第八話:夢
金で夢は買えるか。
答えは簡単。
YESだろう。
すべてのがそうとは言えないが、金が無ければ叶わない夢というのは、少なからずあるハズだ。
信治の妹、春奈は生まれつき体が弱い。その時点で、抱ける夢も限られていた。
それでも春奈は、小学生の先生になりたいと、一生懸命勉強している。
当然大学にいかなければならない。
当然金が必要になる。
今は春奈が世話になっている、おじさんだけが頼りだった。
「おう!春奈久しぶり。」
「お兄ちゃん!」
「ねぇ、この家タバコ吸っても大丈夫だよね?」
「うん、おじさん吸うから。お兄ちゃん、タバコ吸うようになったんだ?」
「そうだよ。」
「やめといった方がいいよ。体に悪いし‥。」
「それはわかってるんだけど‥なんていうか‥大人になると、苦味がうまく感じるようになるんだな。タバコの苦味、人生の苦味、こういったものを求めてしまうんだな。うん。」
「なに自分で勝手に納得してんのよ!まっ、いいけど。」
「おじさんまだ仕事?」
「うん。もうそろそろ帰って来ると思うけど。」
「そっか。いや、車のローンもうちょいだから、残りの分全部払っておこうと思って。」
「じゃあ遅くなるようなら、私預かっとくよ。」
「そうか、頼むよ。」
信治はもう、誰にも金を貸したり預けたりはしないと決めていた。
だが、妹だけは違った。
自分はもうどうでもいいから、妹だけは、春奈だけは幸せになってほしいと、心から願っていたのである。
「大学受験そろそろだろ?大丈夫か?」
「うん。お兄ちゃんと違って、デキが違うから。」
「うーん、言い返せない。」
「ふふふ。」
「おじさんが全部支払ってくれるの?」
「うん。金のことはまかせとけ!だって。」
「そうか。おじさんにはホント、頭が上がらないな。」
「‥そうだね。」
「‥?」
帰りの車の中で信治が思うのは、春奈が少しだけ見せたうつむいた顔だった。
(あいつがあんな顔するなんて‥‥何かあったな。)
信治はまた近いうちに、妹に会いに来ようと考えていた。
「‥伊藤さん。最近元気無いですね。」
そんな心配をしているのは、信治の後輩、川村だ。
「シンちゃんも、いろいろあったからねぇ。彼女とも別れたみたいだし。」
話が好きで噂も大好きな木下は、信治にあったこと、だいたいは知っていた。
「えっ!?彼女と別れちゃったんですか!?」
「そうみたいよ。ほら、優奈ちゃん。今がチャンスかもよ。シンちゃんのこと、好きでしょ。」
「はい。好きです!」
(‥‥素直だねぇ。)
「じゃあ、頑張って告白してきます!」
と言って席を立った川村。
「優奈ちゃん!なにも今すぐじゃなくても‥‥行っちゃった‥‥。」
一分後。
「フられましたぁ。ううぅ‥。」
「よしよし。でもいきなり告ったらダメよ。順序よくいかないと。これからが勝負よ!応援するから!」
「ありがとうございます。ううぅ‥。」
(‥‥こいつ面白いな。)
川村が悲しんでいるのをよそに、木下はとても楽しそうだ。
一方信治はというと‥全く興味も何もない。そんな感じに見える。今の信治に、恋愛や友情といった感情は必要無いのだ。
ただ妹のことだけ、それだけが気がかりなのだった。
「信治、今日夜ヒマか?」
「はい、特に予定もなんもないですよ。」
「たまには二人で、飲みに行くか!」
木村係長が、珍しく飲みに誘ってくれた。
信治は断る理由もないので、それに頷いたのだった。
「では、とりあえず‥乾杯!」
二人はグラスを合わせビールを飲む。木村は一気に飲み干してしまい、早くも次のビールを頼んでいた。
「信治、なに食べたい?今日はなんでもおごってやるぞ!」
「えー‥と‥‥じゃあ、シシャモと焼き鳥で。」
「よしわかった!あと俺のオススメも頼んどくからな!」
仕事のあとの酒は、なぜこんなにも旨いのだろうか‥二人は次々とグラスを空けていった。
「‥信治。最近どうだ?」
「どう‥っていわれましても‥。」
「疲れてないか?ストレス、溜まってるんじゃないか?」
