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創作怪談――創怪

家族の住む場所

作者: ユージーン


 Yさんは霊感があり子供の頃からいろいろ見えたという。

 電柱の影やコンビニの裏の暗闇、マンションの階段の下などに陰鬱な表情の人物が立っていたり、鬼火が夜空を横切ったり、時には両腕で抱えきれないほどの太さの大蛇がずるずると道を横切っていくのに出くわしたこともあった。

 だから洗面所のタオルから人の腕がぶら下がっているのを見ても大して驚かなかった。

 それはある夜、トイレに起きた時に始まった。


 最初は薄気味悪く感じた。

 たまたま通りかかっただけの場所なら見て見ぬふりをすればそれですむが、自宅で同居となれば話が違う。今までも家の中で普通でないものを見たことはあったが、思い返すと何度もしつこく現れたヤツはいなかった。

 毎回ではなかったが気づくと昼でも夜でもだらりと洗面所のタオルの裏からやってくる。

 それでも人間というのは「慣れる生き物」で、しばらくするとあまり気にしないようになった。


 父親に腕のことを話すと「何を言っているんだ」と軽く流された。もともと反応の薄い人で、冷淡というわけでなく、ちゃんと話は聞いてくれているのだが地味な反応しか返ってこない。意味不明な話をされてどう答えていいのかわからなかったのかもしれない。

 兄に話すと「え? なに? 幽霊とかそういうやつ?」と薄笑いを浮かべる。冗談だと思ったのかもしれない。もともと妹の話をまともに受け止めるような人ではなかったから、話をした自分がバカだったと後悔した。

 母親はちょっと天然でのんきな人だったから、やっぱりニコニコと笑って聞いてはくれるものの、「じゃあタオルはこまめに替えたほうがいいわね」と、こちらが返事に困るような言葉が返ってきた。


 地元の大学に自宅から通っており、その日は飲み会で飲みすぎてしまった。

 フラフラした足取りで何とか家にたどり着き、膀胱の中に詰めかけたお客さんを送り出してから、冷たい水で顔を洗う。

 少しは頭がスッキリするかと思ったが大した効果はなく、あとはベッドに潜り込もうかと思った時、あの腕が目に止まった。

 その時に限ってなぜそうしたのかはわからない。

 酔っていたせいかもしれないし、自分が飲みすぎてクラクラしてる時にのんきにぶら下がりやがってと気に障ったのかもしれない。

 顔を拭くためのタオルに手を伸ばすふりをしてから、そいつの手を握った。


 おかしな物を目にすることはよくあったし、金縛りの最中に何かに触れられたことはあったが、自分から触ったのは初めてだった。

 だから最初に思ったのは「ああ。つかめるんだ」という事だった。

 しかしそいつはこちらの手を強く握り返して引っ張ってきた。

 その勢いが激しかったためにタオル掛けに頭をぶつけそうになり、あわてて反対の手を壁について耐える。

 酔いが吹き飛んだ。

 ともかく手と足を踏ん張って必死に引っ張り返す。


 どれくらいの時間だったのかわからないが、綱引きのように一進一退を繰り返し、何とか洗面台を蹴ると体が後ろに倒れそうになった。

 その時になって、そいつがタオルの裏から抜け出て自分に倒れかかってくるんじゃないかと顔が引きつったが、その前に手を離してくれた。

 おかげで反動で反対側の壁に吹き飛んで派手に頭をぶつけるハメになった。

 気を失う程ではなかったが、流石に笑ってすませられるような気分ではなくなった。




 翌朝から洗面所の扉を開けるのがためらわれるようになってしまった。

 あの腕を見たくはないが、かといって洗面所を使わないわけにもいかない。

 手を掴まなければいいのだからと自分に言い聞かせる。

 例のタオル掛けにはタオルを掛けないように家族に頼み、すぐ隣にフックを付けてそこにぶら下げるようにしてもらった。

 見た目はだらしなくなったが何とか理解してもらった。真夜中に大騒ぎをして家族を起こしたことで腕の話がただの冗談じゃないと伝わったのだろう。


 それ以後、腕は現れなくなったが、家の中の空気が変わった。どんよりと沈んだ感じでジメジメと肌に粘りつく。帰宅してドアを開けた途端に生臭いような何かが漂ってくる。陰気で家族もよそよそしい雰囲気になってしまった。

