138 鉄砲と叩き
ソーマスターシップで早くも今年3頭目の新馬勝ちを飾った優は、初のGⅠ挑戦となる秋華賞でロマンシングソーマに騎乗するため、勇躍京都競馬場に乗り込んだ。
「おーい優、全予想紙の中で一人だけお前の馬を本命にしてる記者がいるぞ。」
日曜の朝、コーヒーを啜りながら専門紙やスポーツ新聞に目を通していた陽介が、紙面のポツン◎を目ざとく発見して知らせる。
「ええっ、ホント?誰が推してくれてるの?」
優自身はそもそも冴以外に取材を受けていないし、ロマンシングソーマがその彼女の本命ではないことは既に知っている。一体だれが人気薄のこの馬を本命に抜擢したのか、興味が湧いていた。
「えーっと、……競馬ナインの内藤さんだったか。確かにあの人の好きそうな先行馬だもんな。」
優は愛馬に本命印を打ってくれたことには感謝しつつも、落胆を隠せなかった。彼の本命馬は基本まず来ない。業界では死神と言われているほどだ。この日のコラムも、競馬とは関係がない他愛のない日常話を散々書き連ねた挙句、要約するとノーマークで人気薄の先行馬だからねらい目だという、極めて薄っぺらい理由での本命予想であった。
優本人の手応えとしては、このレースは厳しい戦いになるであろうと、苦戦を覚悟していた。馬場の悪化に一縷の望みを託していたものの、生憎今週は連日のドッピーカン。開幕2週目の秋の京都は、極限とも言える超高速馬場の様相を呈している。この軽い馬場では、すんなり先行させてもらえるかすら怪しい。戦う前から白旗を上げるつもりはないものの、一つでも上の着順を目指すのが現実的な目標であった。
第4回京都競馬5日目 第11レース 秋華賞
(GⅠ 3歳牝馬限定 定量55キロ 芝2000メートル内回り 馬場状態:良)
1枠1番 ラウンドアバウト ロベール
1枠2番 セボンファンタジー 山田
2枠3番 ストロベリージャム 蟹田
2枠4番 サイレントヴォイス ペレイラ
3枠5番 カイネシュガー 増岡
3枠6番 ミカエリビジン 棚田
4枠7番 シロイコイビト 御子柴
4枠8番 ハニカミハニカム 菅田
5枠9番 ハナノワルツ 福山
5枠10番 プレシャスガーデン 神谷
6枠11番 セボンファンタジー 山田
6枠12番 ワンモアチャンス ジョバンニ
7枠13番 ロマンシングソーマ 藤平
7枠14番 レインボーブリッジ 島田義
7枠15番 ハニーソースイート 三田村
8枠16番 インスタバエ 屯田
8枠17番 フワトロ 杉山
8枠18番 レイニーブルー 田崎
1番人気は、ロベール騎乗のオークス馬ラウンドアバウト。オークスからここに直行という異例のローテーションが気になるものの、状態には陣営も太鼓判を押している。ペースが読み辛い今日のメンバーにあっては、好位抜け出しのスタイルも信頼性が高く、単勝2.4倍と人気を集めている。
2番人気は、桜花賞、オークスともに2着のサイレントヴォイス。鞍上に今季絶好調のペレイラを迎え、悲願のGⅠ制覇が期待されている。秋初戦のGⅡローズステークスは3着に敗れたものの、叩いた今回は息の入りが違うと、関係者は自信ありの様子。
3番人気は、桜花賞馬シロイコイビト。トライアルのローズステークスを快勝し、GⅠ馬の貫禄を示してここに臨んでいる。ただし、オークスでの惨敗から距離を心配する声が多く聞かれ、実際前走から200メートルの延長がプラスに働くとは思えないことから、この人気に甘んじている。
4番人気は、もう一つのトライアルであるGⅢ紫苑ステークスの覇者、プレシャスガーデン。順調度で言えばこのメンバー中でも一、二を争う同馬だが、前走は比較的メンバーに恵まれたと見られており、後方からの脚質も相まって、上位3頭からは人気で水を開けられている。
ちなみに優のロマンシングソーマは、18頭中10番人気と完全に伏兵扱いである。女性騎手のGⅠ挑戦ということでそれなりの注目は集めているものの、やはりダート血統だけに今回の高速馬場では厳しいと冷静に見られているようだ。
