122 新潟2歳ステークス
8月も後半に入り、暦の上では夏の終わりが見えて来る。しかし美浦や新潟ではそんな季節感を微塵も感じさせない猛暑が続いており、照り付ける日差しと蕩けるような蒸し暑さに、人も馬もただただ耐え忍ぶ日々を過ごしていた。
今週の優は、土日とも新潟に参戦。現地に滞在するのではなく、週中は美浦で調教を付けてから、金曜日に新潟に移動する形を取っている。これは期待の新馬ストロングソーマのデビューに備えて、少しでも直接コンタクトを取る機会を持ちたいとの優の希望に沿ったものであり、乗り運動の段階から太一と交代で跨るようになっていた。
その新潟競馬場では日曜日に、芝1600メートルのGⅢ・新潟2歳ステークスが行われる。
7月に行われる2歳戦最初の重賞・函館2歳ステークスに出走するのは短距離からマイルが守備範囲の馬が大半だが、この新潟2歳ステークスは、左回りの高速馬場を舞台にマイルという根幹距離で争うレースということもあり、マイラーだけでなくクラシック志向の馬が参戦するケースもみられる。
近年の2歳重賞の増加に呼応して、早期デビューする有力馬が増えていることもあり、ここをステップにして後のGⅠレースを制する馬も珍しくない現況である。
このレースの今年の注目馬は、新馬戦とダリア賞を連勝して参戦するブルーバード。父ユアマジェスティは大種牡馬サタデーフィーバーの直子であり、その良質のスピードを伝えられた産駒は、中距離以下のカテゴリーを得意とする馬がほとんどである。
この馬の全姉は、昨年のヴィクトリアマイルを制したブルーフィクサー。母ブルーマウンテンの仔は、競走馬としてデビュー出来た馬は全て勝ち上がっており、いわゆるクズの出ない血統である。
そしてこのブルーバードは、大社グループの一口馬主クラブであるサタデーレーシング所属。仕上がり早の血統にフィットしたハードな育成メニューをこなした同馬は、2歳馬離れした完成度を誇っていた。
ブルーバードを管理するのは美浦の大島 啓之厩舎で、同馬を担当する調教助手は鈴木 拓郎。そう、優の同期にして1年で騎手に見切りをつけて調教助手に転向した、あの鈴木君である。
「助手になって間もないのにこんな良血馬を任せてもらえるなんて、俺は本当に恵まれてるよ。頼んだぜ、同期の星!」
鈴木が勝利を託したのは、騎手デビュー同期の優────ではなく、今やトップジョッキーの一人である陽介であった。デビュー2戦で手綱を取ったジョバンニがワールドオールスタージョッキーズに出場するため、彼にお鉢が回って来たのである。
「体つきはいかにも短いところ向きって感じの胴詰まりだけど、気性が大人びてるから距離の融通は利きそうだな。忙しい競馬に慣れさせなければ、二千くらいまでなら我慢できるかもな。」
陽介のジャッジは、中距離が限界のマイラー。それを聞いた鈴木も、ただうなずくしかなかった。
「正直、クラシックを意識出来るタイプじゃないよな。それでも俺や先生はダービーに挑んでみたいけど、大社さんは有力馬をたくさん抱えているからな。狙いの馬を確実に出すために、この馬なんかは引っ込められちまうだろうな、残念だけど。とりあえずはこのマイル路線に全力投球だな。」
そして日曜。朝から快晴の新潟競馬場は、芝ダートとも良馬場の発表。陽介と鈴木の同期タッグの重賞挑戦の日が、ついにやって来た。
時刻は午後3時前。フルゲート18頭が集うメインレース・新潟2歳ステークスのパドックに向かうべく、支度所で出走各馬が馬装を整えている。
「鈴木君、いよいよ重賞初挑戦だね。私は乗り馬いないけど、応援してるから。ちょっと嫌な枠だけど、陽介ならきっと上手く導いてくれるよ。」
緊張で顔色の悪い鈴木を、優が激励する。ちなみにメインレースに乗らない優の勝負駆けは、その後の最終レース・3歳以上1勝クラスのダート1200メートル戦に出走するマダラヴィーナス。デビューから1着、2着の3歳牝馬で、今回は平場戦で4キロ減量がつくため、斤量は何と48キロの超軽量となり、ここは大チャンスの一戦である。
