?」
「……あ、うん。私はローカルで、古畑さんと一緒にたくさん乗って来たからね。ちょっと不自然さがあったし、近くで見てたからすぐ分かったよ。田崎さん達も気付いてたみたいだけど。」
雅の言うアレとは、いわゆるカラ追いのことである。追っているようなアクションを見せつつその実、肝心の手綱はさほど動かしていない。騎手の動きに敏感な周囲を惑わす騙しのテクニックであり、ハイペースと錯覚させて後続を油断させるのは、ローカルで先行馬に騎乗することの多い古畑の得意技でもあった。
「ミヤビンは演技過剰なんだよ。多少はマジ追いを織り交ぜたっていいんだから。あんな大根役者ぶりじゃあ、分かる奴には遠くからでも見破られちまう。」
「それと、残り1000を過ぎてからあたしがハナを奪おうと動いた時、センパイがいきなりペースを上げたから、脚の無駄遣いになっちゃったんですけど、センパイはあたしが仕掛けるのを読んでたんですか?」
レースでの疑問に対して質問攻めの雅だが、可愛い後輩でもあり、優は包み隠さず答える。
「ミヤビンが動くと確信してたわけじゃないよ。でも向こう正面のあそこでは普通、先行馬がまだ息を入れているから、スローと判断した後続が一番動きやすい場面でしょ?だからそこで一度ペースを上げれば、早めに追って来た差し馬をふるい落とすことが出来るんだよ。まあこれは太陽先生の受け売りだけど。」
優の回答に頷きながら、古畑が再び口を開く。
「まあお嬢がスロー逃げを打つと、ちょくちょくやる手だよ。でもミヤビンがすぐに仕掛けたおかげで、俺やカニちゃん(蟹田)、それに田崎とかは仕掛けを自重することが出来た面もあるかもだ。ある意味、お嬢が展開に恵まれたのもラストに捕まっちまったのも全て、ミヤビンが演出したようなもんかも知れんな。」
実際、優が刻んだラップは、残り1000から800の区間で11.2秒、800から600の区間で12.8秒という、極端な緩急を付けたものだった。
「やっぱりセンパイは凄いです。今のあたしじゃ全然敵いません。でも……。」
現在の実力差を痛感した雅だったが、優をキッと見据えて挑戦状を叩き付けた。
「そんな優センパイや陽介センパイが拘ってるのを知って、あたしもダービーに出たいと思うようになったんです。まだ湯川先生や古畑さんにいろいろ教わってるひよっこですけど、女性騎手初の日本ダービー出場、挑戦したいと思ってます。もちろんセンパイ達と一緒に出られれば最高ですけど、そんな甘い世界じゃないのも分かってますから。あたし、負けたくありません!」
華のある女性ジョッキーとして人気を集める雅は、当然3歳馬の手駒も抱えている。GⅠ騎乗資格の通算30勝という課題はあるが、今の騎乗数と乗り馬の質なら、今年のダービーまでに10勝を上乗せするのは不可能ではないだろう。
発走直後の落馬という不完全燃焼に終わった昨年と違い、2番人気で微差2着という好結果を出すことが出来た今年の中山金杯。
絶好の新年スタートを切った優だが、大目標としている日本ダービーの出走枠は、僅か18頭の狭き門。同期の親友、妹分の後輩と争いつつ目指す競馬の祭典まで、もう残り5か月を切っている。




