109 小倉記念
夏の小倉開催の目玉、3歳以上オープンのハンデ戦GⅢ・小倉記念。良馬場の芝2000メートルに、今年は14頭が集まった。
最終オッズ
1番人気 2.7倍 1枠1番 マシンハヤブサ 56キロ 古畑
2番人気 3.3倍 4枠6番 ウイニングショット 57.5キロ 菅田
3番人気 6.9倍 8枠14番 ソーマナンバーワン 52キロ 神谷→藤平
ファンファーレが鳴って場内のボルテージが高まると、1番人気のマシンハヤブサが少し荒ぶり出した。鞍上の古畑は慌てずに口笛を吹いてパートナーを落ち着かせると、同馬をゆっくりと1番ゲートへと誘導する。長くコンビを組む人馬だけあって、確かな信頼関係が出来ているようだ。
枠入りが進む中、12番のオネストマンがゲートの前で膠着し、なかなか入ろうとしない。狭いゲートの中で長く待たされているマシンハヤブサへの影響が心配される所だが、古畑は馬の首筋を撫でたり、顔を隣のロートプライマルの方に向けたりして、テンションが上がらないよう細心の注意を払っている。そうしているうちに、ようやくオネストマンもゲートに収まり、いよいよ残すはあと1頭。
優に促されたソーマナンバーワンが、ゆっくりと大外14番ゲートへと向かって行く。全馬枠入りを終え、ゲートの赤ランプが点灯すると、一斉に扉が開き、今年の小倉記念がスタートした。
注目の先行争いは、まず最内枠から1番マシンハヤブサが飛び出して行く。続いて6番ウイニングショット。先行有利のコース形態を意識して、人気2頭がレースの主導権を獲得すべくお互いの出方を窺う。
本命馬を楽に行かせたくないウイニングショット鞍上の菅田は、軽く押して先頭を奪う構えを見せる。それに対してマシンハヤブサの古畑は、手綱を激しくしごいて断固抵抗の意志を示す。
スマートな騎乗を信条とする菅田は、決して無理な競り合いは挑まない。それをよく知っている古畑は、あくまでハナを譲らないと強く主張する動きを見せたのだ。果たして菅田は早々に逃げるのを諦め、番手に控える。こうしてレースを引っ張る2頭の隊列は、去年と全く同じ順番で決まった。
2馬身ほど切れて3番手は12番、最軽量49キロのオネストマン。差なく内から3番ナッキーミサイル、その外に5番セイショウダイドウ。その1馬身後ろに2番ロートプライマルと9番サドノクロノス。さらに7番エイテンランラン、13番モッコービューティが続いて、ここまでが一団。
さらに2馬身離れた後方集団は、内に4番スナイプジエネミー、外8番ケイエムトリガー、その後ろに10番スモールワールド、そして後ろから2頭目に14番ソーマナンバーワン。最後方は昨年の覇者11番ジェットマンで、これで14頭。
優のソーマナンバーワンは五分にゲートを出た後、出たなりの位置から全く手綱を動かすことなく後方の位置取り。ギアをニュートラルにしたまま馬のリズムを重視する騎乗だ。52キロという恵まれたハンデでこれだけリラックスさせていれば、さぞかし直線では弾けるに違いない。しかし────
(去年ほどは流れていない。それに前2頭のあの雰囲気……。あまりいい展開ではないな。)
相馬と共に関係者席からレースを眺めている太陽は、前半の展開に渋い表情を作っていた。逃げるマシンハヤブサの1000メートル通過タイムは、59秒フラット。レコード決着の昨年よりは0秒7遅いが、そこまで悲観するペースではないように見える。
しかし、太陽は気付いていた。前半から飛ばして行った昨年とは、ラップの刻み方が明らかに違う。今年のラップは12.2→11.5→11.9→11.7→11.7。極めて平均的なラップで、これでは追走する後続もなし崩し的に脚を使わされてしまうのだ。
