11 祝勝会
翌月曜の全休日。美浦トレセン近くの繁華街の一角で、優とチョコレートケーキの祝勝会が催された。
参加者は、主役の優はもちろんのこと、湯川厩舎からはチョコレートケーキの厩務員と調教助手、神谷厩舎からは幹事を務める太一ともう一人女性厩務員、そして美浦所属の同期である陽介と鈴木の二人といった面子であった。ちなみに両調教師は、若い人たちの邪魔になるからと遠慮して、今回は参加していない。
「今日は…私のために…お集まり…いただき、誠に…ありがとうございます…。みなさんの…おかげで、…何とか…初勝利を上げる…ことが…出来ました。これから…も頑張りますので、…よろしく…お願いいたします。それでは…乾杯!」
大いに照れながら、優が堅苦しく乾杯の音頭を取る。優たち新人は未成年だからジュースやウーロン茶を、大人たちはとりあえず生ビールを手にして、宴が始まった。
最初こそ優への祝福で始まったこの祝勝会であったが、面々の酔いが回るに連れて次第にグダグダになり、職場環境への不満やトレセン内のスキャンダル、恋バナ…と、大きく脱線していった。
そんな中、この機会に太一との距離を縮めたい優であったが…。
太一は、同僚の女性厩務員と楽しそうに話し込んでいた。彼女の名は里見 綾。太一と同い年の24歳である。
綾は、後ろ髪を左右にゴムで束ねただけで全く化粧気はないけれど、優から見ても結構な美人だ。加えて穏やかな性格で面倒見も良く、トレセンの中でも憧れている男は多い。
優も、綾には日頃から様々な悩みを相談しており、同性の頼れる先輩として尊敬している、が、しかし。
(やっぱり付き合っているのかな、太一さんと綾さん…。)
優は、普段からいい雰囲気の二人を見て、自分の入り込む隙がないのを感じていた。いっそ太一か綾のどちらか本人に聞けばはっきりするのだろうが、当然そんな度胸はない。今夜も優は、仲良く語らう二人の後ろ姿を、ただただ羨ましそうに見ていた。
「何ぼーっとしてんだよ、藤平。人の話聞いてんのか?」
同期の鈴木が、優を現実に引き戻す。鈴木と陽介と3人で、同期トーク中だったのだ。
「ごめんごめん、鈴木君。…で、何だっけ。」
「聞いてなかったのかよ!まあいいや。結論だけ言うとさ、俺、騎手辞めて調教助手になろうかなって。」「ええっ!な、何で!?」
「まだデビューしたばっかじゃん!決断速すぎだろ。」
優も陽介もいきなりの告白に驚き、思わず声を荒げた。
鈴木が、静かに語り始める。
「同期のみんながどんどん勝ち上がって行くのに、俺は全然だったろ。チャンスを求めて障害レースに挑戦しようかと思ったけど、障害練習で落ちまくっちゃって…。先輩たちに、危ねえから止めろヘタクソって怒鳴られてさ。俺が落ちたら周りも危険に晒すから、まあ当然だよな。」
障害レースは、騎乗する騎手の絶対数が少なく、若手にもチャンスのある競走だ。しかし、落馬による骨折などの大怪我は日常茶飯事で、怪我人が出過ぎてレースに乗る騎手が足りなくなることもあるほど、危険と隣り合わせである。
「実際、神谷なんかと比べると全然馬乗りのセンスないしな、俺。近いレベルだと思ってた優にも先を越されて、踏ん切りがついたって言うか。」
「そんな…。」
表情を曇らせる優の心情を察して、鈴木が続ける。
「別にお前が勝ったから辞めるってわけじゃないぞ。お世話になってる大島先生から誘われてたんだ。助手の一人がもうすぐ定年だから、辛くなったらいつでも転向していいぞって。騎手で食ってけそうにない俺を見かねて早めに道を示してくれたんだと思う。まだ若いし他の道を探すのも手だけど、やっぱり俺、馬が好きだし。」
黙り込んでしまった優と陽介を見て、鈴木は、しまったとばかりに頭を掻いた。
「せっかくの祝勝会なのに、湿っぽくしちまってごめんな。久しぶりに集まったんで、ついしゃべっちゃったわ。まあでも、今すぐ辞めるんじゃないから。…せっかく騎手になったんだし、やっぱり一つぐらいは勝ちたいしな。」
優の初めての祝勝会の記憶は、寂しさと切なさだけが残る、ほろ苦いものとなった。