 状況を変えようと明るく振る舞ったりしてはみたものの効果はなかった。自分自身がうんざりしているのだから、いくら会話を盛り上げようとしても無駄な努力でしかなかった。




 それから3ヶ月ほどした頃から父親が家によりつかないようになってしまった。

 父を見ないようになって半年ほどで今度は兄がいなくなった。

 母親といっしょにかなり心配し、失踪届やさまざまに手を尽くしたが二人とも戻って来なかった。

 ついには母親も姿を消した。

 学費の分が積み立てられた通帳は手付かずで、生活費もバイトと親戚からの援助のおかげで困ることはなかったが、誰もいなくなった自宅で懐かしい記憶を不意に思い出しては涙する生活は辛かった。

 しばらくして家の中のおかしな空気が無くなったに気づいたが、取り返しがつかないほど家族が変わってしまった事に比べればどうでもよかった。




 大学を卒業し、就職して少しした頃、父親から電話があった。

「すまないことをした。本当はわかっていたが知らないふりをした。戻れない。許して欲しい」

 一方的に言うとこちらからの問いかけには答えずに電話が切れた。


 2年ほど過ぎて社会人としての生活が安定した頃、今度は兄から電話があった。

「今もいる。どこまでもついてくる。なんとかして欲しい」

 そう懇願されたがどうすることもできない。そもそも何のことを言ってるのか。

 詳しく聞こうとしたが、こちらもいきなり切れてしまい二度とかかってくることはなかった。

 ひとつだけわかったのは、家の中のおかしな空気は自分の住んでいるこの場所からはなくなり、代わりに父と兄の所に付いていってしまったらしいということだった。




 ある夜。鏡を見ているうちに心の底から怒りが湧き上がってきた。

 なんでこんな目にあうのか。

 そこでタオル掛けに以前のようにタオルを掛けた。

 すぐに勝ち誇ったようにあの腕が出てきた。

 ベルトを輪にして準備しておいたものを手首の所に引っ掛けてやり、逃げられないようにきつく締め付けてやる。反対の端を自分の手に巻き付けて力いっぱい引っ張った。

 それまでの人生でこれほど全力を出したことがないと思えるほど引いて引いて引きまくった。

 もっと力を入れてやろうと引き直す度に、壁の向こう側に何かがガンガン当たる音がする。

 それがどういうことかはわからないが、ともかく相手に効いているのは確かだとわかる。

 腕がだんだん外に伸びてきて、タオルの影から肩と首の付根が見えてきた。

 絶叫を上げて引き続けるうちに、ふとあの酔っ払って帰った夜のことを思い出す。

 これ以上ないというほど強く引いてから手を離してやった。

 腕とともにベルトがタオルの下に吸い込まれて消えた。


 ざまあみろ


 そう思った。

 全身が汗だくになっていた。

 それがどんなダメージを与えたのかはわからないがともかく満足した。

 新しいベルトを買い直して、あいつが出てくる度に痛い目に遭わせてやる。

 そう思って洗面所を出ようとすると、そこに母親が立っていた。

 正直、幽霊を見るより驚いた。

 母親はぼんやりした顔で何を話しかけても答えない。

 どうすればいいのかわからず、ともかく寝室に連れて行って寝かせ、朝まで手を握っていた。

 目を覚ますと、少し寝ぼけた感じだったが以前の母親のとおりだった。

 少し年をとって白髪が増えてはいたが。

 いなかった間に何があったのか尋ねたが、首をかしげるばかりで答えはなかった。


 しばらくして兄が帰り、1年もしないうちに父親も戻ってきた。

 二人とも母と同じようにいなかった間のことを教えてはくれなかった。

 無理に聞き出すわけにもいかず、結局は戻ったのだからと無理矢理に自分を納得させるしかなかった。

 タオル掛けのタオルから腕が出てくることは二度と無かった。




「それで、学生時代にいろいろと援助してくれた親戚の家に報告に行ったんですけど、伯父さんは無表情なままだし、奥さんはすごく悔しそうな顔をしてたんですよね……」

 そう言われても私には何とも答えようがない。

「失踪から7年たつと死亡届が出せるらしいですから、その時点で家の所有権について話をするつもりだったのかもしれませんね」とだけ言っておいた。家を明け渡してもらえるようにするための援助だったのかもしれない。

 伯父さん夫妻は何かを知っていたのかとこちらから尋ねるのも心苦しく、Yさんも自分からは何も言わなかった。

 伯父さん夫妻はすぐにどこかへと引っ越してしまい、それ以来、連絡していないという。


 Yさんはもうすぐ結婚の予定で、すでに妊娠中。

 あの家で夫と子供も一緒に住むつもりだという。

「そんなに広い家じゃないから狭くて大変なんですけど、家族の誰かが目の届かない所に行っちゃうと、またいなくなっちゃうんじゃないかって不安になっちゃって」

 そう言ってちょっと恥ずかしそうに笑った。

 家族から離れているのが不安で急に帰宅したくなったりするのが少々困っているのだそうだ。


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