「うーん‥疲れてますね。風信入ってから、いろいろあったんで。」
「そうか‥‥なにか辛いことがあったら話せよ!ただ聞いてもらうだけでも、けっこう楽になったりするからな。一人で抱え込むんじゃないぞ。まぁ、こんな俺で良ければだけど。」
木村は、最近元気がない信治が心配で飲みに誘ったのだ。
信治も、それはわかっていた。嬉しかった。本当に嬉しかった。
でも信治は、何も言わないつもりでいた。言ったところで、何も変わらないからだ。
だが、なぜだろう‥酒のせいだろうか。木村になら話したい!そう思えてきたのだ。
「‥‥‥俺の両親は、自殺したんです。金のせいで。」
「‥借金か?」
「はい。俺と妹を残して‥ショックでした。」
「それはショックだろうな。」
「そのとき思ったんです。なんで金なんかの為に死ななきゃいけないんだ!って。それで探しました。金より大切なものが有るはずだ!って。」
「それは、見つかったのか?」
「‥‥‥‥世の中金だ!金があれば何でも手に入る!金が無きゃ何もできない!‥‥小さい頃、そんなハズはないと思っていました。大人になったら、金があっても無くても、頑張れば必ず幸せになれると思ってたんです。でも‥実際大人になってわかったんです。金を得る為に働いて、金を増やす為に頑張って、金が無ければ金を借りて‥人はそうやって生きているんだって。所詮世の中金なんだって‥‥。けど、金で買えないものもあるんじゃないか?金より大切なものもあるんじゃないか?友情とか、愛情とか、家族とか、命とか、そう思ってたんですけど‥ 結局金の方が強いんです。金の力には、なかなか勝てない‥‥‥そんなことを考えてたら、いつの間にか俺も借金だらけになりました。今ならわかります。両親がなぜ自殺をしたのか。金の無い苦しみ、辛さ‥これは本当に金が無くなったときにしかわからない。
死んだ方が楽なんじゃないか?って、本気でそう思えてくる。
本当に、苦しいもんなんだって‥‥。
両親と住んでいた家の近くに、灯台があるんです。断崖絶壁に建っていて、そこからの眺めは最高なんです。もし、そこから飛び降りたら、死ねるかな、とか‥‥そう考えたこともあります。でもまだ、体の弱い妹が心配で。あいつが夢だった先生になって、結婚して、幸せになって‥それを見届けるまでは、死ねない!なんて勝手に決めてたりします。」
「そうか‥‥確かに金の無い苦しみは、実際なってみないとわからないかもな‥でもな、信治。男なら、探したものは見つかるまで探せ!途中で投げ出すんじゃないぞ!そして見つかったら俺に教えろよ!俺も気になるからな。それまでは、勝手に死ぬ事は許さん!わかったか!」
木村の言葉は、広く、優しく、それでいてズシッと重みがあった。
「はい‥‥わかりました。」
信治は、うれし泣きしそうな気持ちだった。だが涙は流れなかった‥。
木村の言った通り、話をして何かが変わったワケではない。借金が減ったり、克也や寺道が帰ってくるワケでもない。
でも少しだけ、信治の心は軽くなった。その『少しだけ』が、どれほど大切なものなのか、その時の信治には、まだわかっていなかったのである。
「今日はお兄ちゃんが来るって言うから、気合い入れて作ったのよ!」
「わお!豪華なメシ!お前、料理の腕上げたんじゃないか?」
「へっへっへー。」
信治は土日の休みを利用して、春奈のいるおじさんの家に、一泊しに来たのだ。
「うん‥うまい!何の料理かよくわからないけど‥うまい!」
「良かった。」
「‥ところで、おじさん遅いね。」
「ああ、今日はなんだか飲み会があるみたいで、帰ってこないよ。」
「そうなんだ‥。」
「どうかしたの?」
「ううん‥とりあえずメシ食ってから話そうぜ。」
信治はチャンスだと思った。二人きりなら、きっとなんでも話してくれる。そんな気がしたからである。
「ごちそうさまでした!」
「片付けちゃうね!」
春奈はそう言って台所へ行った。
信治は考える。
