114 太陽がくれた季節(3)
師匠の野口の赦しを得た太陽は現場に復帰し、再び勝ち始めた。
その一方で、いろんな伝手を使って必死に節子の行方を捜す太陽だったが、なかなか手掛かりをつかむことは出来ずにいた。
それから半年ほど経ったある日、太陽の元に一本の電話が入った。
「もしもし、神谷さんですか?」
電話の主は、節子の母であった。節子から連絡が入り、彼女が太陽の子を出産したことを知らされたとのことだった。節子からは太陽には決して連絡しないように強く言われていたが、生まれて来た子供を不幸にしないためにも伝えた方がいいと思い立って、この電話をして来たと言う。
居ても立っても居られなくなった太陽は、取るものも取り敢えずに自宅を飛び出し、節子が入院しているという神奈川の産院に急行した。
「すいません、この病院に、森山 節子さんは入院されてますか?」
そして彼女の部屋にたどり着いた太陽は、ノックをしてドアを開けた。
「……太陽さん?どうしてここが。そうか、お母さんが教えてしまったのね……。」
ベッドに腰掛ける節子の腕の中には、生まれて間もない赤ちゃんがいた。
「男の子だって。大きいでしょう、3500グラム以上あるって。これから授乳するところなの。」
元気な母子の姿にほっとした太陽だったが、すぐに我に返って節子に詫びた。
「すまなかった、節子。自暴自棄になって、お前に当たってしまうなんて、俺は最低の男だ。もしお前が許してくれるなら、もう一度俺にチャンスをくれないか。野口先生も事情は聞いてくれている。何も気にする必要はないんだ。」
太陽の願いを聞いた節子はにっこりと微笑んだ後、静かに首を横に振った。
「ごめんなさい、太陽さん。あなたの気持ちは嬉しいけど、もうそれは出来ないの。」
そう言うと、節子は右を向いた。そこに立っていたのは、大人しそうな一人の青年。太陽と目が合った彼は、黙ったまま小さく頭を下げた。
「この人、私の主人なの。私たち、子供が生まれる前に籍を入れたのよ。」
突然の結婚報告に、太陽は息が止まる思いだった。気を失いそうなほどのショックを受けながらも、太陽は踏みとどまり、尋ねた。
「どうしてだ、節子。どうして俺を信じて待ってくれなかったんだ。お前に酷いことをした俺が言えた道理もないけれど、たとえ騎手を辞めてでも、俺はお前と添い遂げるつもりだったのに……。」
「ありがとう。私もそれは分かってた。でも、あなたは競馬の世界でしか生きていけない人なの。夢を諦めて別の人生を歩めるような、器用な人間じゃない。自分の気持ちに折り合いがつかないから、あれだけ苦しんだんでしょう?そのことは、誰よりもあなたの近くにいた私が、一番良く分かってるつもりよ。
立ち直ったあなたがこの先、騎手として、そして調教師としてやって行くためにも、月乃さんと結ばれた方がみんな幸せになれると思うの。」
そう言って笑う節子を目の当たりにして、太陽は泣き崩れた。
「……分かった。お前の言う通りにするよ、節子。死んでも詫び切れないほどの過ちを犯してしまった俺だけど、せめて一つだけ償いをさせて欲しい。その子は、その子だけは、俺の手で育てさせてくれないか。お前を愛した証を手元に残したいんだ。立派な大人に育て上げて見せるから、お願いだ、頼む。」
太陽の懇願にしばし考え込んだ節子だったが、諦めたように答える。
「……あなたは言い出したら聞かないからね。この子は一緒に育てるって主人と約束してたんだけど────分かったわ、あなたにお願いするね。寿也さん、それでいいでしょう?」
寿也と呼ばれた夫は、小さくうなずいて太陽の願いを肯定した。この寿也こそ、藤平 寿也。優の実の父親である。
失踪したあの日、太陽宅を飛び出した節子は、誰も知らない場所に身を隠したいと考え、年賀状の住所を頼りに、高校時代仲の良かった寿也の元に身を寄せた。移住先が見つかるまでの一時避難のつもりだったが、学生時代から節子に想いを寄せていた寿也は、全ての事情を知った上で求婚。太陽の所には戻らない決意を固めていた節子もそれを受け入れ、入籍してこの出産を迎えていた。
「じゃあ、私からも、一つだけ。この子の名前は太一。太陽さんの一番星だから太一って決めてたの。あなたさえ良ければ、どうか太一って呼んであげて。」
「その願い、断るわけがないだろう。太一のことは何も心配しなくていい。お前は寿也さんと末永く幸せになってくれ。……今まで本当にありがとう、節子。そして本当にすまなかった。」
その後、太一を引き取った太陽は、かねてから想いを寄せられていた月乃と結婚。月乃は気立てのいい女性で、他人の子である太一を愛情込めて育ててくれた。
そして結婚から5年後には、次男が誕生した。しかしこれは大変な難産となり、出産時のショックで月乃は帰らぬ人となってしまった。
「結局俺は、愛した女性を誰一人幸せに出来なかったな……。これも自業自得、因果応報というやつか。」
節子に続いて月乃も失った太陽は、ただ嘆くことしか出来なかった。
月乃の命と引き換えに生まれたこの赤ちゃんはすくすくと育ち、中学を卒業すると競馬学校に入学し、無事卒業して父と同じ騎手の道を歩み始めた。彼の名は、神谷 陽介。
その陽介と同じ年に、寿也と節子の間にも女の子が生まれていた。その娘は、母と見た日本ダービーで競馬に魅せられ、陽介と同じく騎手としてデビューを果たしたのである。彼女の名は、藤平 優。




