158 世代闘争
陽介が訪れたのは、自らが所属する伊沢 義男厩舎。その目の前で、飼い葉桶に首を突っ込んで夢中で貪り続けている芦毛の馬こそ、菊花賞馬ダイヤモンドダストである。
菊花賞を勝った後は外厩に放牧に出され、休養もそこそこにじっくり乗り込まれて来た。
「凄い食欲だろ。好物のニンジンをカットして、山ほど混ぜ込んでいるからな。あとは例によって、俺のオリジナルのサプリを少々。」
同馬を見つめる陽介に語り掛けるのは、担当厩務員の本村、齢32。
元々数多くの良血馬が入って来る名門厩舎であるにしても、彼の手掛けた馬が重賞ホースになる確率はずば抜けて高く、他のスタッフからも一目置かれている。特に、馬の体調管理や馬体の成長促進に秀でており、その秘訣がサプリメントの配合に隠されているとのこと。もちろん合法のものだが、その配合は秘中の秘であり、彼の飯の種である。
「今度の有馬には、同世代の皐月賞馬もダービー馬もいないからな。強い3歳世代の代表格として恥ずかしくない競馬をしないと、やっぱり弱い世代じゃねえかって思われちまうし、頑張ってくれよな。」
今年の3歳世代は古馬混合の重賞を勝ちまくっており、レベルの高い世代であると認識されている。しかし王道路線の天皇賞・秋とジャパンカップは共に敗退。古馬陣の層の厚さに跳ね返される結果となっていた。
「この馬はデビューも遅かったし、まだまだ成長の余地が残っていますよ。3歳の秋なんて、多くの馬にとって一番伸びる頃合いですから、どんどん良くなってます。この充実ぶりなら、まず勝ち負けでしょう。」
愛馬を褒めちぎる陽介は、手応え充分の様子。菊花賞ではスタート失敗をリカバリーして何とか勝利を掴んだものの、本来のスタイルは先行して早い脚を使う安定した取り口だ。有馬記念が施行される中山の芝2500メートルは、ぴったりの舞台である。
飼い葉を平らげて満足気な表情のダイヤモンドダストの鼻面を優しく撫でる陽介に、本村がふと問い掛ける。
「ダイヤモンドダストなら古馬にも引けを取らないと、俺も確信してる。ところで陽介、こいつとゴールドプラチナムを比べてどう思ってる?」
伊沢厩舎のエース厩務員である本村は、当然のようにゴールドプラチナムを任されている。最強世代の一角を占めるクラシックホースと、異次元の走りで見る者を魅了する無敗の2歳王者。果たして陽介のジャッジは────
「ダイヤモンドダストは、昭和から平成に至る芦毛の名馬の系譜を継げるだけの高い能力の持ち主だと思います。でもゴールドプラチナムに匹敵する馬は、ゴールドプラチナムしかいません。」
ダイヤモンドダストを絶賛しつつも、ゴールドプラチナムに究極とも言える最高級の讃辞を送る陽介。それを一片の迷いもなく断言したところに、愛馬の強さへの絶対的な信頼が伝わって来た。
一方、このダイヤモンドダストのライバルに跨る騎手たちもまた、その鞍上にして新世代を牽引する弱冠二十歳のホープに、メラメラと激しく対抗意識を燃やしていた。デビューして僅か2年目の若造に、秋華賞、菊花賞、そして朝日杯フューチュリティステークスと、大レースを3つ立て続けに持って行かれてしまった。陽介の凄さは認めつつも、乗り馬と自己への評価を奪い合う騎手の世界に身を置く以上、黙ってやられっ放しで終わるわけには行かないのである。
現在古馬最強と目されているのが、菊花賞、天皇賞・春、ジャパンカップとGⅠを3勝している関西馬レーザーポインター。先行力を武器としながら差しにも回れる自在性を備えているなど、ダイヤモンドダストと被る要素が多い。
(陽介がスターダムにのし上がってく過程は、ボクの若い頃とよう似とる。せやかて、やすやすと世代交代を許すわけにはいかん。世の中そんなに甘くないってとこ、見せたろか。)
鞍上の菅田は、上昇一途の陽介に昔の自分の姿を重ねつつも、それを跳ね返す厚い壁でありたいと思っている。日本人ナンバーワン騎手の意地と誇りを掛けて、この有馬記念に臨む構えだ。
今秋の天皇賞を制した昨年のダービー馬プレタポルテも、虎視眈々と現役最強馬の座を狙っている。GⅠ連勝を狙った前走のジャパンカップは3着に敗れたものの、これは天皇賞・秋で仕上げ過ぎた反動が出た面が大きい。
今回の鞍上には、関西・全国リーディングの国内ナンバーワンジョッキーであるロベールを確保。今年は勝ち星も例年に比べて減少しており、何度も痛い目に遭わされた陽介は、まさに目の上のたんこぶ。
「デルクイハウタレマス。モチロンワタシ、ウツホウネ。」
自分の全国リーディングまでも脅かす地位にまでのしあがって来た陽介について記者に聞かれたロベールは、こう答えて対抗意識を剥き出しにしていた。
昨年の春秋グランプリを連勝したバーニャカウダの鞍上は今回、世界のトップジョッキーの一人であるジョーンズにスイッチ。馬は若干ピークを過ぎた感があるものの、世界を股にかけて活躍するスターのプライドが、日本の若造などに後れを取ることを許さない。
昨年のオークス馬フリルワンピースの鞍上・田崎は、陽介に関東リーディングの座を奪取された、言わば世代交代を許した張本人的存在である。“牝馬の田崎”と呼ばれる当たりの柔らかさを武器に、復活の勝利へと導くことが出来るか。
他にも、短期免許が切れて帰国したペレイラからジョバンニに手綱を戻した今年のオークス・エリザベス女王杯馬ラウンドアバウト、売り出し中の山田を背に今年の宝塚記念を制したセボンマキシマムなど、GⅠ馬が大集合する一大イベントは伏兵陣も多士済々である。