(どう切り出したらいいものか‥ってか、何があったんだろ?男関係か?なら別に首を突っ込む必要もないかも‥金の問題とか?‥そりゃ僕だろ。おじさんいるから大丈夫だと思うけどなぁ‥‥まぁ、なんもなけりゃ、それが一番いい。)
なんて考えているうちに、どうやら片付けも終わったようだ。
「終わった終わったっと。んで、なんの話?」
「うん‥‥なぁ春奈。最近何かあったか?」
「ん?え‥‥なんも、ないよ。」
信治にはすぐわかった。ウソをついていると。
「正直に言いな!何があっても怒らないから!なんか悩んでるだろ。俺にはわかるんだからね。」
「‥誰にも言わない?」
「もちろん!」
「おじさんにもだよ!」
「‥?もちろん!」
「‥おじさんには、私もお兄ちゃんも助けられてる。」
「うん。」
「おじさんがいなかったら、私生きていけなかったかもしれない。」
「うん‥。」
「だからね‥‥逆らえなかった。」
「‥‥え?」
「言いなりになるしかなかったの!!」
「どういう事だよ。」
「‥妊娠した。」
「は!?」
「おじさんの子が、今お腹にいるの!!」
と、泣き出す春奈。
信治は予想していた。あらゆる悪い方向で、どんな事を言われても平然としていられるように、予想していたのだ。
だが、これは予想外だった。予想以上に悪かったのだ。それでもなんとか冷静に、パニックにならないようにと、自分の心に言い聞かせ話した。
「‥それで、春奈は産みたいの?その子。」
「産みたいわけないじゃん!」
「おじさんは知ってるのか?」
「知らないよ!」
「そうか‥‥‥‥わかった。今すぐここを出よう!俺のアパートに来ればいい。子供は‥かわいそうだけど、おろすか。金はなんとかする!心配するな!」
そう言って、信治は妹を抱きしめた。
いつからこんな事に?
何年も前からか?きっと妊娠しなければ、このまま大学に行くまで耐えるつもりだったのだろう‥
なぜ気付かなかった?
なぜもっと早く気付いてやれなかった!?
信治は自分を責めた。
そしてまた、真っ黒な感情が浮かび上がってくるのを感じたのだった‥。
次の日。
「ただいま!おう信治!元気にしてたか?‥あれ?春奈は?」
「妹はもうここにいませんよ。」
「‥どういう事だ?」
「どういう事!?おじさん。それは自分の胸に聞いたらわかるんじゃないですか?妹がなぜ、あなたの前から出て行ったのか!!」
「‥そうか。聞いたのか。だがよく考えた方がいい。大学に行く金はどうする?お前には払う余裕などないだろ。私にはある。何も聞かなかった事にして、私に預けとけば全てうまくいくんだぞ。」
「は!?何も聞かなかった事にして!?全てうまくいく!?ふざけんなよ!!妹の、春奈の気持ちはどうなる!あいつが今までどんな気持ちで耐えていたか。どんなに辛かったか。でもあいつはな!少しもイヤな顔しないでいたんだ!兄の俺にすらわからないほど、平然に振る舞っていたんだぞ!!それを昨日ようやく吐き出してくれた。今更あんたの所になんか戻せるかよ!!」
「そうか。じゃあ勝手にすればいい。今までの恩も忘れて、金に苦労して親のように勝手に死ねばいいさ。」
ブチッ!
信治はキレた!!
気付けば、信治はおじさんをボッコボコに殴り倒していた。
「ハー‥ハー‥ハー‥。」
「お前‥ゲホっ‥訴えてやるぞ!」
「勝手にしろ!捕まるのはそっちだ!」
「ははははは。わかってないな。私には金とコネがある。それでもみ消すのは簡単なんだよ。」
「‥‥あっそう。好きにすればいいさ。俺はもう失うものなんかないから。」
信治はそう言って玄関に向かった。そして帰り際に、
「‥おじさん、お世話になりました。二度と顔も見たくないけど‥でも、俺はおじさんのこと、本当に尊敬してたんです‥さようなら。」
それだけ言い残して出て行った。
「‥‥。」
二人はその後、二度と会うことはなかった。
結局おじさんは、信治を訴えなかったからである。
さて、どうしたものか‥
大学資金は‥とりあえず奨学金で払うとして‥いや、それじゃ不安だし、子供をおろす金もいる。‥‥金が必要だ。大金が‥‥。
信治はある決意を固めた。
とても暗く、とても悲しい決意を‥。