10 光と影
9 2 18 6 11
電光掲示板に、着順が点滅する。1着入線は、9番チョコレートケーキ、藤平 優騎手。芝1800メートルの勝ちタイムは1分50秒ジャスト。ラスト3ハロン(600メートル)は33秒9という、速い上がりのレースであった。
「差せるかと思ったけどな。まあ、おめでとう、優。」
ゴール後、第1コーナーに向かって流して行く優を、2着に敗れた陽介が祝福する。その後も、これが優の初勝利だと知っている他の騎手達が、追い越しがてらに次々と声を掛けて行く。
ダートコースを横切り地下馬道を抜けて、引き揚げて来た優を、関係者が拍手で出迎える。
「思ってたより僅差だったけど、よく乗ったな。また機会があったら頼むぞ。」
前回の敗戦にも関わらず再度騎乗依頼をくれた湯川調教師も、ほっとした表情だ。
「パドックであれだけガチガチだったのに、本番は堂々たる王道競馬か。恐れ入ったわ。」
そう言って茶化す厩務員だが、満面の笑顔で喜びを隠せなかった。
馬主やその関係者とも握手を交わし、頭を下げて検量に向かう優に、師匠の太陽が声を掛ける。
「ロベールの番手につけたのは良かったが、ちょっとスローに付き合いすぎだ。もっと早めにペースを上げていけば、楽に勝てたレースだぞ。」
浮かれないよう釘を刺す太陽であったが、愛弟子の初勝利には嬉しさを隠せないようで、その口元は少しばかり緩んでいた。
「はい。分かってます、先生。今日はチョコが強かっただけです。」
これはジョバンニのまくりのタイミングと減量に助けられた結果の勝利であり、単勝1.4倍の大本命馬の勝ちっぷりではなかったということは、自分が一番よく分かっている。馬に助けられただけで、自分はまだまだだ。そう思うと決して手放しでは喜べず、優は気を引き締めた。
その後、検量が終わり、レース結果が到達順位の通り確定した。騎手が整列した検量室で、ホワイトボードの1着欄にマジックで9が書き入れられているのを見た優は、ああ、勝ったんだ、と改めて実感した。
着順確定の場内放送が流れる中、東京競馬場のウイナーズサークルに、チョコレートケーキと優が現れた。表彰式を待つファンが口々に声を上げる。
「優ちゃん、おめでとうーっ!」
「馬券取ったよ、ありがとう!」
「GI勝てよー!」
GIデーでいつも以上の熱い声援を浴びて、優は抑えていた喜びを初めて爆発させた。
「ありがとう…ありがとうございまぁす!」
顔をくしゃくしゃにして感謝する優を、一段と大きな拍手が包んだ。
表彰式が始まった。馬主、調教師、厩務員らと並ぶと、小柄な優はひときわ小さく見える。
後ろで祝・初勝利のプラカードを掲げているのは、同期の陽介だ。優は嬉しくもくすぐったいような気持ちで、顔を少し赤くしていた。
式が終わり、陽介と言葉を交わす。
「ありがと、陽介。でも、勝ててほっとしたよ。」
「負けたのは悔しいけど、おめでとな。でも次にまた同じレースに乗ったら、今度は俺が勝つから。」
ローカル中心で腕を磨いている自分は、一流騎手の集まる中央場所でバリバリ活躍している陽介には、まだまだ遠く及ばない。そんな彼が自分をライバルとして認めてくれたことに、優は少しじんと来た。
初勝利の感激から数時間。東京競馬場では、GIレースのヴィクトリアマイルが行われた。4歳以上の牝馬18頭で行われたこのレースを制したのは、4番人気、菅田 満の5歳馬ブルーフィクサー。外国人騎手が大レースを勝ちまくる中、日本の第一人者の意地を見せたレースであった。
「ミツル、おめでとう!」
「菅田ー!馬券ありがとー!」
大観衆からの声援を受けながら、菅田とブルーフィクサーは、ウイニングランでスタンド前を颯爽と走り抜けて行く。
このレースを、優は陽介と一緒に控室のモニターで見ていた。まだ30勝に到達していない陽介は、GIレースに騎乗することが出来ない。ブルーフィクサーは陽介の所属する伊沢 義男厩舎の管理馬であり、前走は自身が乗って賞金を加算していた。モニターを見つめる陽介は、羨望と悔しさで拳を強く握りしめていた。新人ナンバーワンの陽介でさえ、GI騎乗はまだ遠い世界なのだ。
未勝利戦もGIも同じ1レースに違いはないし、関係者が必死に勝利を目指すのも同じ。しかし、勝利で得られる栄誉も、喝采も、賞金も、GIレースは何もかもが桁違いだ。そんなまぶしい舞台に立ち、栄冠を掴み取ることを、みんな夢見ている。
自分もいつか大レースに出たい、勝ちたい。憧れの日本ダービーにたどり着くためにも。そのために出来ることは、目の前のレースでベストを尽くし、勝ち星を積み重ねて行くしかない。優は、自分の出発点を再確認するのだった。