その優が指摘する通り、ブルーバードが引いた1枠1番は、このレースに関して言えばあまり歓迎すべき枠ではない。夏の新潟開催の後半は内が荒れてくるため、例年外差し優勢の傾向が強まって来る。この新潟2歳ステークスの勝ちパターンの多くも、高速上がりでの外差しである。この枠は前が壁になるリスクのみならず、展開によっては馬場のいい外へスムーズに持ち出すのが困難になる可能性も孕んでいる。
対照的に、2番人気のジャックフロストは4枠8番と乗りやすい枠。この馬は今年のスプリングステークス3着など春のクラシックでも活躍したラッキーストライクを兄に持つ血統馬で、兄譲りの末脚を武器としている。ここは重賞勝利のチャンスだと、鞍上の仁村 公平も腕を撫している。
そしてこのレースの展開の鍵を握るのが8枠18番、5番人気のロハノバビントン。前走のダリア賞は離された2着に敗れたが、今回は同型が不在で単騎逃げ濃厚。騎手は逃げ先行に特化して成績を伸ばしている相川 雅。
ラジオNIKKEI賞で重賞初制覇を果たした後、競馬界全体でアイドル的人気を誇る雅を広告塔としてプッシュして行こうというムードが強まり、彼女の乗り馬は質量ともに大幅に上昇していた。ここは程よい人気のためマークも甘くなりそうで、重賞2勝目を狙って虎視眈々であった。
レースはばらついたスタートで始まった。好スタートを切ったロハノバビントンはそのまま内に寄せてハナを切る。ジャックフロストは後方3番手の外目で脚を溜めている。そしてスタートでややバランスを崩したブルーバードは、中団の内ラチ沿いで包まれる形でレースを進めている。
つついて来る馬もおらずマイペースで逃げる雅のロハノバビントンが刻んだのは、前半800メートルを49秒3という緩ペース。雅は後続を2馬身ほど離したまま先頭をキープし、3コーナーから荒れた内を避けて徐々に外に持ち出して行く。それを追う後続もその動きに合わせて、密集した馬群はジワジワと外に広がり始めた。
これを待っていたのが陽介だった。多くの馬が避けて手薄になった内を一気に進出し、その勢いを利用して先行勢の間に首を捻じ込むように進路を確保すると、直線入り口ではもう先頭に並び掛ける勢いだ。
こんなに早く来られるとは思っていなかった雅は慌ててスパートを開始するが、スピードを乗せて接近して来た本命馬に抵抗するにはいささか遅過ぎた。
早めに先頭に立ったブルーバードは、馬場のいい外目に持ち出すと後続を突き放し、その後はスローペースを生かしてリードをキープしたままゴールを目指して行く。
残り100メートルを切ってようやくジャックフロストが差を詰めて来るも、この展開では外々を回すロスの多い競馬が仇となり、3馬身離れた2番手までが精一杯。ブルーバードは陽介を背に新潟芝1マイルを1分34秒6、自身の上がり3ハロン33秒2で駆け抜けて見せた。鮮やかなロングスパートを決めた同馬は、人気に応える見事な重賞初制覇を飾ったのであった。
「陽介、ありがとう!ナイス騎乗だったぞ!」
検量室前で陽介を出迎えた鈴木は、陽介に抱きついて喜びを爆発させた。挫折した騎手時代を経て、助手に転身しての新たな挑戦がようやく報われた鈴木。感極まったその目に光るものがあるのに気が付いた陽介もまた、強く抱き締め返して喜びを分かち合うのだった。
先日の優のハグとは雲泥の差の、男臭さにまみれた一幕であったが、たまには男同士の友情溢れるこんなシーンも悪くない。そう思う陽介であった。
最終レースは、優が騎乗したマダラヴィーナスが裸同然の軽量を生かし、断然人気に応えて5馬身差の圧勝。同期タッグの重賞勝利に花を添えるとともに、通算勝利数を28とした。