そして発走時刻。枠入りは大きなトラブルもなく、ゲートが開くと各馬ほぼ揃った飛び出しを見せる。
まず注目の先頭争いは、オークスに引き続いてミカエリビジンとサイレントヴォイスの攻防。ただし前回はミカエリビジンが強引にハナを奪ったのに対し、今回は内から主張して来たサイレントヴォイスが行き切った。ペレイラは内回りの短い直線を意識して逃げの手に出たようだ。
3番手にストロベリージャムが付けて、その後ろにラウンドアバウト。さらに遅れて優のロマンシングソーマは5番手の位置取り。いくら馬場が速いとはいえ、先行勢について行くのにも難儀している様子で、思いの外ペースが速そうな雰囲気である。
桜花賞馬シロイコイビトは、折り合いに専念して中団8番手。これをマークするようにワンモアチャンスとレイニーブルーが、並んで追走。陽介のプレシャスガーデンは、後ろから3番手で虎視眈々と一発を狙っている。
1000メートルの通過タイムは、57秒1とやはりハイペース。ここで異変が発生する。本命馬ラウンドアバウトの手応えが怪しくなって来たのだ。
実は戦前にこれを予想していた人物がいた。首都スポーツの女記者・冴である。
彼女は、オークスからぶっつけでここを使って来たラウンドアバウトを、何と無印にしていた。それは、調教技術が格段に向上しぶっつけでのGⅠ制覇が珍しくない昨今でも、調教だけで全てを完璧に仕上げることは難しいとの考え方に基づく。実際、充分に乗り込んで一見息が出来ているように見えても、いざ実戦で厳しいペースになると息切れしてしまうケースは、多々見られるのだ。それは人間のアスリートだって同じで、ブランク明けでいきなり肉体の全能力を発揮するのは簡単ではないという、至極当たり前のことである。
3コーナーで既にロベールの鞭が入るも、ラウンドアバウトの反応は鈍い。本命馬の飛ぶ気配が濃くなり、場内が俄かにざわつく。
この厳しいペースでも先頭で直線に入って来たのは、逃げたサイレントヴォイス。オークスでも見せた二枚腰を発揮し、トップゴールを目指す。
これを目掛けて追って来たのが、シロイコイビト、ワンモアチャンス、レイニーブルー、プレシャスガーデンの差し勢4騎。
この中からはまずシロイコイビトが、消耗戦で根本的なスタミナ不足を露呈し、末脚が鈍って脱落。残る3頭の明暗を分けたのは、コース取りであった。
馬群に突っ込む選択を取ったのが、レイニーブルーとプレシャスガーデン。ワンモアチャンスはジョバンニがコーナーで思い切って大外を回して追い上げたが、フルゲート18頭ではこのロスが響いて伸び切れず。ジョバンニの長所でもある思い切りの良さが、結果として大味なレース運びに結び付いた格好だ。
内にプレシャスガーデン、外にレイニーブルー。ハイペースでばらけ気味の馬群を捌いて来た2頭が併せ馬の形で、ゴール前粘るサイレントヴォイスに襲い掛かる。最後もつれた3頭の接戦は、真ん中のプレシャスガーデンに軍配が上がった。以下2着レイニーブルー、3着サイレントヴォイスと入線。
1、2着の明暗を分けたのは、枠順。レイニーブルーは道中外、外を回らされる不利があり、大外枠に泣く結果となった。
勝ち時計は1分56秒9のレースレコードで、上がり3ハロン36秒4というタフなレースとなったこの一戦。勝利した陽介は待望のGⅠ初制覇を飾り、名実ともにトップジョッキーの仲間入りを果たした。
「優勝おめでとう。同期のGⅠ勝ち一番乗りは、やっぱり陽介だったね。直線ホントに上手く捌いたよね。」
自身は惨敗に終わった優が、馬体を寄せて祝福する。左手に鞭を掲げた優に対して、陽介は右手の鞭を高々と上げて馬上ハイタッチを交わした。
そして他の全馬が引き揚げた後、勝者のみに許されるウイニングランで愛馬とともにスタンド前を駆け抜け、勝利の余韻に浸るのだった。
なお、プレシャスガーデンを本命にしていた冴は、300倍を超える3連単を紙面でただ一人、見事に的中。来週はスタッフ予想から昇格し、特別にGⅠ予想コラムを書かせてもらえることとなった。