さらに厄介なのは、この絶妙な平均ペースにより後続の馬群がそれほどばらけず、その中を割って出て来るのが極めて困難なことである。馬群は割れず、かと言って外を回して差し切れるほど苦しいレースを前はしていない。この差し馬泣かせの展開は、百戦錬磨のベテランである古畑と菅田の二人による、完璧とも言えるレースメイクの結果である。
(前半を59秒、後半を58秒で行けば、1分57秒ジャストになる。これなら勝てるだろう。)
古畑の戦前のプランそのままに、レースは進んでいた。
レースは残り800メートル。ここで、思ったほど流れない展開に業を煮やした最後方のジェットマンがまくりを開始すると、これに呼応してトンカツのスモールワールドも一緒に上がって行く。そのまま一気の先頭奪取を狙った2頭だったが、これは古畑の思う壺。この200メートルでラップを11.3秒と加速させていたのだ。ペースが上がった所で動いてしまった両馬は必要以上に脚を使い過ぎ、外を回したロスも相まって、前にたどり着くこともなく手応えを失い、失速した。
このまくり失敗を見た後続の騎手たちは、前の2頭を追いかけるのが厳しくなったのを察知し、着狙いに意識を切り替えた。重賞レースともなれば、3着、4着でも高額な賞金を獲得することが出来る。少しでも上の着順を目指すべく各馬の動きは自然とタイトになり、依然として最後方に構える優のソーマナンバーワンの前には、巨大な馬の壁が出来上がってしまった。
快調に飛ばす古畑は、後方で唯一警戒していたソーマナンバーワンの位置を確認し、安堵した。
(小倉を知らな過ぎだな、お嬢。気の毒だが、そこからでは何も出来ねえよ。)
相手は、すぐ後ろにピタリと付けているウイニングショットただ1頭。古畑はマシンハヤブサを促しながら右ムチを一発入れて、291メートルの短い直線に先頭で飛び込んだ。
マッチレースの様相を呈して来た直線。菅田のウイニングショットが満を持して仕掛け、マシンハヤブサに馬体を併せに行く。
「ぬおおおおーっ!」
珍しく大声を上げながら全力で追う古畑の気合いが乗り移ったかのように、マシンハヤブサは二の足を使ってウイニングショットを振り切りにかかる。
(まだこんなに余力があったのか。やられたな……。)
1.5キロのハンデ差が響いたか、あるいは古畑の気迫に気圧されたか。名手・菅田も舌を巻く粘り腰の前に、ウイニングショットは追い抜くどころかじりじりと後れを取り始める。
ゴールまであと100メートル。ウイニングショットを競り落とした古畑は、一瞬の間に22年半の騎手人生を思い起こしていた。
(週末は留守ばかりで女房にも寂しい想いをさせたし、でかいレースも大して勝てなかったからガキどもが自慢できる父親でもなかった。でもこれでちったあ胸を張れるってもんだ。)
長い中央競馬の歴史でも数人しか達成していない、全10場重賞制覇の偉業達成へ、あとは目の前のゴールに飛び込むだけだ。古畑が勝利を確信した、その時だった。
スタンドが大きく沸いた。それは信じられないものを見ているような、驚きに満ちていた。
大外ではなく、マシンハヤブサのすぐ外から猛然と追い込んできたのは、ピンクの防止に青地白バッテンの勝負服。絶望的な位置にいたはずの、優のソーマナンバーワンだった。
「おい、一体どこから来てんだよ、おい!」
あり得ないはずの展開に、古畑は思わず叫ぶ。
勢いの差は歴然だった。最後の1完歩で、文字通り並ぶ間もなくマシンハヤブサを捕らえたソーマナンバーワンは、半馬身差をつけて先頭でゴール板を駆け抜けた。電光掲示板に表示された勝ちタイムは1分56秒9、レースの上がり3ハロンは34秒9であった。




